KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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2011東京マラソン参戦記~かんちゃん都へ行くvol.1

2011年04月04日 | マラソン参戦記
2011年2月25日

午後10時過ぎ、僕は伊予鉄松山市駅のバス待合室で夜食を摂っていた。コンビニで買ったおにぎりと、フライドチキン、そしてビール、のようでビールではないアルコール飲料。今日も8時過ぎまで仕事だった。本当なら出発まで風呂に入りたかったが、職場から少し離れすぎていて余裕が無く、断念した。

11時には大阪行きの高速バスがここを出発する。翌朝、夜明け前には大阪に到着し、そこから新幹線に乗り換える。目的地は東京。

10年前の長野マラソンを30代最後のマラソンとして走って、ちょうど10年過ぎて、40代最後のマラソンとして東京マラソンへの出場権を得た。この10年、フルマラソンは地元の愛媛マラソン以外走っていない。自ら望んでそうしたわけではなく、諸事情(主として金銭面)によってそうせざるを得なかったのだ。

10年前には、東京の中心で大規模の都市マラソンが開催されようとは夢にも思わなかった。2003年の東京国際女子マラソンは第25回記念として、男性ランナーにも出場資格が与えられたが、当時資格をクリアしていた(マラソンのベスト記録3時間15分以内)が出場は叶わなかった。それは今でも心残りである。もはや国立競技場を発着点とするマラソン大会は存在しないのだから。

'92年より開催された、新宿都庁落成記念として始まった東京シティマラソン、後にコースがお台場に移ったが、高速コースとして人気が高かった。このレースにも出てみたかったが、出場資格が東京在住者、もしくは在勤者に限定されていた。東京都に税金を納めていないと走れなかったのである。そして制限時間が2時間以内。これは今でも十分クリア出来るが、誰でも気軽に出られるような資格タイムではない。にも関わらず、5000人もの定員はいつも埋まっていた。今、全国から応募でき、関門制限時間を7時間にまで広げられた東京マラソンに30万人もの申込者が集まるのも、それほど驚くほどのことでもないのかもしれない。何度も言うようだが、この大会を終わらせたのが現都知事であることは、もはや忘れられているようだ。

まあ、そんな事はもはやどうでもいいことだ。40代最後のマラソンに東京を走れる、という幸運。10倍近い競争率を勝ち抜いて当選したのだが、これで残りの人生の運を何割使ったのだろうか?

10月に当選通知を貰っても、なかなかピンと来なかった。むしろ、3週前の愛媛マラソンで4時間を切ることで頭が一杯だった。それでも、バスや宿泊先の予約は早目に済ませたが、愛媛マラソンを完走してもなお、3週間後にマラソンを完走出来るかどうかは、全くの未知の体験だった。11月の半ばに足を故障し、予定していたハーフマラソンと駅伝への出場を断念した時は、不安でたまらなかった。ようやく、年内に練習を再開できたが、30km走を一度も行なわずに、愛媛マラソンのスタートラインに立った。

走り込み不足故に、後半は大きく失速したものの、3時間58分とギリギリで4時間を切ることが出来た。むしろ、これで、東京にはピークの体調で迎えられるのではないかと思った。

しかしながら、思わぬ危機が訪れた。

勤務先が、非正規社員の大量の雇い止めを行なうという計画が新聞で報じられたのである。折り悪く、そんな時期に仕事で失敗をしてしまった。もしかしたら解雇か、大幅な賃下げか。

一度は出場断念も考えた。バスや新幹線の予約をキャンセルし、払い戻して得た金を、4月以降の生活費の足しにしようかと考えた。しかし、今回の機会を逃したら、もう二度と東京を走る機会は無いかもしれないと思い、出場を決めた。もしかしたら4月以降はもう、走れなくなるかもしれない。

もともと、20年以上勤めた会社が倒産し、再就職する際に最も重視したのが、給料の額よりも、「日曜日に休みが取れるかどうか」だったのだ。おかげで、収入は3割減ったが、マラソンへの出場には支障が無かった。もし、今の会社から、3月の契約期間終了で、解雇となれば、もはや仕事は選べない。レースに出るどころか、休日のジョギングも出来ないような環境に身を置くことも避けてはいけないと覚悟した。そうなる前の「最後の思い出作り」として、東京行きを決断したのだった。

4月以降も、雇用契約を引き続き、現在とほぼ同じ条件(実際には、時給が10円下がった。)で延長すると告げられたのは、東京への出発当日だった。どうやら、まだ運は少しは残っていたようだ。

そんな事を考えているうちにバスがやって来た。今日の松山は気温18℃。花粉もかなり飛び交ったようで、目がかゆい。東京の花粉の量は愛媛よりも多いという。明後日の東京は気温が上がるという予報だ。

どこでも平気で眠れると思っていたが、深夜の高速バスは決して寝心地が良くない。思えば、10年前は神戸行きのフェリーに乗った。高速道路の割引制の影響で、京阪神方面行きのフェリーが無くなった。これは本当に残念である。バスより少し高いが、二等船室で雑魚寝する方がシートよりもずっと眠れるしリラックス出来る。

どうして飛行機で行かないのかなんて聞かないで欲しい。そういう質問を「マリーアントワネットのケーキ」というのだ。

フランス革命で処刑された女王、マリー・アントワネット、贅沢の限りを尽くした生活を過ごしていた彼女が、側近から
「下々の者は、パンも食べられない生活をしているのに。」

と聞かされた際に、

「じゃあ、ケーキを食べればいいのに。」

と答えたというエピソードに因んだ言葉である。

要するに、これが最も、東京へ行くのに、安価で、疲れを最小限に抑えたコースなのである。

一体何度目を醒ましただろうか。バスはようやく神戸に着いたようだ。梅田の手前、新大阪に停車するというので、そこでバスを降りた。少し胸がむかつく。食欲はない。ここから東京行きの「のぞみ」の始発便に乗る。

(つづく)



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