マリーアンドファナーズは1996年のライブを最後に向う10年にわたってライブをしませんでした。
理由は特にありません。
空白の10年の間も、変わらず、長い休みは大阪のスタジオで集まって練習をしていましたし、佐々木も
私もコンスタントに曲を作っていました。
しかし、この時期はスタジオに入っても、ダラダラとセッティングをはじめ、誰からともなくなんとなくイントロを
弾いて、なんとなく演奏して、途中で構成や、コード、歌詞、エンディングなどが分からなくなり、譜面もないので、
いったい何を間違ったのか、誰かは正しかったのかすらわからない、とても人前で演奏できるような状態では
無かったのは事実です。
なぜ、このような状態で10年も続けられたのかと不思議に思われたのも無理はありません。
そもそも、大きな計画や綱領のようなものは作ってないし、なんとなく続いてきたバンドなので、ダラダラでも
なんとなくでも、それはそれで楽しいと感じていたからです。
メンバーは、バンドを離れても仲が良く、練習の後には必ず飲みに行きました。全員、好奇心が強く、多方面に
知識が豊富で話題も広い、人のうわさやグチなど皆無の楽しい酒が飲める仲間でした。
バンドの練習が飲む口実となり、徐々に本と末が転倒していったのです。
それでも遠距離恋愛みたいに、会えばつのる話もあるし、バンドマンとしての面目も保っているという気持ち
がありました。
そんな状態が続いていたある日、大学の寮の同窓会がありました。
そこで、軽音楽部でドラムを叩いていた上田と再会します。
聞けば、バンドをやっていて、明日がライブだと言います。
寮とクラブが同じだった上田とは、気心の知れた仲でしたので、翌日、大阪のライブハウスに行きました。
それは、衝撃的なものでした。メンバー募集をかけて募ったというメンバーは技術的にも高く、演奏はこなれて
いましたし、何よりも上田の生き生きとしたパフォーマンスはまぶしいほどでした。
強烈なインパクトを受けました。
あのころの仲間がここまでやっているというのに、マリーアンドファナーズは、バンドもやる飲んだくれに成り下が
っているというコントラストは、大きく、強い何かを心に呼び起こしたのです。
やはり、バンドは人前で演奏してこそだと思いました。
ライブがやりたい。
まず上田に電話をしました。
大阪で下手でも出れるライブハウスは無いかと聞いたら、いくつか教えてくれました。
次に、マリーアンドファナーズ自体を立て直さなくてはなりません。
まず、スコアを作ることから始めました。
曲の構成をしっかり決めて、一線のベタ譜で形式を統一しました。
全員が同じ形式の楽譜に基づいて演奏をするのです。
そしてスタジオでの練習の内容を見直しました。
スタジオに入ってからではなくて、事前に、やる曲を決めておきます。
音量コントロール、メリハリ、バスドラとベースのアクセントを合わす、基本的なことを積み上げ始めました。
大学の軽音楽部で先輩から教わったことを思い出しながら、一から始めたのです。
軽音楽部に入って本当によかったと思いました。
あの経験があったからこそ、マリーアンドファナーズはどん底から這い上がれたのだと思います。
今では、4時間のスタジオはあっという間に終わります。
まず、曲のポイントとなる注意点、よく間違う個所などを確認しあってから練習します。
楽譜には、節に番号を振ってあるので、「何番の何小節目からもう一度」というように、意思疎通の
スピードも格段に速くなりました。
そして、アレンジなどで迷って堂々巡りになったり、主張しあってケンカにならないよう、「作曲者優先」
というルールも決めました。
無駄な時間が無くなり、充実した練習が出来ています。
軽音楽部で1年でやってきたことをマリーアンドファナーズは10年かけてやってきたと感じています。
空白の10年の中で、一度、メンバー交代がありました。
ベース千田が脱退し、新たに佐々木が連れてきたのが現在のベーシスト川村です。
最初は、練習日程が合わない千田のヘルプだったのですが、なんとなくそのまま固定されました。
音楽とは縁もゆかりもない業種の会社で、よくベーシストがいたものだと思いました。
実は佐々木は人事部に配属されていたことがあり、社内で楽器のできる人間をだいたい把握していたの
でした。
そうこうするうちに、最初のライブが決まります。
2006年5月6日、大阪塚本エレバティでしたが、ドラム舛野が欠席となり、ドラムレスでやりました。
その年、8月15日、やっと念願の10年ぶりのライブが出来ました。
それ以来、エレバティがホームとなり、年一度、ライブができるようになりました。
昨年が、記念すべき10回目となったのでした。
今年は、エレバティを離れ、先輩の企画ライブに出ることになりました。
これは改めて告知したいと思います。
マリーアンドファナーズははこうして出来上がりました。
そして、まだまだ、これからも続いていきます。
ぜひ、一度、ライブにお運びくださいませ。
これからもよろしくおねがいします。
長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
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