vol.2の最後で触れた、
「フィギア・スケートがマラソンみたいになっている。」
とは、実に言い得て妙だと思った。
マラソンと言えば、夏の五輪の花形種目と言われてきた。(ここで言う「マラソン」とは、男子マラソンのことである。念のため。)最終日に行なわれることが恒例になってきたが、東京五輪での円谷幸吉さんの銅メダルやメキシコ五輪での君原健二さんの銀メダルは、日本が獲得した陸上競技唯一のメダル(マラソンは陸上競技とは別の独立した種目と見なす意見もあるが)というだけではなかった。
なんと言っても、表彰式でメイン会場に国旗が揚る種目である。いかに体操やバレー、レスリングに柔道(メキシコでは実施せず)など「日本のお家芸」的種目でメダルを獲得しようとも、最後のマラソンでメダルが獲得できなければ「画竜点睛を欠く」と見なされていた。マラソンでメダルが取れるか否かが五輪の成功か失敗かの尺度と見なされていたようである。
我が家に今もボロボロになって残っている、「アサヒグラフ」のメキシコ五輪特集号の表紙は、当時世界最強だった日本男子体操チームでも、銅メダルを獲得したサッカーの釜本邦茂さんでも、兄弟で表彰台に上がったウェイト・リフティングの三宅義信さんと義行さんでもなく、
首を振りながらゴールする君原さんだった。
期待の種目が皆、メダルに届かず、という状況の中で迎えた女子フィギアで、荒川静香が金メダルを獲得した。まさに待望のメダルと言えるだろう。彼女がどれだけ重圧を意識していたか分からないが、それをはね返すだけの精神力を備えていたようだ。「イナバウアー」は今年の流行語大賞になるかもしれないし、大晦日には、6月のW杯で最も目立つ活躍をした選手とともに紅白歌合戦の審査員席にも招かれるだろう。(今年、紅白やるのかな?)
実は不覚にも、メダルの決まった瞬間を見逃してしまった。当日の朝は出勤日だったが、寝坊してしまい、テレビをつけずに家を出て、朝8時前のラジオのニュースで彼女の金メダル獲得を知ったのだった。
思えば、札幌五輪(僕が、五輪は冬もするものだと知った最初の大会)の70m級ジャンプでの表彰台独占も、もう1つのメダル獲得期待種目だったスピードスケートの男子500mの完敗を受けての快挙だった。これがあったからこそ、札幌五輪が「成功」と言われたのであろう。
今回の女子フィギアが「マラソン化」していたのはもう1つ。女子マラソンのように、代表選考が物議を醸した事だろう。
率直に言って、フィギアのような採点種目と、マラソンのような記録を選考のポイントとする種目を同一視できないと思う。僕が採点種目を好きになれないのは、選手の能力とは無関係の要素が介入する余地があるからだ。
今回、年齢制限のルールで五輪出場のできない選手をルールの改正を求めてまでも代表にさせるべきか否かが、論議の的となった。僕は無理にルールを変えるまでもないと思ったのだが、異論を唱える人もいた。
スポンサーの意向がどうとか、協会の役員の意向がこうとか言う以前に、未だ義務教育を終えてもいない子供に、幹部候補生の自衛官でさえも自ら死を選んでしまうような「メダルの重圧」を与えていいのだろうか?僕はただ、そう思っただけである。「毒舌」を売り物にしていた某タレントがかつて、
「フィギア・スケートって、角兵衛獅子みたいなもんじゃねえか。幼児虐待にならないのか?」
などとコメントしていたが、彼も、映画監督として「世界の巨匠」と言われるようになってから、これほどの暴言は言わなくなってしまった。
今回の3人の代表が選ばれたのは、彼女たちの出演しているチョコレートのCMのスポンサーの意向だという話も耳にした。アテネ五輪の女子マラソンで、前回の金メダリストが落選したのは、彼女が陸連公式飲料のライバルのドリンクのメーカーと契約していたからだという説もあったなあ。あれだけ、結果のはっきりした選考レースを見てさえも、そういう判断をしてしまう人もいるのだなあ。そういう人を「ジャーナリスト」というらしい。
いずれにしても、荒川の金メダルで、スケート連盟の関係者は胸をなでおろしたことだろう。アテネの女子マラソンで、野口みずきの金メダル獲得で、最近、某サイトで「泣き虫お兄さん」呼ばわりされている強化委員長が満面の笑みを浮べていたというが、まさに同様の安堵感を覚えたに違いない。
ところで、長野五輪の前には、マラソンを夏の五輪で実施すると過酷な条件になり、記録も出ないから冬季五輪の種目にする、という話もあったのだが、(千葉真子が開会式の聖火ランナーを務めたのもその布石という説もあった。)あれはどうなったのだろう?サマランチの退任とともに消えてしまったのだろうか?
マラソンと言えば、「雪上のマラソン」と言われているクロカン・スキーだが、もし、マラソンにおいても、ランナーが30秒毎に一人ずつスタートして、全員がゴールしてはじめて、総合順位が判明する「インターバル・スタート」を導入したら、はたして、どんなレースになるだろう?ランナーにしても、自分が現在何位にあたるのかが分からず、不安になるのではないだろうか?あるいは、駅伝のような走り方になるのだろうか?
一度、実施してもらいたいような気がする。「探偵!ナイト・スクープ」とかで実験できないものだろうか?
「フィギア・スケートがマラソンみたいになっている。」
とは、実に言い得て妙だと思った。
マラソンと言えば、夏の五輪の花形種目と言われてきた。(ここで言う「マラソン」とは、男子マラソンのことである。念のため。)最終日に行なわれることが恒例になってきたが、東京五輪での円谷幸吉さんの銅メダルやメキシコ五輪での君原健二さんの銀メダルは、日本が獲得した陸上競技唯一のメダル(マラソンは陸上競技とは別の独立した種目と見なす意見もあるが)というだけではなかった。
なんと言っても、表彰式でメイン会場に国旗が揚る種目である。いかに体操やバレー、レスリングに柔道(メキシコでは実施せず)など「日本のお家芸」的種目でメダルを獲得しようとも、最後のマラソンでメダルが獲得できなければ「画竜点睛を欠く」と見なされていた。マラソンでメダルが取れるか否かが五輪の成功か失敗かの尺度と見なされていたようである。
我が家に今もボロボロになって残っている、「アサヒグラフ」のメキシコ五輪特集号の表紙は、当時世界最強だった日本男子体操チームでも、銅メダルを獲得したサッカーの釜本邦茂さんでも、兄弟で表彰台に上がったウェイト・リフティングの三宅義信さんと義行さんでもなく、
首を振りながらゴールする君原さんだった。
期待の種目が皆、メダルに届かず、という状況の中で迎えた女子フィギアで、荒川静香が金メダルを獲得した。まさに待望のメダルと言えるだろう。彼女がどれだけ重圧を意識していたか分からないが、それをはね返すだけの精神力を備えていたようだ。「イナバウアー」は今年の流行語大賞になるかもしれないし、大晦日には、6月のW杯で最も目立つ活躍をした選手とともに紅白歌合戦の審査員席にも招かれるだろう。(今年、紅白やるのかな?)
実は不覚にも、メダルの決まった瞬間を見逃してしまった。当日の朝は出勤日だったが、寝坊してしまい、テレビをつけずに家を出て、朝8時前のラジオのニュースで彼女の金メダル獲得を知ったのだった。
思えば、札幌五輪(僕が、五輪は冬もするものだと知った最初の大会)の70m級ジャンプでの表彰台独占も、もう1つのメダル獲得期待種目だったスピードスケートの男子500mの完敗を受けての快挙だった。これがあったからこそ、札幌五輪が「成功」と言われたのであろう。
今回の女子フィギアが「マラソン化」していたのはもう1つ。女子マラソンのように、代表選考が物議を醸した事だろう。
率直に言って、フィギアのような採点種目と、マラソンのような記録を選考のポイントとする種目を同一視できないと思う。僕が採点種目を好きになれないのは、選手の能力とは無関係の要素が介入する余地があるからだ。
今回、年齢制限のルールで五輪出場のできない選手をルールの改正を求めてまでも代表にさせるべきか否かが、論議の的となった。僕は無理にルールを変えるまでもないと思ったのだが、異論を唱える人もいた。
スポンサーの意向がどうとか、協会の役員の意向がこうとか言う以前に、未だ義務教育を終えてもいない子供に、幹部候補生の自衛官でさえも自ら死を選んでしまうような「メダルの重圧」を与えていいのだろうか?僕はただ、そう思っただけである。「毒舌」を売り物にしていた某タレントがかつて、
「フィギア・スケートって、角兵衛獅子みたいなもんじゃねえか。幼児虐待にならないのか?」
などとコメントしていたが、彼も、映画監督として「世界の巨匠」と言われるようになってから、これほどの暴言は言わなくなってしまった。
今回の3人の代表が選ばれたのは、彼女たちの出演しているチョコレートのCMのスポンサーの意向だという話も耳にした。アテネ五輪の女子マラソンで、前回の金メダリストが落選したのは、彼女が陸連公式飲料のライバルのドリンクのメーカーと契約していたからだという説もあったなあ。あれだけ、結果のはっきりした選考レースを見てさえも、そういう判断をしてしまう人もいるのだなあ。そういう人を「ジャーナリスト」というらしい。
いずれにしても、荒川の金メダルで、スケート連盟の関係者は胸をなでおろしたことだろう。アテネの女子マラソンで、野口みずきの金メダル獲得で、最近、某サイトで「泣き虫お兄さん」呼ばわりされている強化委員長が満面の笑みを浮べていたというが、まさに同様の安堵感を覚えたに違いない。
ところで、長野五輪の前には、マラソンを夏の五輪で実施すると過酷な条件になり、記録も出ないから冬季五輪の種目にする、という話もあったのだが、(千葉真子が開会式の聖火ランナーを務めたのもその布石という説もあった。)あれはどうなったのだろう?サマランチの退任とともに消えてしまったのだろうか?
マラソンと言えば、「雪上のマラソン」と言われているクロカン・スキーだが、もし、マラソンにおいても、ランナーが30秒毎に一人ずつスタートして、全員がゴールしてはじめて、総合順位が判明する「インターバル・スタート」を導入したら、はたして、どんなレースになるだろう?ランナーにしても、自分が現在何位にあたるのかが分からず、不安になるのではないだろうか?あるいは、駅伝のような走り方になるのだろうか?
一度、実施してもらいたいような気がする。「探偵!ナイト・スクープ」とかで実験できないものだろうか?
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