宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
総選挙で市民と野党の共闘で政権交代を、共産党の躍進をめざします。

「中国侵略の拡大に抗してー1930年代の国民と日本共産党の活動」(2)

2020年11月18日 | 未来社会へのプロセス

 引き続き、「日本共産党の80年」から紹介させていただきます。

「『満州』を占領した日本軍は、33年2月には熱河省に侵略を拡大し、さらに華北(北京、天津をふくむ中国の北部)への侵略の準備をはじめました。党は『赤旗』で、華北侵略の危険を毎号のように訴え、侵略の拡大が国民を悲惨な破局にみちびくことを警告しました。そして、国防献金の強制的徴収反対、出征兵士の家族の生活保障、出征による地主の土地取り上げ反対など、戦争の犠牲に反対する国民の日常要求を重視しながら、運動を組織するよう、つとめました」(「同誌」48頁)

「天皇制政府は、日本共産党の破壊に攻撃を集中するとともに、良心的な自由主義者にも迫害の手をのばしました。政府は、33年5月、京都帝国大学法学部滝川幸辰教授にたいし、その刑法学説を『赤化思想』として辞職を強要しました。京大法学部教授会は、一致して抵抗し、各大学の学生は大学の自治と学問の自由をまもる運動をおこしましたが、政府は学生運動に全国的な弾圧をくわえ、滝川教授の追放を強行しました」

「党は、これを『ドイツに於けるヒツトラー・テロルに優るとも劣らぬ』文化反動と位置づけ、労働者、農民が、学生、インテリゲンチャ、自由思想家、科学者、芸術家と手をつなぎ、文化反動の撃退のためにたちあがるよう、よびかけました」

「このとき、知識人のあいだに学問・思想の自由をまもる機運がたかまり、33年7月、『学芸自由同盟』が組織されました。『学芸自由同盟』は、ナチスがマルクスやトーマス・マンなどの著作を焼き払った事件に抗議して結成されたもので、徳田秋声、三木清、谷川徹三、嶋中雄作、秋田雨雀、木村毅、久米正雄、菊池寛ら文化人、知識人が幅ひろく集い、宮本百合子ら党員知識人も参加しました」(「同誌」48~49頁)