新大阪の駅で摂った朝食は、おにぎりとお茶。ぼ、ぼ、ぼくはお、おにぎりが好きなんだなぁ。
突然、山下清画伯が乗り移ってしまったが、本当におにぎりが好きなのだ。ハンバーガーや牛丼も嫌いではないのだが、自分で金を払って買って食べる事はほとんどない。
新幹線に乗るのも、10年前の長野マラソンに出た時以来である。ちょうど地元の駅で、「新幹線、それは日本人の憧れと誇り」というコピーのポスターを見たばかりである。3月になれば、青森から鹿児島まで新幹線で結ばれる。僕はそこから外れた四国からやって来た。だから、今も四国の住人にとっては新幹線は「夢の乗り物」であり続けている。
久しぶりの新幹線だ。窓から見える景色を楽しみたいところだが、バスでは熟睡出来なかったせいか、睡魔に襲われた。
気がつけば、京都も名古屋も通り過ぎていた。何やら車内がざわめいている。デジカメや携帯電話のカメラのシャッター音が響く。何ごとかと窓を見ると、富士山が見えた。外は晴れ渡っていて、富士山も綺麗に見える。
今や静岡の名所となっている東静岡駅前のガンダム像も見えた。世代のせいかもしれないが、僕はこのアニメについては全く知らないのだ。申し訳ない。
旅のお供に持っていく本があった。かつては、大江健三郎や開高健、沢木耕太郎や丸山健二らの小説やエッセイを長い旅の車内で読みふけっていた。今回、まだ読み終えていない、村上春樹の「アンダーグラウンド」を持ってきた。もしかしたら地下鉄に乗るかもしれないのに、地下鉄サリン事件の被害者へのインタビューを集めた本を読むのは縁起でもないかもしれないが、結局、本のページを開けることは無かった。
車内で、ナンバーカード引換券と同封されていた、大会の会場やコース案内のパンフレットを読んでいた。
東京が近づいてきた。高校の修学旅行で上京した際、多摩川を越えた辺りからドキドキしてきたことを思い出す。
東京駅を降りた。これから臨海鉄道に乗り換えて、ビッグサイトに行けば、ちょうど受付が始まる時間だと思ったところ、
!!!!
新幹線の車内で味わっていた高揚感が消し飛んだ。新幹線の車内にパンフレットとナンバーカード引換券の入った封筒を忘れてしまったのだ!
その時は落ち着いていた。どうせ駅の事務所に行けば、ちゃんと届けられているに違いない。しかし、車内の忘れ物として、封筒は届けられていなかった。座席の前のネットに差し込んでいたので、点検した人も見落としていたようだ。
既に車両は車庫にしまわれたという。そこでの点検で見つけられた忘れ物が事務所に届くのは翌日の午後になるという。
民営化して20年以上になるというのに、お役所的な応対のJRの駅員に憤慨しつつ、自らの不注意に大きく落胆した。
ここまで来たのに、走れずに終わりなのか。どうやら、ついに運を使い果たしたみたいだ。いったい何しに東京まで来たんだ。東京まで来て、走れずに帰るなんて。走る仲間や家族や職場の同僚たちに合わせる顔が無い。
落ち着け落ち着け。かつて、ある大会でナンバーカード引換券を忘れた際、受付会場で再発行して貰えたではないか。たいていの大会ではそうしている。東京マラソンでも、そうしているはずだ。
ビッグサイトへ行こう、とりあえず。
ビッグサイトへ行く為にどこの駅で乗り換え、何線に乗ればいいか、それらはパンフレットに載っていた。東京都の観光協会の電話を104で問い合わせて、ビッグサイトまでの行き方を聞いた。
東京の空は青く晴れ渡っていた。僕が子供の頃、東京は空も空気も汚れきっていると伝えられていた。臨海鉄道の車内から、「夢の島」が見えた。今は公園になっているが、かつては広大なゴミ捨て場だった。子供の頃に見た特撮ヒーロードラマでは、怪獣の棲家となっていた場所だ。3年前の北京五輪では、環境汚染がマラソンの開催を危ぶませたが、結果的に驚異的な五輪最高記録が生まれた。今の北京とあの頃の東京とでは、どちらの環境の方がマシだろう?
いや、東京国際女子マラソンが初めて開かれた頃の東京も、まだ大気汚染は改善されていなかったと記憶している。マラソンと言えば、福岡や大津(びわ湖)や別府のような地方都市で行なうものと決まっていた。東京でマラソンを行ない、それを民放テレビで中継する。ということが、本当に出来るのかと思えた時代があった。マラソン中継というのは、NHKにしか出来ないものだと思っていた。
ビッグサイトに着いた。既に、受付開始時間である11時は過ぎている。明日、東京を走る人が続々とつめかけ、長い行列が出来ている。この中で憂うつな気分なのは僕くらいだろう。
「引き換え券のない方は走れません。」
とあっさりと断られるとはないとは思うが、安心は出来ない。
ようやく、受付会場の中に入れた。
「すみません、引き換え券を忘れたんですが。」
「それなら、あちらで再発行の手続きをしてください。」
ようやく、安堵のため息が出た。
「いやあ、引き換え券を忘れたら走れないのかと思いましたよ。」
「こちらとしては、一人でも多くの方に走っていただきたいですから。」
数時間前までの高揚感が再び蘇った。明日、走れるのだ!来て良かった!
それにしても、この数日、幸運と不運の間をまるでジェットコースターのように駆け抜けている。とりあえず、幸運の在庫はまだ残っていたみたいだ。
(つづく)
突然、山下清画伯が乗り移ってしまったが、本当におにぎりが好きなのだ。ハンバーガーや牛丼も嫌いではないのだが、自分で金を払って買って食べる事はほとんどない。
新幹線に乗るのも、10年前の長野マラソンに出た時以来である。ちょうど地元の駅で、「新幹線、それは日本人の憧れと誇り」というコピーのポスターを見たばかりである。3月になれば、青森から鹿児島まで新幹線で結ばれる。僕はそこから外れた四国からやって来た。だから、今も四国の住人にとっては新幹線は「夢の乗り物」であり続けている。
久しぶりの新幹線だ。窓から見える景色を楽しみたいところだが、バスでは熟睡出来なかったせいか、睡魔に襲われた。
気がつけば、京都も名古屋も通り過ぎていた。何やら車内がざわめいている。デジカメや携帯電話のカメラのシャッター音が響く。何ごとかと窓を見ると、富士山が見えた。外は晴れ渡っていて、富士山も綺麗に見える。
今や静岡の名所となっている東静岡駅前のガンダム像も見えた。世代のせいかもしれないが、僕はこのアニメについては全く知らないのだ。申し訳ない。
旅のお供に持っていく本があった。かつては、大江健三郎や開高健、沢木耕太郎や丸山健二らの小説やエッセイを長い旅の車内で読みふけっていた。今回、まだ読み終えていない、村上春樹の「アンダーグラウンド」を持ってきた。もしかしたら地下鉄に乗るかもしれないのに、地下鉄サリン事件の被害者へのインタビューを集めた本を読むのは縁起でもないかもしれないが、結局、本のページを開けることは無かった。
車内で、ナンバーカード引換券と同封されていた、大会の会場やコース案内のパンフレットを読んでいた。
東京が近づいてきた。高校の修学旅行で上京した際、多摩川を越えた辺りからドキドキしてきたことを思い出す。
東京駅を降りた。これから臨海鉄道に乗り換えて、ビッグサイトに行けば、ちょうど受付が始まる時間だと思ったところ、
!!!!
新幹線の車内で味わっていた高揚感が消し飛んだ。新幹線の車内にパンフレットとナンバーカード引換券の入った封筒を忘れてしまったのだ!
その時は落ち着いていた。どうせ駅の事務所に行けば、ちゃんと届けられているに違いない。しかし、車内の忘れ物として、封筒は届けられていなかった。座席の前のネットに差し込んでいたので、点検した人も見落としていたようだ。
既に車両は車庫にしまわれたという。そこでの点検で見つけられた忘れ物が事務所に届くのは翌日の午後になるという。
民営化して20年以上になるというのに、お役所的な応対のJRの駅員に憤慨しつつ、自らの不注意に大きく落胆した。
ここまで来たのに、走れずに終わりなのか。どうやら、ついに運を使い果たしたみたいだ。いったい何しに東京まで来たんだ。東京まで来て、走れずに帰るなんて。走る仲間や家族や職場の同僚たちに合わせる顔が無い。
落ち着け落ち着け。かつて、ある大会でナンバーカード引換券を忘れた際、受付会場で再発行して貰えたではないか。たいていの大会ではそうしている。東京マラソンでも、そうしているはずだ。
ビッグサイトへ行こう、とりあえず。
ビッグサイトへ行く為にどこの駅で乗り換え、何線に乗ればいいか、それらはパンフレットに載っていた。東京都の観光協会の電話を104で問い合わせて、ビッグサイトまでの行き方を聞いた。
東京の空は青く晴れ渡っていた。僕が子供の頃、東京は空も空気も汚れきっていると伝えられていた。臨海鉄道の車内から、「夢の島」が見えた。今は公園になっているが、かつては広大なゴミ捨て場だった。子供の頃に見た特撮ヒーロードラマでは、怪獣の棲家となっていた場所だ。3年前の北京五輪では、環境汚染がマラソンの開催を危ぶませたが、結果的に驚異的な五輪最高記録が生まれた。今の北京とあの頃の東京とでは、どちらの環境の方がマシだろう?
いや、東京国際女子マラソンが初めて開かれた頃の東京も、まだ大気汚染は改善されていなかったと記憶している。マラソンと言えば、福岡や大津(びわ湖)や別府のような地方都市で行なうものと決まっていた。東京でマラソンを行ない、それを民放テレビで中継する。ということが、本当に出来るのかと思えた時代があった。マラソン中継というのは、NHKにしか出来ないものだと思っていた。
ビッグサイトに着いた。既に、受付開始時間である11時は過ぎている。明日、東京を走る人が続々とつめかけ、長い行列が出来ている。この中で憂うつな気分なのは僕くらいだろう。
「引き換え券のない方は走れません。」
とあっさりと断られるとはないとは思うが、安心は出来ない。
ようやく、受付会場の中に入れた。
「すみません、引き換え券を忘れたんですが。」
「それなら、あちらで再発行の手続きをしてください。」
ようやく、安堵のため息が出た。
「いやあ、引き換え券を忘れたら走れないのかと思いましたよ。」
「こちらとしては、一人でも多くの方に走っていただきたいですから。」
数時間前までの高揚感が再び蘇った。明日、走れるのだ!来て良かった!
それにしても、この数日、幸運と不運の間をまるでジェットコースターのように駆け抜けている。とりあえず、幸運の在庫はまだ残っていたみたいだ。
(つづく)
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