kankoのひとりごと

外出できず、ネットと電話・ラジオで日々が過ぎています

台風一過

2022年09月20日 | 日記
台風14号、こちらは何事もなく通り過ぎた。
今朝になって、木の葉や小枝が道に散らかっているのではと思い、外を見たが、少しだけだった。
掃除はしておいた。

「嵐のあと」で思うのは、30年くらい前、叔母の49日法要で鎌倉に行った時のこと。
遠方から行ったので、鶴岡八幡宮への参道沿いのホテルをとってくれていた。
参道の中央には、段葛(だんかずら)という、盛り土された桜並木。
夜、暴風雨だった。
横殴りの雨だけでなく、木の葉や小枝も、窓に激しくぶつかっていた。

朝になって外へ出た。参道には落葉の一つもない。
しばらく行くと、掃除道具を片付けている人々を見かけた。商店街の人みたい。
さすが、観光地だ。
感心したので、私も暴風のあとは、家の周りを掃除している。

納骨は、鎌倉霊園だった。
50年くらい前に、転勤族だった叔父が横浜に引っ越した時のこと。
たくさんのクルマが奥の方へ連なっていくのを見た。
「奥に何があるの?」と聞いたら「西武が開発した大きな霊園」と教えてくれたそうだ。
叔父には4人の子の他、お骨になった子がいる。その子の安住の地をと、墓地を購入した。

霊園は、富士山と太平洋を臨む広い所だった。
山全体が墓地。
近くの山には、高圧電線。
墓地と電線のために山がある、と思えた。

有名人のお墓も目についた。
レリーフが見えた、「我らのテナー・藤原義江」。
訪れる人は絶えており、名刺入れや辺りには、変色したメモなどが散らばっていた。
音楽好きの従兄が、「家族はなく、帝国ホテル暮らしだった」と、教えてくれた。
カトリック教会の神父さんのも多かった。
太平洋の向こうか、アメリカ大陸の向こうを見つめているのかもしれない。
(この時、私は墓地は要らない、と決めた)

今日は彼岸の入り。
ご先祖様にお参りもせず、手を合わせることもせず、山のような洗濯物たたみに励んでいます。

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