宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
総選挙で市民と野党の共闘で政権交代を、共産党の躍進をめざします。

「~新しき光の中に置きて思わむーアララギ派歌人土屋文明」1930年代若き女性党員(3)

2020年11月19日 | 未来社会へのプロセス

「日本共産党の80年」の1930年代のなかに次のような記述があります。以下、紹介させていただきます。

「戦前、少なからぬ女性党員が、天皇制政府の弾圧に抗して不屈にたたかい、社会進歩の事業に青春をささげました。女性の活動や組織化に力をつくすなかで33年5月に検挙され、35年に獄死した飯島喜美の遺品のコンパクトには『闘争・死』の文字が刻まれていました。共青中央機関紙『無産新聞』編集局ではたらき、各地に配布網を組織した高島満兎は、33年3月、活動中特高におそわれ、2階から飛び降りて脊髄複雑骨折の重傷を負い、翌年7月、下半身不随のまま死去しました」

「『赤旗』中央配布局で『赤旗』の配布うけもった田中サガヨも弾圧に倒れた一人です。33年12月に検挙された田中は、獄中でチリ紙に姉への手紙を書き『信念をまっとうする上においては、いかなるいばらの道であろうと、よしや死の道であろう(と)覚悟の前です。お姉さん、私は決して悪いことをしたのではありません。お願いですから気をおとさないでください』としるし、35年5月に生涯をとじました」

「『3・15事件』で検挙された伊藤千代子は、天皇制権力に屈服して党と国民を裏切った夫への同調を拒否し、拷問、虐待にたえてがんばりぬき、翌年、急性肺炎で無くなりました。彼女の女学校の先生だったアララギ派歌人の土屋文明は、言論統制のきびしい戦時下の1935年に、理想に殉じた伊藤千代子によせて『ここざしつつたふれし少女よ新しき光の中に置きて思わむ』とうたいました」

「彼女たちが、党の若く困難な時期に、それぞれが24歳という若さで、侵略戦争に反対し、国民が主人公の日本をもとめて働いたことは、日本共産党の誇りです」