英語と書評 de 海馬之玄関

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転記:小林麻央さんのメッセージ英文

2017年06月29日 14時59分05秒 | 言葉はおもしろいかも

 

 

 

ここ数日、小林麻央さんがBBCに寄稿されたメッセージを

繰り返し読んでいます。読み返すごとに発見があり、

都度、共感し感動しています。

 

▼100 Women 2016

:Kokoro - the cancer blog gripping Japan

 http://www.bbc.com/news/magazine-37861457

 

記事の最後に「Translation by Mariko Oi」とあったので日本語版も

あるのだろうとさがしたら、同じBBCのサイトにありました。

 http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-38073955

 

そして、

・BBCサイト

 https://ameblo.jp/maokobayashi0721/entry-12222208193.html


和訳する手間が省けたということではありますが、小林麻央さんの日本語の方のメッセージと併せて読ませていただき更に一層深い感銘を覚えました。英訳者の方の間違いなく一流の力量技量はもちろんのこと、(ただ著作権の都合なのでしょうか? 下線はKABUがつけさせていただいたのですけれども、最後の2行が英訳されていないようですが・・・)その魂のこもった訳業の仕事ぶり心配りに無条件に感動しました。

 

もし、――このメッセージのテクスト、麻央さんご本人が公開を望まれたということですから、麻央さんのお身内の方からは特に「コンプレィン」、あるいは、日本語と英語の両方の意味での「クレーム」はないものと勝手にそう思い込んでおりますが――BBCおよびそのエージェントから要請があれば速攻でこの記事は非公開モードにする前提で、しかし、ここにメッセージの英語と日本語の双方を転記させていただきたいとおもいました。

日本語版は、文字通り、麻央さんの魂の発露。而して、繰り返しますが、英語版の方も素晴らしい内容です。よって、多くの方に、是非、お読みいただきたいと思いました。

同じ内容のはずのテクスト。しかし、日本語と英語の二重写しのテクストになることによって、テクストを覆うテクストに憑依しているはずの麻央さんの声が――日本語と英語が織り成し作る――立体的な意味空間に流れているのがわかる、鴨。そして、なにより、日本語と英語の織り成す重層的な意味の流れの中に麻央さんが、この地球上のすべての<74億分の1>である、しかし、そのすべてのそんな<あなた>に――<あなた>の代わりなどありえない、そんな――すべての<あなた>に向けて麻央さんが発信されたメッセージが聞こえてくる、鴨。

そのようなメッセージを受信していただく機会に、そんなご縁の一斑にこの単なる転記記事がなるようであれば私達は大変うれしいです。そう、そして、最後の2行の英訳は各自ご自分で考えてみてください。それこそその英訳の作業は、<74億分の1>であるあなたと、同じく<74億分の1>であった麻央さんとの時空を越えた語らいになる、鴨ですから。

蓋し、この記事には余計なコメントはつけるべきではないでしょう。よって、このメッセージの地平と通底するもの。そうともわたしには思われる旧稿(および、その旧稿を理解する上での補助線的の記事)のURLのみ記して、余計な前口上はこれで終わりにさせていただきます。


なにをおいても、しかし、この言葉だけは。

小林麻央さんのご冥福をお祈りします。

 

・元キャンディーのスーちゃんのメッセージに結晶する<神学>と<哲学>の交点
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/ef7b986c941c707ebf1cf53fd9698da7

 

>以下が(↑)の「補助線」記事3本

・74億分の1の「お茶目な」高校生の君へ

 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/6dc5becd05ba48c10f466497aacf96cc

・分数の英語-分数Loveのアメリカ人?
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/357e8a4ac103cf18d739e23e6dc395b4

・書評:はじめての言語ゲーム

 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/10d53758eaae62bffd83dc909a4ea99a

 

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Two years ago, when I was 32, I was diagnosed with breast cancer. My daughter was three, my son was only one. I thought: "It'll be OK because I can go back to being how I was before once the cancer is treated and cured." But it wasn't that easy and I still have cancer in my body.
For a long time I hid the disease. Because my job involved appearing on TV I was scared about being associated with illness or showing people my weaknesses. I would try to avoid being seen on the way to hospital appointments and I stopped communicating with people so as not to be found out.
But while wanting to go back to who I was before, I was actually moving more and more towards the shadows, becoming far removed from the person I wanted to be. After living like that for 20 months, my palliative treatment doctor said something that changed my mind.
"Don't hide behind cancer," she said, and I realised what had happened. I was using it as an excuse not to live any more.

I had been blaming myself and thinking of myself as a "failure" for not being able to live as I had before. I was hiding behind my pain.
Until that time I had been obsessed with being involved in every part of domestic life because that was how my own mother always behaved. But as I got ill, I couldn't do anything, let alone everything, and in the end, as I was hospitalised, I had to leave my children.

When I was forced to let go of this obsession to be the perfect mother - which used to torture me, body and soul - I realised it had not been worth all the sacrifice I had made.
My family - even though I couldn't cook for them or drop them off and pick them up at the kindergarten - still accepted me, believed in me and loved me, just like they always had done, as a wife and a mother.

When I was forced to let go of this obsession to be the perfect mother - which used to torture me, body and soul - I realised it had not been worth all the sacrifice I had made.
My family - even though I couldn't cook for them or drop them off and pick them up at the kindergarten - still accepted me, believed in me and loved me, just like they always had done, as a wife and a mother.


If I died now, what would people think? "Poor thing, she was only 34"? "What a pity, leaving two young children"? I don't want people to think of me like that, because my illness isn't what defines my life.
My life has been rich and colourful - I've achieved dreams, sometimes clawed my way through, and I met the love of my life. I've been blessed with two precious children. My family has loved me and I've loved them.
So I've decided not to allow the time I've been given be overshadowed entirely by disease. I will be who I want to be.

 

 

2年前、32歳の時に、私は乳癌であることを宣告されました。娘は3歳、息子はまだ1歳でした。
「治療をして癌が治れば、元の自分に戻れるのだから、大丈夫!」と思っていました。
けれど、そんなに簡単ではありませんでした。
今も、私の身体は、がんと共にあります。
私は、テレビに出る仕事をしていました。
病のイメージをもたれることや弱い姿を見せることには「怖れ」がありました。
なので、当時、私は病気を隠すことを選びました。
隠れるように病院へ通い、周囲に知られないよう人との交流を断ち、生活するようになっていきました。
1年8か月、そんな毎日を続けていたある日、
緩和ケアの先生の言葉が、私の心を変えてくれました。
「がんの陰に隠れないで!」
私は気がつきました。
元の自分に戻りたいと思っていながら、
私は、陰の方に陰の方に、望んでいる自分とは
かけ離れた自分になってしまっていたことに。
何かの罰で病気になったわけでもないのに、
私は自分自身を責め、それまでと同じように
生活できないことに、「失格」の烙印を押し、
苦しみの陰に隠れ続けていたのです。

それまで私は、全て自分が手をかけないと
気が済まなくて、
全て全てやるのが母親だと
強くこだわっていました。
それが私の理想の母親像でした。
けれど、
病気になって、
全て全てどころか、
全くできなくなり、
終いには、入院生活で、
子供たちと完全に離れてしまいました。

自分の心身を苦しめたまでの
こだわりは
失ってみると、
それほどの犠牲をはたく意味のある
こだわり(理想)ではなかったことに
気づきました。
そして家族は、私が彼らのために料理を作れなくても、幼稚園の送り迎えができなくても、
私を妻として、母として、以前と同じく、
認め、信じ、愛してくれていました。
私は、そんな家族のために、
誇らしい妻、強い母でありたいと思いました。
私は、闘病をBlogで公表し、
自ら、日向に出る決心をしました。
すると、たくさんの方が共感し、
私のために祈ってくれました。
そして、苦しみに向き合い、乗り越えたそれぞれの人生の経験を、
(コメント欄を通して)
教えてくれました。
私が怖れていた世界は、優しさと愛に
溢れていました。
今、100万人以上の読者の方と繋がっています。

人の死は、病気であるかにかかわらず、
いつ訪れるか分かりません。
例えば、私が今死んだら、
人はどう思うでしょうか。
「まだ34歳の若さで、可哀想に」
「小さな子供を残して、可哀想に」
でしょうか??
私は、そんなふうには思われたくありません。
なぜなら、病気になったことが
私の人生を代表する出来事ではないからです。
私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、
愛する人に出会い、
2人の宝物を授かり、家族に愛され、
愛した、色どり豊かな人生だからです。
だから、
与えられた時間を、病気の色だけに
支配されることは、やめました。
なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。
だって、人生は一度きりだから


(最後の2行の下線はKABU によるものです)




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