わかるとかわならないとかいう視点は無意味だ。
絵画もまた、エンタテイメントであり、楽しむことこそ全て。
「ピカソを超えた」という広告コピーに反発を覚えた。独創ではだめなのか。
抽象絵画であれば、ピカソとの関係性が必要ということか。
どういう意味なのか、自分の目で確かめたい。すっかり広告の術中に、はまっていた。
これは、再現アトリエの床。
苦悩の末、ポーリングという、絵具を床に置いたキャンバスへ流す手法へと行きついたらしい。
印刷や画像でみると、落書きにしか見えないこれが代表作で、200億円らしい。
実物は、落書きでは無かった。「わかる」のではなくて、体験したということだ。
重ねられた絵具は、立体となって迫ってくる。深い海であり、宇宙の深みに達している。
これは、貨幣価値では測れない、大きな衝撃だった。おどろいた。
アトリエで、「畜生、あいつが全部、先にやりやがった」と、ピカソの画集を床にたたきつけたそうだ。
そして、この手法こそが、全くのオリジナルとして完成したとのことだ。
この展覧会は、生誕100年を記念して、その芸術家としての黎明期から晩年までの作品を
網羅し、その進化の過程をたどるものであった。
絵画とか、そんな枠を超えて、この世界に無かったものを、ひとりで作りだしたのだ。この大きな
落書きからは、情熱と落胆、不安、高揚、無気力、欲望、およそ思いつく全ての感情が立ちあがっ
てくる。
生きている限り、可能性があることを強く感じさせられた。