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世界は支那をどう見ているか。日本では、「21世紀は支那の時代」とでも言いたげな朝日新聞や民主党に代表される「反日・反米-媚支那」の言説が、民主党政権の成立とともに力を増しているようにも見えます。他方、「支那とは即国交断絶せよ」とか「支那人が靖国神社を批判することは許さない」等々の主張も見られないではない(畢竟、それが我々にとっていかに不愉快であろうと、そして、中にはA級戦犯の定義さえ知らない不勉強な者も少なくないとしても、しかし、支那人が靖国神社への日本の首相の参拝を批判するのは彼等の自由であり勝手。而して、我々が、その無知蒙昧にまみれ中華主義丸出しの彼等の「靖国批判」を批判することもまた我々の自由であり勝手でしょう)。
けれども、(伊邪那美・伊邪那岐の二柱にもう一度国産みをしていただかない限り)支那が日本の隣国であるという地政学的の与件は変更できず、また、自由貿易体制に依存しない限り国の経済が成り立たない日本にとって、他方、新型インフルエンザ対策等々を想起するまでもなく多くの社会的諸問題が国際的に取り組むのでなければ解決されえないグローバル化の昂進著しい現在(WTO体制や地球環境問題を始め数多の国際行政分野の法制度を通して支那との関係は不可避であり)支那との関係は一切ご遠慮申し上げることも不可能なこと。
繰り返しになりますが、生態学的社会構造として地球が文字通り<一球:an earth>になっている現在、(日本が支那との外交関係と貿易・投資を断つこと、畢竟、国交断絶を行なうことは法論理的には可能であっても)支那からの汚染物質が東シナ海を通り、また、偏西風に乗り日本の海岸線を洗い日本列島に降り注ぐこと、而して、(材料を含む支那製品を全面輸入禁止にした所で)第三国を通した金融・技術・情報の移動においても支那と潔癖に没交渉を貫くことは不可能でしょう。蓋し、朝日新聞や民主党の「支那万歳!」が到底我々保守改革派が容認できない主張であるのと同時に、国交断絶論もまた到底成り立つ議論ではないのだと思います。
ならば、我々、日本の、否、世界の保守改革派にとって唯一可能な対支那のスタンスは「政凍経冷」であり、而して、それを実現し維持するためには、逆説的ながら、支那の動向と実情を恒常的に把握すること、すなわち、支那人とより深く(「より親しく」ではない!)付き合うことが肝要である。と、そう私は考えています。この私の対支那の問題意識から大変参考になる記事を目にしましたので以下紹介します。出典はThe Economist の”The People's Republic at 60-China's place in the world”「建国60年の人民共和国-世界における中国の位置」(Oct 1st 2009)です。
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The world has accepted that China is emerging as a great power; it is a pity that it still does not always act as one
FOR a country that prides itself on its “peaceful rise”, it was an odd way to celebrate a birthday. The People’s Republic of China marked its diamond jubilee on October 1st with a staggering display of military muscle-flexing. Goose-stepping soldiers, tanks and intercontinental ballistic missiles filed through Tiananmen Square, past the eponymous Gate of Heavenly Peace, where, 60 years ago, as every Chinese schoolchild is taught (wrongly, it now seems), Mao Zedong declared that the Chinese people had “stood up”.
For many Chinese, daily life remains a grim struggle, and their government rapacious, arbitrary and corrupt. But on the world stage, they have never stood taller than today. China’s growing military, political and economic clout has given the country an influence of which Mao could only have dreamed. Yet Chinese officials still habitually complain that the world has not accepted China’s emergence, and wants to thwart its ambitions and “contain” it. America and others are trapped, lament these ascendant peaceniks, in a “cold-war mentality”. Sometimes, they have a point. But a bigger problem is that China’s own world view has failed to keep pace with its growing weight. It is a big power with a medium-power mindset, and a small-power chip on its shoulder.
世界はとっくに支那を新興の大国と認めている。他方、今に至るも支那の行動が必ずしも大国に相応しい振る舞いばかりではないことは遺憾なことである。
「平和的な興隆」を誇っている国にしては、建国を祝うそのやり方は些か違和を覚えるものだった。10月1日、中華人民共和国はその建国60周年を夥しい数の兵士による軍事行進によってむかえた。足を高く蹴り上げつつなされる兵士の行進、戦車、大陸間弾道ミサイルが天安門広場を埋め尽くす。而して、「天国の如き平安に至る門」という意味の、この天安門広場こそ60年前、(それは現在では史実に反すると考えられているのだけれども)支那のすべての児童・生徒が教えられているように、毛沢東が支那人民が「新国家を建国」したことを宣言した場所である。
多くの支那人にとって日々の生活はいまだに厳しい労苦の連続であり、他方、彼等の政府は相変わらず、強欲で恣意的で腐敗にまみれたままである。しかし、世界の舞台において、支那が現在よりも隆盛を誇ったことはかってなかった。支那の成長著しい軍事力・政治的影響力・経済力によって、毛沢東がかって夢想することしかできなかっただろう、それ程大きな影響力をこの国は掌中にすることになった。しかし、支那の高官は、十年一日の如く不平を述べ続ける。すなわち、世界は支那の興隆をいまだに認めていない。世界は支那の大志を挫こうとしており、支那を「封じ込め」ようとさえしている、と。アメリカを始めとする世界の国々は、支那の平和を希求している人民の勃興を遺憾な事態と捉えており、すなわち、彼等アメリカを始めとする諸国は「冷戦期の心性」に雁字搦めになっているのだ、とも。確かに、時には彼等支那の高官の不満が正鵠を射ている場合もある。しかし、より大きな問題は、支那が保有している世界を理解するための構図が支那の影響力の拡大と調和していないことだ。支那とは、影響力において大国であるが、その心性としては中堅国であり、しかも、他愛もないことに目くじらを立てスピッツのようにキャンキャン吠える小国の如き行動を取る国なのである。
Take that spectacular parade. What message was it meant to convey to an awestruck world? China is a huge, newly emerging force on the world scene. And it is unapologetically authoritarian, as were Japan and Prussia, whose rises in the late 19th century were hardly trouble-free. Nor is China a status quo power. There is the unfinished business of Taiwan, eventual “reunification” with which remains an article of faith for China, and towards which it has pointed some 1,000 missiles.
これでもかと言わんばかりの壮大な軍事パレード。この建国60年の軍事パレードは、そのパレードに畏れ入ってしまった世界に対してどんなメッセージを与えようとするものだったのだろうか。支那は現下の世界における巨大な新進の大国である。而して、それはかっての日本やプロシアがそうであったように謝ることを知らない権威主義的な国でもある。そして、19世紀後半、日本とプロシアの興隆によって世界は紛争が絶えることがなくなった【註:19世紀後半から第二次世界大戦までを通して、日本やプロシアが「謝ることを知らない権威主義の国」であったかどうかは極めて疑問であり、少なくとも英国のメディアにそんなことを言われる筋合いはないと考えるけれども、ここは原文に従った】。日本・プロシアと同様、支那も【現状の国際秩序を尊重する】既成の勢力ではない。支那は台湾との間で懸案を抱えている。最終的には台湾を「再統一」するという、faith for China【註:『台湾同胞に告げる書』(1979年1月1日)かそれを受けた胡錦濤主席の声明のことと思われるがテキストを確定できなかったので原文のまま記載した】にも記されている条規は残されたままであり、実際、台湾に照準を合わせた1000基ものミサイルが配備されている。
There is the big, lolling tongue of its maritime claim in the South China Sea, which unnerves its South-East Asian neighbours. And China keeps giving reminders of its unresolved wrangle with India over what is now the Indian state of Arunachal Pradesh, which it briefly overran in 1962. Nor has it reached agreement with Japan over disputed islands.
China’s intentions may be entirely peaceful, but its plans to build aircraft-carriers are shrouded in secrecy and it is modernising its nuclear arsenal. A modicum of anxiety about its ambitions is more than just cold-war paranoia. And those prey to it will have been reassured neither by the October 1st parade nor by the massive military build-up and the increasingly sophisticated home-grown weapons technology it flaunted.
南シナ海にはだらりと垂れ下がった舌の如く、支那がその帰属を主張している領海が存在しており、それに対する支那の領海権の主張に東南アジアの近隣諸国は悩ませられてきた。他方、1962年に支那が短期間支配した、現在のインドのアルナチャル・プラデシュ州の帰属を巡り、支那はその領土問題が未解決である旨の主張をインドに対して提起し続けている。更に、日本との間でも領土紛争を抱える幾つかの島の領有権に関して支那と日本は合意に達していない。
支那の意向は徹頭徹尾平和的なものかもしれない。しかし、支那の空母建造計画は秘密裏に行なわれており、また、支那は核兵器の近代化を推し進めている。支那に対して世界が抱く少量の懸念は、冷戦期の妄想以上の現実味を帯びたものなのだ。而して、これらに起因する支那に対する懸念は、10月1日の軍事パレードや凄まじい支那の軍拡の勢い、そして、支那自身が誇示してきた益々洗練される国産の兵器開発技術によって一層深まっているのだ。
<続く>
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