kankoのひとりごと

外出できず、ネットと電話・ラジオで日々が過ぎています

万葉集の歌と、歴史

2022年06月18日 | 古典聞きかじり
NHKラジオの「古典講読」、この4月からのテーマは
歌と歴史でたどる『万葉集』

興味深く聴いています。
予約録音しているので、寝る前に何度でも聞けます。
(私の睡眠用特効薬)

テーマの「歌と歴史でたどる」部分
私は「歌」よりも「歴史」が気になります。

講師は、その歌がよまれた時代や人間(姻戚)関係の説明に
大部分の時間を使っています。
(それが理解できれば、歌は日本語ですから)

万葉集の時代(6~7世紀頃)の世の中と天皇等の動きは、
「これが『日本書紀』の記述です、と言う風に説明しています。

『日本書紀』は、天武天皇の命でまとめられた「わが国最初の歴史書」。
編者は、天武天皇の皇子のひとり、舎人親王(とねりしんのう)などで
天皇の死(686年)の後、720年に完成。

「変」や「謀反」、「百済出兵」など
激動の社会を生き抜いた天智天皇は、671年12月没。46歳。

翌672年7月に「壬申の乱」を勝ち抜いた大海人皇子(天武天皇)は
安定した基盤つくりを始めた。
天武天皇の死後は、皇后の持統天皇に受け継がれ
この時代は、「天武・持統朝」と呼ばれる。


私が学んだ半世紀以上前は、
戦前の「皇室史観」への反省から
「勝者の書いた歴史書の丸呑みはよくない」とされていたが
文武・持統朝以降では、『日本書紀』記述の信憑性も認められているようだ。

奈良の各地での発掘や研究が進み、
奈良市で、長屋王邸宅跡が見つかったのは、1988年。
わが国最古の銅銭「富本銭」の鋳造跡は、1998年。

私の手元には、『日本書紀』からの項目を
敬語びっしりで説明した本もあり
記述内容の矛盾を説明した本もあり。
あちこち読んだり、60年前を思い出したりもして、混乱中。

マスコミ報道で注目を浴びたニュースでも
その時々で、途切れているもんですね。
歴史の流れとして「和歌」で説明されると
何とも、まとまらないまま、
1週間も10日も過ぎています。

しばらくご無沙汰の経緯説明でした。

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