kankoのひとりごと

外出できず、ネットと電話・ラジオで日々が過ぎています

古代王族の婚姻(1)

2022年06月04日 | 古典聞きかじり
NHKラジオの古典講読「歌と歴史でたどる『万葉集』」を興味深く聞いています。

テーマに「歴史でたどる」とあるように、放送では「歴史」面が多い。
「権力闘争の歴史」で重要なのが婚姻であり、
人間関係、氏族同士の関係を作るものなので、
愛とか何とかじゃなくて、政治そのものなんですね~。

「日本古代では母系の持つ力が相対的に大きいので、
女性をどうやり取りするかが非常に重要だった」


あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る

よく知られているこの歌、
天智天皇の妻:額田王が、かつての夫:大海人皇子に贈った恋歌として、
ロマンチックに想像されていますが…。

天智天皇には多数の妻がいて、額田王はそのうちの一人。当時40代。
大海人皇子との間に生まれた十市皇女が、彼らの孫を産む年頃。
歌がうまく、宴会でのスターでした。
彼女の和歌を、会場で唱和し、団結を固めていたそうです。
(平仮名がなく、漢字で記された和歌は、難解で読み間違いもある、
それを後にまとめて『万葉集』ができた)

天智天皇は、中大兄皇子の時、大化の改新の実行者でした。
大兄(おおえ)は、皇子の年長者のこと。
その次の皇子なので、中の大兄です。



天智天皇と大海人皇子は同母兄弟。

天智天皇は、娘4人を、弟:大海人皇子の妻にしました。
うちの一人が持統天皇になり
別の娘を
持統の子:草壁の皇子と結婚させ、元明天皇になりました。

姉妹型一夫多妻婚。

天智天・天武の妻が何人か、年表の資料で調べたけど分からない。
やりとりしているからでしょう。

大海人皇子、皇后は持統。
(妻は10人位、うちの一人が額田王)

天武天皇になった大海人皇子と、持統天皇の子孫が、
のち何代かの天皇を継承していきます。


今の時代感覚では、すんなり入り込めないことばかり。

話変わって、大河ドラマは、
鎌倉時代の権力闘争を現代感覚にアレンジししていますね。
こちらはこちらで、付いて行けないことが多いです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする