ようやく、ナンバーカードを手にすることが出来た。これで明日、新宿のスタートラインに立てて、東京の街を走り抜けることが出来る。これは、東京のロードを走るためのバスポートなのだ。
ビッグサイトでは、マラソンEXPOが賑々しく開催されている。大会スポンサーが様々な出品を行なっている。一際多くの人が集まっているブースには、五輪の金メダリストがいたみたいだ。しかしながら、僕はここで長く時間をつぶすことはしなかった。明日履くつもりのランニング・ソックスだけを買って外に出た。
僕が楽しみにしていたのは、Hさんとの再会だ。Hさんは僕のサイトの掲示板の常連であるマラソン・ファンで、5年前には東京から丸亀ハーフマラソンにやって来たこともある。その時以来5年ぶりの再会となる。5年前の丸亀は思えば、福士加代子が日本最高記録を作ったレースだった。そこを走れたのはHさんと、同行していたSさん(残念ながら今回は再会が叶わなかった)たちにとって、いい思い出になったと思う。そして、そこで、土佐礼子さんの夫、村井啓一さんと出会い、土佐さんファンだったお2人に村井さんを紹介出来たのも忘れられない。実し今だから明かすが、これは「偶然」ではなく、いつも村井さんがこの大会でいつも同じ場所に荷物を置いて着替えをしていたのを覚えていて、わざとその近くに僕たちも陣取ったのだ。
りんかい線国際展示場駅にて待ち合わせ。5年ぶりに会ったHさんは、当時と印象はほとんど変っていなかった。僕とは4歳ほど若い方であるが。僕の方はHさんから見れば大きく変ったかもしれない。僕はHさんと会っている間、一度も帽子を脱がなかった。
Hさんとは、マラソンだけでなく、音楽などにも趣味が共通する部分があり、そういった話に花を咲かせながらお台場に向けて歩き始めた。マラソン前日だからジョグよりもウォーキングの方がいいかも、と思った。思えば、東京マラソンの前身というべき大会である。東京ハーフマラソンはこのお台場がメインのコースだった。ハーフの男子日本最高記録と女子の世界歴代4位の記録を生み出した大会を取り止めさせたのは・・・、
もういい加減しつこいと思われそうだから止めとこう。
レインボー・ブリッジを見て、映画「バブルでGO!」のラストシーンを思い出した。2人でオムライスの美味しい店に入って昼食を摂る。明るいうちだし、フルマラソン前日ということでアルコールは自粛した。明日は東京に泊まらずに帰宅する予定にしていたのが惜しまれた。今度来る時は、レース当日の夜も酒を酌み交わしたいと思った。
プログラムのページを開けて、マラソン談義に花を咲かせる。世界最高記録保持者のハイレ・ゲブレセラシェと、土佐礼子さんの欠場が本当に残念だと話す。
お台場に来るのは久しぶりだというHさん、途中でガードマンに道を尋ねていたが、これではまるでHさんも僕と一緒に上京してきたおのぼりさんみたいだ。
2人でりんかい線の電車に乗り都心へ。陽が翳り始めた。再開を約束して別れる。再び一人になった。山手線に乗り換えて今日の宿泊地である新宿へ。
再び、心細くなってきた。新幹線の中に忘れた引き換え券を入れた封筒の中に、ホテルの予約証明書も入れていたのを思い出していた。予約サービス会社に連絡して、ホテルの名前と住所を教えてもらったが、新宿駅に着いてから、ホテルにたどり着くまで2時間近くかかった。
新宿歌舞伎町。言わずと知れた日本最大の歓楽街だ。20代の時にも訪れたことがあるが、その時はちょっとした失敗で、ムダにお金を使った。まあ、若気の至りだ(苦笑)。幸か不幸か、当時よりはそちらの方への興味も減退しているので、名何事もなかった。
20年ぶりにあるく東京の中心部の繁華街。この20年で何が変ったかといえば、街を歩く若者のファッションに違和感を覚えなくなったことか。都会の流行が地方に伝播する速さが早くなり、地方にも、東京で売られているものと同じ服を揃えた店も増えたせいである。仕事で松山市内の中心部へ行くことが多いのだが、その時と印象は大して変らない。
ただ、東京は圧倒的に人が多く、繁華街の面積が広い。友部正人の詩そのままで
「行けども行けども見知らぬ街ばかり」
であることに変りは無い。
ようやくホテルを見つけ出した。一泊3500円のカプセルホテルだ。大会の公式サイトから宿泊先を探すと京王プラザホテルのようなところしか出てない。マラソン愛好家がみんな金持ちとは限らんぞと我ながら情け無いツッコミを入れたくなった。
「それはお前だけじゃ。」
と返されそうだ。そんなわけで、かつてはマラソンのメダリストも所属していた情報誌発行会社の旅行情報誌のサイトから検索して、このホテルの予約を取ったのだ。カプセルホテルというと、かつては、終電車が無くなった後も飲み続ける夜が多く、よく利用していた。久しぶりに利用するなと思いつつ、エレベーターに乗ってフロントのあるフロアに行くと、長い行列が並んでいた。しかもその半分以上はスポーツバッグと、東京マラソンの参加賞の入ったビニール袋を持っていた。自分だけではなかったと、ほっとした。行列に並ぶのは苦手なのだけど。
3500円というのは、入浴と宿泊だけの料金で、食事代も入っていない。中国から来たきれいなお姉さんのマッサージというサービスもあるが、これが宿泊料金とあまり変らない。
とりあえず、荷物を下ろして入浴を済ませて、食事に出かける。レースの前日ではあるが、居酒屋で冷えたビールを飲み干す。長旅の疲れを癒すためだ。そして、ゲンかつぎにとパチスロに入る。地方の郊外にあるやたらと広いパチンコ屋に慣れた者には珍しい、こじんまりした店だ。僕の好きな台が無かったので、あまりやらないジャグラーをやったら、最初の1000円で15000円も勝ってしまった。実は前日、出発する直前にもパチスロをしたのだが、そこで3000円負けたので止めたのだ。これでは旅費までつぎ込んでしまいそうになると思ったのだ。それを足しても差し引き11000円の儲け。この旅では幸運と不運の間をジェットコースターのように走り抜けているが、まだ幸運が残っているみたいだ。明日はいい1日になりそうだ。
何度が目を醒ましながら、6時に起床。思いついて、ジョギングをしてみようと思った。スタート地点である新宿の都庁まで走ってみようと思った。
走り始めるとすぐに、かつては「副都心」と呼ばれていた頃に建てられた高層ビルを眺めながら走り出す。かつてマイルス・デイビスや甲斐バンドが野外コンサートを行なったのはこの辺りだったのだろうか?唐突に見慣れた緑の看板が!
我が愛媛の地方銀行の新宿支店を発見した。ロビーに飾られた大きなポスターは年末にNHKで放映された、松山出身者を主人公にしたスペシャル・ドラマをモチーフしたもの。まるで、外国で日の丸の旗を見た時のような気分だ。松山というといまだに「坊ちゃん」を連想するあなた、遅れてますよ。今や「坂の上」と「俳句甲子園」と「白くまピース」ですよ。
都庁の前の公園でラジオ体操する人たちを見て、折り返す。もと来た道を走ったつもりが、どこかで間違えたみたいで、少し長く走ってしまった。
汗を流そうと風呂に軽く入った。後で思えば、シャワーだけにするべきだったと思う。
(つづく)
ビッグサイトでは、マラソンEXPOが賑々しく開催されている。大会スポンサーが様々な出品を行なっている。一際多くの人が集まっているブースには、五輪の金メダリストがいたみたいだ。しかしながら、僕はここで長く時間をつぶすことはしなかった。明日履くつもりのランニング・ソックスだけを買って外に出た。
僕が楽しみにしていたのは、Hさんとの再会だ。Hさんは僕のサイトの掲示板の常連であるマラソン・ファンで、5年前には東京から丸亀ハーフマラソンにやって来たこともある。その時以来5年ぶりの再会となる。5年前の丸亀は思えば、福士加代子が日本最高記録を作ったレースだった。そこを走れたのはHさんと、同行していたSさん(残念ながら今回は再会が叶わなかった)たちにとって、いい思い出になったと思う。そして、そこで、土佐礼子さんの夫、村井啓一さんと出会い、土佐さんファンだったお2人に村井さんを紹介出来たのも忘れられない。実し今だから明かすが、これは「偶然」ではなく、いつも村井さんがこの大会でいつも同じ場所に荷物を置いて着替えをしていたのを覚えていて、わざとその近くに僕たちも陣取ったのだ。
りんかい線国際展示場駅にて待ち合わせ。5年ぶりに会ったHさんは、当時と印象はほとんど変っていなかった。僕とは4歳ほど若い方であるが。僕の方はHさんから見れば大きく変ったかもしれない。僕はHさんと会っている間、一度も帽子を脱がなかった。
Hさんとは、マラソンだけでなく、音楽などにも趣味が共通する部分があり、そういった話に花を咲かせながらお台場に向けて歩き始めた。マラソン前日だからジョグよりもウォーキングの方がいいかも、と思った。思えば、東京マラソンの前身というべき大会である。東京ハーフマラソンはこのお台場がメインのコースだった。ハーフの男子日本最高記録と女子の世界歴代4位の記録を生み出した大会を取り止めさせたのは・・・、
もういい加減しつこいと思われそうだから止めとこう。
レインボー・ブリッジを見て、映画「バブルでGO!」のラストシーンを思い出した。2人でオムライスの美味しい店に入って昼食を摂る。明るいうちだし、フルマラソン前日ということでアルコールは自粛した。明日は東京に泊まらずに帰宅する予定にしていたのが惜しまれた。今度来る時は、レース当日の夜も酒を酌み交わしたいと思った。
プログラムのページを開けて、マラソン談義に花を咲かせる。世界最高記録保持者のハイレ・ゲブレセラシェと、土佐礼子さんの欠場が本当に残念だと話す。
お台場に来るのは久しぶりだというHさん、途中でガードマンに道を尋ねていたが、これではまるでHさんも僕と一緒に上京してきたおのぼりさんみたいだ。
2人でりんかい線の電車に乗り都心へ。陽が翳り始めた。再開を約束して別れる。再び一人になった。山手線に乗り換えて今日の宿泊地である新宿へ。
再び、心細くなってきた。新幹線の中に忘れた引き換え券を入れた封筒の中に、ホテルの予約証明書も入れていたのを思い出していた。予約サービス会社に連絡して、ホテルの名前と住所を教えてもらったが、新宿駅に着いてから、ホテルにたどり着くまで2時間近くかかった。
新宿歌舞伎町。言わずと知れた日本最大の歓楽街だ。20代の時にも訪れたことがあるが、その時はちょっとした失敗で、ムダにお金を使った。まあ、若気の至りだ(苦笑)。幸か不幸か、当時よりはそちらの方への興味も減退しているので、名何事もなかった。
20年ぶりにあるく東京の中心部の繁華街。この20年で何が変ったかといえば、街を歩く若者のファッションに違和感を覚えなくなったことか。都会の流行が地方に伝播する速さが早くなり、地方にも、東京で売られているものと同じ服を揃えた店も増えたせいである。仕事で松山市内の中心部へ行くことが多いのだが、その時と印象は大して変らない。
ただ、東京は圧倒的に人が多く、繁華街の面積が広い。友部正人の詩そのままで
「行けども行けども見知らぬ街ばかり」
であることに変りは無い。
ようやくホテルを見つけ出した。一泊3500円のカプセルホテルだ。大会の公式サイトから宿泊先を探すと京王プラザホテルのようなところしか出てない。マラソン愛好家がみんな金持ちとは限らんぞと我ながら情け無いツッコミを入れたくなった。
「それはお前だけじゃ。」
と返されそうだ。そんなわけで、かつてはマラソンのメダリストも所属していた情報誌発行会社の旅行情報誌のサイトから検索して、このホテルの予約を取ったのだ。カプセルホテルというと、かつては、終電車が無くなった後も飲み続ける夜が多く、よく利用していた。久しぶりに利用するなと思いつつ、エレベーターに乗ってフロントのあるフロアに行くと、長い行列が並んでいた。しかもその半分以上はスポーツバッグと、東京マラソンの参加賞の入ったビニール袋を持っていた。自分だけではなかったと、ほっとした。行列に並ぶのは苦手なのだけど。
3500円というのは、入浴と宿泊だけの料金で、食事代も入っていない。中国から来たきれいなお姉さんのマッサージというサービスもあるが、これが宿泊料金とあまり変らない。
とりあえず、荷物を下ろして入浴を済ませて、食事に出かける。レースの前日ではあるが、居酒屋で冷えたビールを飲み干す。長旅の疲れを癒すためだ。そして、ゲンかつぎにとパチスロに入る。地方の郊外にあるやたらと広いパチンコ屋に慣れた者には珍しい、こじんまりした店だ。僕の好きな台が無かったので、あまりやらないジャグラーをやったら、最初の1000円で15000円も勝ってしまった。実は前日、出発する直前にもパチスロをしたのだが、そこで3000円負けたので止めたのだ。これでは旅費までつぎ込んでしまいそうになると思ったのだ。それを足しても差し引き11000円の儲け。この旅では幸運と不運の間をジェットコースターのように走り抜けているが、まだ幸運が残っているみたいだ。明日はいい1日になりそうだ。
何度が目を醒ましながら、6時に起床。思いついて、ジョギングをしてみようと思った。スタート地点である新宿の都庁まで走ってみようと思った。
走り始めるとすぐに、かつては「副都心」と呼ばれていた頃に建てられた高層ビルを眺めながら走り出す。かつてマイルス・デイビスや甲斐バンドが野外コンサートを行なったのはこの辺りだったのだろうか?唐突に見慣れた緑の看板が!
我が愛媛の地方銀行の新宿支店を発見した。ロビーに飾られた大きなポスターは年末にNHKで放映された、松山出身者を主人公にしたスペシャル・ドラマをモチーフしたもの。まるで、外国で日の丸の旗を見た時のような気分だ。松山というといまだに「坊ちゃん」を連想するあなた、遅れてますよ。今や「坂の上」と「俳句甲子園」と「白くまピース」ですよ。
都庁の前の公園でラジオ体操する人たちを見て、折り返す。もと来た道を走ったつもりが、どこかで間違えたみたいで、少し長く走ってしまった。
汗を流そうと風呂に軽く入った。後で思えば、シャワーだけにするべきだったと思う。
(つづく)
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