城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

出戻りの月一健康山歩クラブメンバーとともに貝月山へ 20.3.14

2020-03-14 13:41:33 | 山登り
 還暦を迎える少し前から山登りを再開した。まずは未踏の富士山、焼岳に登ったが、年に何回もない高い山に登るほかに、月に数回近くの山に登れるような仲間を探していた。家内のつてでHさんが主催している山の会があるということがわかり、そこに参加することになった。その会は、基本は第2週の土曜日、さらにもう一回(第4土曜日か第1土曜日)に美濃、鈴鹿の山を中心に登っていた。メンバーはHさんを除くとほぼ私の年齢の前後の方達であったので、毎回おしゃべりをしながらの山行は楽しかった。そのうちワカンを使っての雪山にも挑戦したが、力量不足で途中までということが多かった。

 その会に大垣山協のOさんが雪山の助っ人のような形で参加されていた。2月に花房山に登ったときのことであった。この時は今の山友のE氏を含む大垣山協グループもこの山に登ろうとしていた。800m付近の痩せ尾根を無事通過できるかが課題であったが、私はワカンでその箇所を渡りきった。山協はE氏がロープを張っていた。しかし、両グループともにここから引き返すことになった。その帰りに目撃したことだが、山協は猪鍋を囲んで楽しそうに昼食を食べていた。E氏にはよくこの時の話をするのだが、その猪の肉を用意したのはご本人であったことが後にわかった。その翌年、いろいろ躊躇したが、もう少し山のレパートリーを増やしたいと思い、O氏の勧めもあって大垣山協に参加することになった。

 古希になり、体力に自信が持てないことから山協をやめ、貝月山から6年ぶりに月一クラブに参加することとなった。そして集合場所に行くと懐かしい顔を大勢見ることが出来た。中には名前を思い出せない方もあった(私は人の名前を覚えることが大の苦手である)。Y氏の「出戻りの方」という紹介も嬉しかった。会長のKさん(Hさんの後継者)の車ほか合計3台15人で貝月山に向かった。2月23日の貝月山のときと同様小雨が降っていた。天気の悪いこともあり、第2リフト終点から歩き出すことになったので、8時避難小屋前に車を停め歩き出した。

 避難小屋から歩き出す

 カッパを着て歩く 私はカッパの上着を忘れたが、雪に変わってきたので、そのまま歩いた

昔のままNさんの話し声が聞こえてくる。いつも話題を提供してくれて、話が尽きない。Mさんも懐かしい。そこら中で写真を撮っている。いつも寡黙のIさん、毎年4回の絵画展を仲間とともに開いているそうだ(確かに以前聞いたが、すっかり忘れていた)。雨はみぞれ、さらに湿雪と変わり、あたりは幻想的な景色に変わってきた。吹きだまりには堅い雪がまだ残っていた。

 小貝月の手前

 小貝月付近

 小貝月を過ぎたあたり

 先月は時間の関係と強い風が吹いていたので、小貝月までだった。今日は貝月山の山頂に立った。

 貝月山山頂 
10時前に到着したので、昼食は避難小屋でとることとなった。そしてKさんの話を帰りに聞かしていただいた。大学時代には剱に足繁く通い、海外にも遠征した。その後すっかり山とはご無沙汰となったが、少し前の冬に貝月山に登ろうとしてあわや遭難という経験をした。低い山を嘗めきったためだと言っておられたが、やはり一歩間違えば死に直面することもあるのである。4月は11日、橫蔵寺から東海自然歩道を通り、妙法岳、華厳寺まで歩く計画、都合がつけば参加しようと思っている。

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