天智天皇は、乙巳の変(いっしのへん)で、蘇我氏を倒して権力をとった天皇、
天武天皇は、壬申の乱で、天智の子(大友皇子)に勝利して即位した天皇です。
天武天皇は、このような皇位継承争いが千年の後まで起こらないよう、
皇子たちに誓わせるため、皇后と、6人の皇子を伴い
765年5月5日、吉野に行幸しました。
その時、天武天皇が詠んだ歌。
よき人の よしとよく見て よしと言ひし
吉野よく見よ よき人よく見
(ワタクシ流口語訳)
よき人(立派な人)が よい所だとよく見て よし(の)と言った
この吉野をよく見なさい、よき人よ〈皇子たちのこと)よく見なさい
「よし」を強調した歌。
『万葉集』が編纂(へんさん)されたのは、仮名がない時代なので、
次にように、六種類の「よし」が記されています。
淑人乃 良跡吉見而 好常言師 芳野吉見与 良人四来三
6人の皇子は
草壁(くさかべ)皇子 天武3子、母は天智次女、皇后(持統天皇)
大津(おおつ)皇子 天武2子、母は天智長女、皇子4歳の時、母死去
高市(たけち)皇子 天武長子、母は豪族の娘
河島(かわしま)皇子 母は女官
忍壁(おさかべ)皇子 天智天皇の子
志貴(しき)皇子 天智天皇の子
『日本書紀』のこの件、
「久遠の平和を誓い合った愛情あふれる情景」で「深く感銘を受けた」と
、亀井勝一郎は『大和古寺風物詩』に書いています(昭和17年秋)。
その著書での、『日本書紀』の読みくだし文。
天武天皇が亡くなったのは、この吉野行幸から11年後の686年でした。
しかし、天皇の死の直後(20日ほど)、皇后は、
「大津の皇子が謀反を企てた」として自殺させます。
さらに、都を奈良に移したあとの729年には、
皇位継承の有力候補、長屋王も無実の罪によって滅ぼされます。
長屋王は、父が天武天皇の長子である高市皇子、
母は、天智天皇の娘であり、元明天皇の姉、
妻は、文武・元正天皇の姉妹でした。
これらの「天皇後継争い」については、歴史の本に出ています。
一方、
天武天皇が6人の皇子に、
「6人は違う腹から生まれてきたが、同じ腹から生まれた兄弟のように慈しむ」といって
、襟を開いて、一人一人を抱きしめた。
千年の後まで平和であるよう、血族の争いを憂い、和を願った。
などは、『万葉集』やの解説や、小説・漫画、観光ガイドで私たちが知るところです。
*
*
さて、次の「大友皇子と大伯皇女(おおくのひめみこ)」の放送は、
もっともっと厄介な講義だったので、
『万葉集』の聞きかじりを書くのは、いったん休止します。
(最後までお読みいただき ありがとうございました)
天武天皇は、壬申の乱で、天智の子(大友皇子)に勝利して即位した天皇です。
天武天皇は、このような皇位継承争いが千年の後まで起こらないよう、
皇子たちに誓わせるため、皇后と、6人の皇子を伴い
765年5月5日、吉野に行幸しました。
その時、天武天皇が詠んだ歌。
よき人の よしとよく見て よしと言ひし
吉野よく見よ よき人よく見
(ワタクシ流口語訳)
よき人(立派な人)が よい所だとよく見て よし(の)と言った
この吉野をよく見なさい、よき人よ〈皇子たちのこと)よく見なさい
「よし」を強調した歌。
『万葉集』が編纂(へんさん)されたのは、仮名がない時代なので、
次にように、六種類の「よし」が記されています。
淑人乃 良跡吉見而 好常言師 芳野吉見与 良人四来三
6人の皇子は
草壁(くさかべ)皇子 天武3子、母は天智次女、皇后(持統天皇)
大津(おおつ)皇子 天武2子、母は天智長女、皇子4歳の時、母死去
高市(たけち)皇子 天武長子、母は豪族の娘
河島(かわしま)皇子 母は女官
忍壁(おさかべ)皇子 天智天皇の子
志貴(しき)皇子 天智天皇の子
『日本書紀』のこの件、
「久遠の平和を誓い合った愛情あふれる情景」で「深く感銘を受けた」と
、亀井勝一郎は『大和古寺風物詩』に書いています(昭和17年秋)。
その著書での、『日本書紀』の読みくだし文。
天武天皇が亡くなったのは、この吉野行幸から11年後の686年でした。
しかし、天皇の死の直後(20日ほど)、皇后は、
「大津の皇子が謀反を企てた」として自殺させます。
さらに、都を奈良に移したあとの729年には、
皇位継承の有力候補、長屋王も無実の罪によって滅ぼされます。
長屋王は、父が天武天皇の長子である高市皇子、
母は、天智天皇の娘であり、元明天皇の姉、
妻は、文武・元正天皇の姉妹でした。
これらの「天皇後継争い」については、歴史の本に出ています。
一方、
天武天皇が6人の皇子に、
「6人は違う腹から生まれてきたが、同じ腹から生まれた兄弟のように慈しむ」といって
、襟を開いて、一人一人を抱きしめた。
千年の後まで平和であるよう、血族の争いを憂い、和を願った。
などは、『万葉集』やの解説や、小説・漫画、観光ガイドで私たちが知るところです。
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さて、次の「大友皇子と大伯皇女(おおくのひめみこ)」の放送は、
もっともっと厄介な講義だったので、
『万葉集』の聞きかじりを書くのは、いったん休止します。
(最後までお読みいただき ありがとうございました)