隣接こそしていないものの私達の郷里大牟田市から15キロの位置にある、そんなお隣さんの街、福岡県柳川市の中空には<ピタゴラス>が聳立しています。すなわち、「万物の根源は数である」と喝破したピタゴラス(BC582-BC496)の箴言そのままの景色が西鉄柳川駅の駅前では日々現出しているということ。
畢竟、三平方の定理や円周率などというピタゴラス学派の知見の一斑ではない、
<ピタゴラスの哲学>の精髄ともいうべき思想がそこに日々展開されている。
私にはそう感じられました。
>万物の根源は数である
>万物の根源は比である
>万物の根源は数学的に理解可能な構造である
福岡県柳川市にはJRの駅はなく唯一の鉄路が私鉄の西鉄。而して、柳川市の中心的繁華街の入り口であり、官庁街や伝習館・柳川高校・杉森高校等の幾つもの学校の最寄り駅でもある西鉄柳川駅の駅前では、毎時、20分と50分(正確には19分と49分)発の大牟田行き特急--福岡市の天神町発大牟田行き特急--からは多くの人々が改札を潜り柳川の街に溶け込んでいく。
これが「大牟田発福岡天神行き特急」ではないのは、それこそピタゴラスの言う意味での比例の問題。すなわち、残念ながら比較的に見た場合の福岡市に対する大牟田市の衰退、ならびに、「福岡天神発大牟田行き特急」の利用者は福岡市だけではなく東京や関西から帰宅・帰郷する人々も少なくないということでしょうか。そう、柳川市と柳川市民にとって「福岡天神発大牟田行き特急」は<博多>や<東京>、あるいは、<ニューヨーク>や<ロンドン>の象徴なの、鴨。
而して、毎時、20分と50分の大牟田行き特急が到着すると、それらの人々の便宜をはかるべく、あるいは、それらの人々にたかるべく、いずれにせよそれらの人々を目当てにした社会的の活動が始まる。
まず第一に、例えば、西鉄柳川駅発のバスの時刻表は
ほぼこの<ピタゴラス>に基づいて作成されている。
あるいは、柳川名物の川下りの客引きのスタッフの方も--柳川観光開発:0944-72-6177--この時刻に合わせて改札近くで勧誘を行っている(←柳川観光開発さんの「たかり」ではなく「便宜」を慮った川下り乗船場までの無料シャトルバスはお勧めです!)。
更には、大切な家族や愛しい人を送迎しにくる路上駐車の数も1時間に2回のこの時刻前後に猖獗を極め、その車の移動を促す警察官や警備員さんとそれらドライバーさんとのバトルも間欠泉よろしく1時間に2回火花を散らしています。
もしくは、週末の夕刻には女子中高生をナンパしようとする柳川の田舎の不良君達も1時間に2回、西鉄柳川駅の改札前に屯し始め、そして、ならばとて、毎週週末の夕刻にはそれらの若者を咎める有志の「防犯-青少年見守り隊」(仮称)の旦那衆も同じくその時間に見守りパトロールに出撃しておられる。
蓋し、ピタゴラスが喝破した如く、
б(≧◇≦)ノ ・・・万物の根源は数である!
б(≧◇≦)ノ ・・・万物の根源は比である!
б(≧◇≦)ノ ・・・万物の根源は数学的に理解可能な構造である!
畢竟、而して、
б(≧◇≦)ノ ・・・柳川市の中空には<ピタゴラス>が聳立している!
幽霊の正体見たり枯尾花。柳川市の中空に聳立し柳川を覆っている<ピタゴラス>。ならば、福岡県の中でも大牟田市と同様その街の衰退が隠せない柳川市は<20-50>という<ピタゴラス>に支配されている、ある意味、薄っぺらな存在である。と、私はそう言いたいのか。否、です。
構造というのなら、例えば、東京の地下鉄は--副都心線と大江戸線が開通するまでは、丸ノ内線を嚆矢として--東京駅から郊外に放射線状に伸びているといってもそう間違いはない。また、ご存知、京都市は南北に直交する大路によって碁盤目の街。だからこそ、私の母校・同志社大学の所在地は「烏丸今出川」--北山からJR京都駅までを南北に貫く烏丸通り、および、銀閣寺と北野天満宮を東西に結ぶ今出川通りの交点--として表記される。なにより、<天皇制>は構造そのものであり、もっと言えば、大凡、あらゆる<言語>や<法と道徳>も構造でしかなく、それらの根源は<比>であり<数>なの、鴨。
要は、ある現象になんらかの構造、すなわち、<ピタゴラス>が看取できたしても、その現象が十分に理解できたとは限らないということ。その現象には--東京の地下鉄の殺人的分かり難さや、常に古くて新しい両義的な京都の街の佇まい、なにより、日本における皇室の価値を想起するまでもなく--<ピタゴラス>では理解できない内実や内容が歴史的にも論理的にも各々重層的に含まれているかもしれないということです。ならば、柳川市の<20-50>という<ピタゴラス>が、西鉄のダイヤ改定にともない、例えば、<10-40>に変化したところで、<柳川>の内実や内容、価値や値打ちはほとんど変わらないだろうということ。
ならば、柳川市の<20-50>という<ピタゴラス>が、西鉄のダイヤ改定にともない、例えば、<10-40>に変化したところで、<柳川>の内実や内容、価値や値打ちはほとんど変わらないだろうということ。
かって、ドイツの検察官キルヒン(1802-1884)は1847年に行った有名な講演『法学の科学としての無価値性について』の中で--法体系は閉じられた意味体系であり、その規範内容は確定している、よって、法曹および法学者の使命はその既にある規範意味を論理的に詳らかにすることに収束すると、そう、占領憲法9条に関する現在の朝日新聞の論調の如く、牧歌的に考えていた--当時の独仏の法学界を風靡していた概念法学的な潮流を嘲笑しつつ糾弾してこう述べた。同志社大学時代の恩師・八木鉄男先生の名訳を引用しておけば、
実定法のおかげで法学者たちは、腐敗した木ばかりを食って生きている蛆虫になりさがった。実定法は、それら蛆虫どもが健全な木を見捨てて巣くいうごめく病める木にほかならない。法学は、偶然なものを対象とすることによって、それ自身が偶然的なものとなっている。すなわち、立法者が三つの言葉を訂正すれば全文庫は反故になる、と。
換言して敷衍すれば、
占領憲法のおかげで憲法学者たちは、腐敗した木ばかりを食って生きている蛆虫になりさがった。占領憲法は、それら蛆虫どもが--日本社会の実定法秩序そのものである--健全な木を見捨てて巣くいうごめく病める木にほかならない。戦後の憲法学は、--占領下の政治力学の赴くところ僅か1週間程度で、しかも、ニューディール政策を信奉するリベラル派の残党が巣くった当時のGHQが起草したという--偶然なものを対象とすることによって、それ自身が偶然的なものとなっている。すなわち、立法者が三つの言葉を訂正すれば護憲派の全文庫は反故になる、と。
б(≧◇≦)ノ ・・・三つの訂正のことばによって全書庫が反故になる!
畢竟、八木鉄男『法哲学史』(世界思想社・1968, pp.86ff)によれば、しかし、『法学の科学としての無価値性について』に込められたキルヒンの真意は、構造を通して構造を超えること--実定法を貫いて実定法秩序の規範意味に至ること--の呼びかけであったとも言えるらしい。
ならば、八木先生の理解に従えば、蓋し、2014年7月1日に粛々と行われた安倍内閣による今般の集団的自衛権の政府解釈の変更は、<憲法>という健全な木そのものを取り戻した素晴らしい営みであり、文字通り、それは--統治行為マターに関する限り、内閣および国会という正当な--立法者が三つの言葉を訂正することによって護憲派の全文庫を反故にした安倍内閣の歴史に残る業績の一つではないか。と、そう私は考えます。
б(≧◇≦)ノ ・・・よくやった安倍総理!
さて、柳川のこと。水郷柳川。北原白秋や廣松渉、あるいは、第三代の同志社大学総長を務められた海老名弾正先生やオノ・ヨーコー氏の祖父でその同志社に学び後に日本興業銀行第四代総裁を務めた小野英二郎氏の出身地でもある柳川。1952年に市政が敷かれる以前は「柳河」と表記されていたらしい現在の「柳川」は人口7万弱の落ちついた、逆に言えば、観光以外にはこれといって産業のない街です。正直、そう言えなくもない、鴨。
けれども、言うまでもなく、柳川は関ヶ原で西軍に与して一時冷や飯を喰うもその後、徳川宗家に好感をもたれ旧領の一部を与えられた藩祖・立花宗茂公以来の城下町であり--あっ、今の柳川高校(昔の「柳川商業」)の敷地が柳川藩の城跡です--、実は、私達の郷里、福岡県大牟田市の中核部分を占める旧三池藩はこの柳川藩の<支店>でした。
そう、柳川の中空を覆う<ピタゴラス>の向こうには誇らしくも落ちついた歴史があり文化があり、そして、現在、駅前ロータリーの全面改装中ということもあり、警察官や警備員の毅然とした交通誘導規制をかいくぐって、日々、夫や妻、娘や息子、孫や祖父母を西鉄柳川駅の駅前まで送り迎えする人々の情愛が柳川には漂い溢れている。
ならば、観光以外にはこれといって産業のない街の何が悪いのか。
と、そう私は考えます。
今回野暮用でおよそ20数年ぶりに柳川を訪れて私はそう真面目に感じました。
なにより、70分間足らずだけど川下りは落ちつく。柳川名物・鰻の蒸籠むしは美味。
あるいは、それが柳川に存在している必然性はないものの柳川にそれがあることが今では自然なラーメン店・蓬徳は--要は、もちろん、かなり小さな変化ではあるにせよそれが今なくなれば<柳川>が<柳川>ではなくなってしまう、そんな西鉄柳川駅の改札直近のお店ですけれど--文字通り落ちついた良い味を出している。これ、京都は清水寺や銀閣寺前のソフトクリーム屋さんや牛丼屋さんとは全然違う。
それこそ、<東京ラーメン>が<柳川>に編み上げられていると言うべきでしょうか。これ正に、西洋伝来のセーラー服が現在では日本の女子校生の<文化>となっているのとパラレルに、あるいは、米国伝来のベースボールが現在では日本の<伝統>になっているのとあるいはパラレルな構図、鴨。
そして、これまた柳川名物の鰻の蒸籠むし。これこそ個々人の好き好きでしょうが、ここでも「落ちついた良い味を出している」というポイントを基準に私は、駅前交番はす向かいの古蓮(0944-72-0026)が一番気に入った、鴨。肩ひじ張らない親しみが持てる落ち着いた老舗プチ高級店という感じだから。
と、いうことで機会があれば柳川を一度訪ねられるのも一興、鴨です。
毎時、20分と50分発の福岡天神発大牟田行き特急を利用して。
ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿
P/S
西鉄柳川駅の近傍には--特に、観光客で賑わう土日祭日は--ほとんど駐車スペースがない。よって、いずれにせよ西鉄大牟田線のご利用をお勧めします。ちなみに、大牟田方面から訪れる場合、西鉄大牟田駅発天神行き上り特急は--集団的自衛権の政府解釈変更が粛々と行われた2014年7月1日現在--、大体、毎時<22-52>です。また、立憲主義から見た集団的自衛権政府解釈変更の問題、および、<文化>と<伝統>の歴史的と論理的な重層性については下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。
・保守派のための「立憲主義」の要点整理
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11877306899.html
・風景が<伝統>に分節される構図(及びこの続編)
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11147661422.html
古蓮