宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
総選挙で市民と野党の共闘で政権交代を、共産党の躍進をめざします。

スターリン秘史ー第6章、「巨悪への画期。変質の理論面での特徴」を読んで(「前衛」7月号)

2013年06月08日 | 綱領関連

 スターリン秘史・・・・・不破さんの調査、研究、分析力の深さ、広さに感動しながら一気に読みました。
第6章は、スターリンが1938年に発行した「ソ連共産党(ボ)小史」の分析が重要な構成になっていますが、この「小史」との不破さんの10代の頃の出会いなども「補注書き」されていて、リアリティーを感じました。全体については、是非多くの方々にお読みいただきたいと思います。

 私は、第6章の最終節、「5、「大テロル」後の世界の共産主義運動」のなかで、不破さんが提起した、4つの角度、どれもが重要なものですが、そのうちの第3について、紹介し、若干の感想を述べてみたいと思います。
「第3。各国共産党の党員レベルでいうと、スターリンの影響力は、圧倒的にスターリンの理論と政治路線への信頼でした。だから、スターリンは、いつも、自分の政策と行動を、科学的社会主義の言葉をもって飾らなければならなかったし、モスクワをマルクスとレーニンの理論の国際的な発信地としなければなりませんでした。 マルクスの理論にスターリン的修正を加える場合にも、マルクスの理論の重要命題を否定するのではなく、現代的な発展と称して勝手な追加をするとか、時代的に古くなったという理由でしまいこむなどの手法によらざるをえませんでした。

 だから、自分自身は社会主義や革命に無縁の存在となっても、世界の共産党と共産党員から社会主義と革命の精神を消すことはできなかったのです」と指摘し、「反ファシズム統一戦線の時期や第2次世界大戦における反ファシズム戦争の時期に、世界各国で多くの共産党員が(スターリンが支配するソ連を含めて)社会主義と革命への情熱を燃やして決死的な闘争に立ったのは、そのことの表れでした」と評しています。

 戦後もスターリンとその後継者達の「覇権主義、大国主義」との困難なたたかいが続きました。
しかし、「社会主義とも革命とも無縁な専制主義、覇権主義の『巨悪』に変貌した」スターリンも『科学的主義の生命力』までは奪うことはできなかったのです。
 その「生命力を発揮」したたたかいの輪のなかに、日本共産党の先輩達がいたのです。

6月9日付「赤旗日曜版」での対談記事で、浜 矩子同志社大学教授が、小池 晃副委員長に「共産党の頑張りどころ、『本領発揮の場面』のだと思いますよ」と激励してくれています。
うれしいかぎりです。