壊したいという願望が消えたことはない。
破壊ほど、魂が昂ぶる行為はない。
知らない誰かが積み上げたものを一瞬にして、なかったことにする力は信じるに足りる。
では創造はどうだろう。
現代ではそれは本来の意味を失い、破壊の代替行為となりさがって居はしまいか。
破壊が前提であるそれを公明正大に創造と呼んで、はばかり無しか。
”デストロイ アンド アナーキーシティ”というタイトルの歌を歌えるのは、そこにリアリティがないからこそだ。
そろそろ、こわさなくてもいいものを作ってみたらどうだろう。
それを作ったからこそ大事に守るようなものを。
世界一高いタワーじゃなくて、世界一大事なタワーを作ってくれよ。