Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

逆さまだったり横向だったり(イスタンブール)

2011-04-05 23:59:30 | トルコ
今日はまた寒いのが舞い戻ってきました。

この前の番組で玄侑宗久氏も指摘してたことだが、どうも原発のメルトダウンは3月15日に既に起こっていた・・という指摘、考えれば考える程そうだったのかも・・と思ってしまう。

たしか、当日は計器の故障でデーターがとれなかった、という説明だったと思うが発電所正門のデータは発表されてなかったと思う。それが事実かどうか、kおばちゃんは指摘することはできないが、周りの数値が以上にこのときはね上がっている事実は何をしめしているんだろう。

2月に見た番組を思い出した。フィンランドの核廃棄物の処理施設の特集。にオルキルオトOlkiluotoにある原子力発電所のそばにはオンカロ と呼ばれる核廃棄物埋蔵処理施設があり、地中深く廃棄物を処理するという。
それは最終処分で、核廃棄物が出す放射線が生物にとって安全なレベルに下がるまでに、欧州の基準では少なくとも10万年かかると考えているからだということだったと思う。

日本で起きた原発事故、東電の社長が病に倒れるわけもきっと15日におきたメルトダウンの責任の重さ故のことじゃないか・・と思っているのだけれどもね。
どちらにしても最高潮の危険は終わってしまって、後始末にじたばたしているということろなんだろうな。
でも、その廃棄物というか、汚染物質をどうやって処理するのか・・何処へ持ってゆくのか・・という手立てはあるのだろうか。と急に思い出したのであります。

自国での核廃棄を計画していないんじゃないかと思うのですけどね。どうなんでしょうね?核再利用というのは聞いた覚えはありますけど、廃棄ということはどういう計画だったのかと、番組を思い出して疑問に思ったkおばちゃんです。

○1月3日(月)

地下宮殿の見学はまだ続きます。なんせ、ここでの一番の有名なものにまだであっていないからです。

なんとなく人にくっついて歩くkおばちゃん。きっとこっちね。
これですね。

皆さんここで記念写真を撮ってますから。
一緒にチーズ

この方は『メドゥーサ』と呼ばれています。ギリシャ神話に出てくる髪の毛が蛇でできる女性じゃなかったでしょうか。


それが柱の土台になってます。しかもさかさま・・
このメドゥーサは何処から誰が運んできたかは不明のようですが、もともといろんなところの廃材のようなもを使ってつくられているようだから、意味はないのかもしれませんね。

もしここで利用されるのでなければ、何処で使用されるつもりだったんでしょうね?
さかさまでごめんなさい。

冒頭の画像もそうですが、こちらはな何故か横向きです。
半分お顔が漬かってます。そして、柱のただの土台として使われているような感じですね。


それでもみんなの人気者。代わりばんこで記念撮影です。


こちらは先程の孔雀の目の柱ですね。

入り口から降りてきたところと反対側の端っこまで来ました。


水中には小魚が泳いでます。kおばちゃんには金魚にみえてしまいました。


ところで、この地下宮殿の貯水池の水ですが、イスタンブールの黒海に近いベオグラードの森付近から水が引かれているという話です。

さて、あとはもう良いかな?帰りましょう・・と出口に向かっていたらカフェがありました。


ここで、kおばちゃんはあるものを発見しました。それはこれ。黄色くないほうです。


何だと思います?ざくろです。これをジュースにしてくれるそうです。
それがこれです。

パックのジュースは飲んだことがありましたが、ナマ絞りたては初めてです。
お味は・・ちょっと渋かったです。でも美味しかったですよ。

さて、もう一箇所くらいは行けるかな?と地上に戻るkおばちゃんです。
そういえば、ここ地下宮殿の出口は入り口とは別の場所です。で、出口の手前にはおみやげ物の売店がありましたが、そこを除く時間はありませんでした。残念ね。
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不思議な地下空間(イスタンブール)

2011-04-04 23:19:28 | トルコ
昨日番組をみていたら三春町にお住まいの玄有宗久氏の対談をやっていたのだが、そこで語っていたのは福島の原発からの放射能が『東風』にのってやってくということ。

三春はその名の示す通り、三つの春(梅、桃、桜・・だったと思う・・)が同時に咲くからと聞いたことがある。
その開花を即すのが東風。それが怖いというのだから・・

kおばちゃんは、もう随分と前に出稼ぎの帰りに立ち寄ったことがあるのだが、あのとき見た滝桜、今年は花を咲かせてくれるのか。1000年以上の歳月に耐えている桜が今後どうなるのだろう。

訪れた時はカメラなんか持っていなかったので記念に買ったテレカと記憶だけのさくらです。

滝桜を見に行こうと待っていたバス停で、おばあちゃんに声を掛けられた。
今から思うと白内障で殆ど見えてなかったんじゃないか・・と思うのだが、到着するバスの行き先を聞くのだ。表示が見えないんだよ・・って言いながら。

七重八重に腰の曲がったおばあちゃん。片方に杖。片方にビニール傘を杖代わり。要するに両方で杖を付いているような格好だったおばあちゃん。
行き先を聞て、バス停の時刻表を調べたら・・あと2時間も先のバス。その旨告げてお別れてしてバスに乗ったのですけど・・あのおばあちゃんはどうしているだろうかとふと思った。

こんなことが起きるなんて、滝桜もさぞ戸惑っているんじゃないか・・とおもったkおばちゃんです。

○1月3日(月)

さてさて、思わずチャイで喉を潤し、体もあったまったkおばちゃん。脳みそも少し動いてきました。

これから先、行きたいところは2箇所。で、その一つに向かっていたのだけれども・・考えてみたら今行こうとしているところは時間制約はそれほど厳しくないはず。
で、もう一箇所の方はたしか『開館時間』が決まっている・・ということで、行き先変更。で来た道を戻ることにした。
いいたりきたり・・まったくなにやってんだか・・最初入り口が中々見つからなかった。

辿り着いたのはBasilica Cistern地下宮殿Yerebatan Sarayıと呼ばれているところです。
上から見るとこんなところです。

ここはもともとは、6世紀東ローマ皇帝のユスティニアヌス1世Justinianus Iによって貯水タンクとしてつくられたということです。

6世紀にこんんなことをしてしまうってすごいですね。

長さ138m・幅65mの長方形の空間でに、高さ9m、1列12本で28列、合計336本の大理石の円柱が並んでいるようです。


階段を下りて割りとすぐのところにこんなオブジェがおいてありました。宇宙のようです。


こんなジオラマのようなものもおいていありました。

片隅には、スルタンの衣装を着て記念写真を撮ってくれるコーナーもありました。


もう、閉館時間が近いのでお暇なようです。

それにていも不思議な空間ですよね。

奥に進んでみましょう。

水の中には魚が泳いでします。1985-1988年にかけて浄化が行われたのできれいになったんでしょうね。


面白いのはここの柱。なんでも、地下だからかどうかわかりませんが寄せ集めのようです。

こんな柱も1本ありました。

これは孔雀の目の柱Peacock Eyed Columnと呼ばれているようです。

模様が孔雀の目?のようですよね。
でも、こんな柱・・どんな建物に使われたんでしょうね?なんだか、モダニズムのような感じもします。いや、岡本太郎か??

普通このような柱が大部分です。
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墓場でお茶を(イスタンブール)

2011-04-03 23:43:05 | トルコ
今日はお天気が今ひとつ。
気分も今ひとつ。なんだか変な疲れが溜まっている感じ。花もつまってるしな・・

桜の花も咲き出したが、今年は諸般の事情で花見自粛だそうであります。
で、この自粛に関して世間様は『そこまでやらなくても・・』という意見も散見されるのだが、kおばちゃんとしては大賛成なのである。

何故か、それは花見にかける税金が少なくなるからであります。
kおばちゃんの近所にもまあまあの花見の名所はあるのだけれども・・毎年、花見で出るゴミの処理のためにいろいろと行政が特別に予算を使ってるのを目の当たりにしているので、このご時世でそんなことに税金を使ってくれるな・・と思ったからであります。

桜をめでて、宴を催すのはかまいません。でも、ゴミはもって帰ってくださいね。という『自粛』だとおもっているのです。

それをどうもマスゴミは違うように解釈しているようで、何ででしょうね?

○1月3日(月)

さてさて、スルタンアフメット・モスク、通称ブルーモスクの見学を終えて・・出口は入り口と違うところに出ました。
正面ゲートから一番近い出入り口です。


正面にアヤ・ソフィアが見えます。


外に出るとよりはっきり見えます。


アヤソフィアAyasofyaはキリスト教の大聖堂としてビザンチン時代に建設聖堂だそうです。現在は博物館となっていてモザイクがが有名なのですが・・残念ながら今日月曜日はお休みで、今回はkおばちゃんにご縁はありませんでした。残念!!

で、次にkおばちゃんの行きたいことろは2つあります。
最初に思いついたところに向かいかけた時に・・出た!


いえ、お化けではありません。観光客に親切(そう)に声を掛けてくる男性です。
今回の場合は男性というよりも男の子ですね。kおばちゃんから言わせれば。息子といっても良いくらいのお兄ちゃんです。

『観光できてるの?何処の国から来たの?トルコは初めて?』
おお、これが噂に聞く客引きか!?

青年は英語で聞いてきます。
一瞬嘘をつこうかな?と思ったけど根が小心者ののkおばちゃんが『正直に』答えました。
『日本から来たのよ。トルコは初めてじゃないけどイスタンブールは始めてよ。』

すると、男の子は『トルコは何処へ行ったことはあるの?』と聞いてきます。
さて、何処の地名を言おうかな?と考えて思いついたのは、去年3泊した『チェシュメÇeşme』です。だから、『チェシュメよ』と答えると、『僕は行ったことがないけど海がきれいなんでしょ?』と話を進めてきます。

そろそろうざったくなってきたkおばちゃん。『それじゃね!さよなら!』と言って早足で角を曲がってしまいました。
まったく、残り時間の少ないkおばちゃんの『時泥棒』ですね。

イスタンブール領事館の安全情報にもしつこい、声かけの注意がのってましたので、あまり相手にしないほうがよろしいかと思い・・さっさと別れました。
おかげで飛んだ裏通りに飛び込んでしまいましたけどね。

さて、裏通りから行き先修正したのですが、あの少年がまだうろついているとめんどくさいし・・そろそろ体も冷えてきたのでお茶でも飲みないな・・でもへんなところに入るのはいやだな・・とうろちょろしている時に『カフェ』の看板を見つけました。

でも、どうみても・・お墓なんですよね。入り口にあるのは。


後で調べたらやっぱりお墓でした。 マフムト2世のお墓II. Mahmut Türbesiだと思います。

で、この奥にありました。


ここはどうもトルコ文化センター・アートセンターTürk Ocağı Kültür Sanat Merkeziの一角にあたるのでしょうか?

kおばちゃんは中に入り、テラス席の囲いのしてあるところに座りました。


皆さん、お友達同士、仲間同士なのでしょうかお茶(チャイ)を飲みながらおしゃべりに興じてます。
しかも、一杯だけじゃなくって・・チャイを運んでくるお兄さんからお変わりをもらったりしています。

kおばちゃんはあったかくて美味しいりんごのチャイを頂きました。

足の疲れも吹っ飛びます。

どうも回りは皆さんトルコの方ばかりのようで・・観光客はkおばちゃん一人のようでした。

このカフェはトルコ文化芸術センターのカフェCafé türk ocagi kültür ve sanat merkeziということだと思います。
偶然入った墓場の奥だけれども素敵なところでしたよ。
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ブルーの輝き(イスタンブール)

2011-04-02 23:22:46 | トルコ
昨日の帰りのことである。
職場でグズグズしていたら・・ちょっと遅くなってしまった。
最近は帰りはなるべく長く歩けるルートを(運動不足解消のため)とってかえっているのだけれども、ある交差点でいっしょになった男性。黄色いジャンパーのようなものを着ていた。

どこかで見たことのあるようなジャンパーだな・・と思っていたのだが、彼がふと横を向いたときに背中の文字が見えた『○子力安全・・』ああ、最近テレビでよく見る組織の人たちね。

いったい何時になったら運転停止になるのやら。改めてエネルギーのすごさを思い知るとともに、こんなコントロールできないものを利用していたという空恐ろしい気持ちがわいてきた。

kおばちゃんは原発反対とは思っていない。けれども、これほど原発にたよった電力に取り込まれていたということを改めて認識しています。
行け行けどんどん・・で来てしまった生活様式。いきなり実家の仕送りがなくなったような状態で・・・慣れていくしかないんでしょうね。

そういえば、kおばちゃんのお仲間でアメリカのアラモアナというところにお勉強に行ってた奴がいるのだが、何でアラモアナ?ときいてた、そこで原爆の実験研究をしていたので、放射線医療やそういうことが秀でているということだった。

うまく使えば、それこそ『薬』なのでしょうけど、コントロールできなければ『毒』出しかないということですよね。なだかな・・

信号待ちをいていたジャンパーの男性をじろじろみたら失礼・・とは思ったけど、とってもきになったkおばちゃんでした。

○1月3日(月)

やっとこさトプカプ宮殿の見学を終えたkおばちゃんですが、もう一つか2つは観光地を楽しみたいと思っていたんです。

で、向かった先は・・こちらです。有名な観光地!


立派なモスクです。スルタンアフメットモスクSultanahmet Camii です。


モスクの特徴はこのミナレットが6本あるというものらしいのですが・・数えなかった。

出入り口は数箇所あるのですが、観光客用の出入り口はずーーと後ろのほうです。


後ろに回って靴を脱いで入ります。
靴を脱いだものを渡された袋にいれるのですが、kおばちゃんの隣で靴を脱いでいた男性のぼやき『僕の足はお起きから一袋に片方づづ入れないと入らないんだよ。』と聞こえてきたので、思わず笑ってしまった。で、失礼なことをしたと気がついたので『私の靴下は5本指よ!!』とお返し?しておきました。
そうなんです、kおばちゃんは実は5本指ソックス愛好者であります。
中に入ってまず目に引くのはこの天井!!

すごい!!と圧倒されます。美しいとともに・・壮大です。

ドームとともに光のシャワーのようなシャンデリアです。

このエリアは祈りの場なのでしょう。ムスリムの方のみにご入場のようです。


何をおはなししてるんでしょうかね?

kおばちゃんたち一般観光客のいるエリアはこんなに混んでますよ。


ブルーモスクはこのスルタンアフメット・モスクの別名ですって。

1609年から1616年にかけてスルタンアフメト1世Ahmed Iによって建てられたこのモスクは、この様なブルーの色彩から来ているとから、ブルーモスクともよばれているそうでう。しかもこれはタイルということです。

天辺の模様は拡大してみると・・何だか文字に見えますね。


ドームの天井は一つではなくていくつかが連なっています。


ブルーの天井は一つだけのようですね。

そしてこんな柱でこのモスクを支えていますね。

このようにガラスケースにも天井が写っています。

このケースの中身は『預言者の墓の模型』と書いてあったと思います。

この入り口は

信者様専用のようです。

そうですよね。こここは宗教施設です。そろそろ夕方のお祈りが始まりますかね。


スルタンアフメット・モスクを失礼したkおばちゃんです。
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皇帝の門を通って(イスタンブール)

2011-04-01 23:59:19 | トルコ
今日から4月。本来は世の中、うきたつような新年度なのだけれども・・先月の大震災の影響でぱっとエンジンがかからない感じ。

そういえば、今日の発表で震災の名前が『東日本大震災』に決まった・・というのがあったのだが、名前が決まるまでになんでなんでこんなにかかったの?
K氏が『こう呼びます』と決めてしまえばいいことじゃないのかしらね?
何でも皆さんでご議論をなんでしょうから、まさかこの名称をご議論してた訳じゃないでしょうね?

折角事業仕分けとやらで、随分と組織が減ったはずなのに・・またいろいろと『組織をたち上げて』らっしゃるようですけど、決断する人がいなきゃいかに組織造ったってだめでしょう?

目の前におぼれている人間がいても、どんな方法で救助するかご議論をなさるのでしょうか?

ここによると、今回の震災の犠牲者のご遺体が東京にも回送されて火葬されるというおは無しですけど、せめてお手を合わせにいらっしゃたら如何なもんでしょうかね?
時間と場所がわかれば、お別れのお祈り位なさりたい東京都民も沢山いらっしゃると思うのですが、こういうことはやはり『ケ』の部分にあたるのか殆ど報道されないのが悲しいです。

彼らの魂がせめて彼岸のかなたで平安でありますように・・と祈らずにはいられません。

○1月3日(月)

トプカプ宮殿の見学ももうお終いです。お終いにしようとしてるkおばちゃんです。
敷地の一番はしまで来てしまったので引き返します。
これは泉ではちょっと趣がありますね。

あちらはハーレムの方向だったような・・気がします。


午後も遅いのでアレほど並んでいた行列の影もかたぎもありません。

他のお客さんの後をついて、他のルートに向かいます。



途中にこの様な建物がありました。



ビザンチンの教会Aya İrini『神聖な平和』はオスマンの時代も存在していたようです。時間がないから・・パスです。

この門が正面玄関『帝王の門』ですって。りっぱですね。

門から外に出ると小走りに遠ざかってゆく添乗員さんの姿が:・・やっぱりチャングム効果かな?


振り返ると、門だ基準になっていますね・。これはアヤ・ソフィアだったと聞いています。


今日は休館、月曜日ですからね。残念

こちらから眺めても立派ですね。




ほら、こんなとこえでかえしましょうてl
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青は大人への入り口(イスタンブール)

2011-03-31 23:45:16 | トルコ
今日は月末期末・・っていうのはあまり関係ないのかもしれないが、久しぶりに顔をあわせる人が多かった。
そんな時の会話は、この前の震災の時にどうしていたか・・という話。

kおばちゃんの所は震災の被害は直接ないのだけど、みんな帰宅難民になりかけたり、子どもが立ち往生したりと記憶に残る一日だったからだ。
で、kおばちゃんも『いやぁ、なんな揺れ今まではじめてで・・』といったら『なにいってるのよ。80年生きてる私もはじめてだったんだから・・』と言われてしまった。

被災地にいらっしゃる方の、経験なんかに比べようがありませんが、東日本の共通の話題の一日ということで、改めてことの大きさを感じましたです。

そうそう昨日も書いた、仙台行きのバス。きょうは2台しかみえないな・・ともったら少し遅れて3台目が・・今日もトリオで走っておりました。

そうそう、今有名なブログがあります。この方は被災地に医療支援のために入ったかたで、その時に感じたことを素直に書いてらっしゃいます。言葉に力があるので、その思いが良く伝わってきて、皆さん感動してらっしゃいます。
もちろんkおばちゃんも感動いたしました。

で、コメントのなかに何回か出版業界のかたからの出版を誘うようなものがあるのですが・・kおばちゃん的にはやはりネットの社会の中にあるのことが価値のあるように思えるのですが・・

○1月3日(月)

何時まで経っても終わらないkおばちゃんのトプカプ宮殿の見学です。
第4の庭園のエリアで、バグダッド・キオスクの見学を終えて戻りましょう。


テラスの端の方にあるこれは泉というか噴水らしいのですが・・水がでておりません。

右側にある建物は見学できるよう様なので行って見ました。この部屋にはガードマンがおりました。


天井はドーム型ではありません。

部屋全体は割と細かい模様のタイルで覆われているようです。

この部屋は割礼ルームSünnet Odasıと呼ばれる部屋で、王子が大人になる通過儀礼としての割礼をこの部屋で行っていた夏の部屋Yazlik Odaということらしいです。割礼という儀式は現在でもイスラム教徒、ユダヤ教徒では行われており、特にトルコでは日本の『七五三』のように、お祝いとしてとらえられているようですが、当時も祝い事の一つだったんでしょう。
この様に歌舞の祝宴がもようされたりしていたようです。

この絵はアハメド3世 Ahmed IIIの3人の息子の割礼の祝宴で15日間の昼夜続いたそうです。

部屋の内装はそれほどでもないのですが。この部屋の特徴は外壁にあったと思います。

冒頭の画像もそうですが、この様に美しい青色をしたタイルがはめ込まれています。


色鮮やかで明るいこの青色は大人への入り口に差しかかった王子たちにはどううつったのでしょうね。


建物を繋ぐ通路もなかなか味がありますね。
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バグダッド・キオスクからの眺め(イスタンブール)

2011-03-30 19:48:48 | トルコ
ここのところ朝出会うのが、回送のためにスタートの駅に向う高速バス。
その行き先は『仙台』である。震災以降気が付けば、いつも3台連なっている。
被災地により近く行く公共交通機関としては、鉄路の繋がっていない今はこのバスしか足がないのでしょうね。

つい先日までは一番後ろのバスに『ペースカー』と書いてあった。多聞迷子にならないように3台いつも連なっているんでしょうけどね。
今日のバスにはこの『ペースカー』という標示が見当たらなかった。

被災地に向う道路の復旧が進んできっと走り易くなったんでしょうね。

毎朝、彼ら(バスに)『気を付けていったらっしゃ』と心の中でご挨拶しているkおばちゃんです。

もうすぐ桜も咲きますね。

○1月3日(月)

トプカプ宮殿で、とりあえずお目当てはクリアしたkおばちゃん。お腹もいっぱいになったので満足満足です。

ところで、kおばちゃんがお食事をしたレストランはこの宮殿の一番奥にあります。だからどっちみち引き返さなきゃ行けないのだけれど、来た順路じゃない方に向いましょ。

そうそう、その途中で見かけたのがこのトプカプ宮殿の『通用門?』でしょうか。


こんなところから荷物の搬入をしておりました。

そんなものを横目に眺めながら皆さんの人波に乗っかって歩きます。はい、長い物に巻かれちゃいます。



途中こんなエリアがありました。多聞これは『薬草園』だったんじゃないか・・と思いますが・・


この辺りは第4の庭園とよばれるエリアだったと思います。辿り着いたのはこんなところ。


向こうに東屋風の建物が見えますね。その手前のテラスの中ほどにこんな見晴台のようなものがあります。


ここからの眺めはこんな感じで新市街が見えます。


さて、この東屋風の建物にはいりましょう。ここはバグダッド・キオスクBağdad Köşküと呼ばれるたてものだそうです。
この建物の天井も美しく色彩が施されたドーム型ですね。

この建物は1638年にムラト4世 Murād-i rābiの『バグダッド奪還』を記念して建てられた建物のようです。だからコンナ名前で呼ばれてるのね。
彼は実際に先頭きって戦いを指揮するタイプの王様だったようですが、もう一方でイスタンブールのアルコール、タバコ、コーヒーを禁止し、禁を犯すものは直ちに処刑するという冷酷な面も持ちあわせていたようです。
そして・・・なんと彼自身はアルコールの愛飲酒者だったというから・・いかに冷酷な王様だったかということでしょうね。
kおばちゃんこの時代に生まれなくてよかった!

この壁にはそんなことでも書いてあるんでしょうか???


この建物には窓の外に少し見えるようにテラスがぐるりとついています。

この螺鈿の細工の扉の向こうも窓でしょうか?

だって、さっきの窓のところにも同じ扉がついていますから。


この建物の周りに付いているテラスの部分は立ち入り禁止になっていますが、ぎりぎりのところでとった景色がこれ。


冒頭の画像もそうですがガタラ橋がみえますね。ということは向こうからもこちらが見えると言うことですね。

振り向けば、さっき眺めた見晴台も望めます。


この建物はこのトプカプ宮殿の一番端っこになるんでしょうね。


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マルマラ海を眺めながら(イスタンブール)

2011-03-29 18:59:55 | トルコ
今日は割りと暖かな一日。こういうお天気になると俄然勢力が強まるのが・・花粉症。
いやにないます。

マスク無しでは歩けない虚弱なkおばちゃんです。
マスクといば、このたびの震災の報道で、東京でマスク姿が多いのを『原発を気にして』なんて報道している海外のマスコミもだいぶあると聞く。日本だけじゃなかったのねマスゴミといわれるような報道をするのは。

春はもうそこ・・って来てるか。kおばちゃんの家の庭の梅ノ木とさくらんぼの木はもうとっくに花が咲いて散ってしまった。かろうじて椿がまだ頑張ってるけど。
昼間忙しくて目でる時間が無いのが残念な季節です。

今日のニュースで津波に襲われた地区で梅の花が咲いたというのをやてっいたけど、津波も持って行かれず、塩害も克服して咲く梅の花って何て強いんでしょう。と感心したkおばちゃんです。

○1月3日(月)

トプカプ宮殿で見学もそっちのけで場所をさがすkおばちゃん。いえ、おトイレではありませんよ。時刻はお昼をとっくに過ぎています。ということで腹ペコ状態だったんです。

ここトプカプ宮殿には有名なレストランがある・・と聞いていたのでそれを捜していたのです。
さっき、一度目に聞いたとき教えられたのは売店のようなところでした。違う違う。
kおばちゃんは一人旅。で、一人旅でまともな食事を、まともなお店で食べようと思ったら『お昼』がいちばんいいんでしすよね。
ディナーだと肩身が狭い一人モンですからね。

ということで、ここトプカプ宮殿でお昼を頂くことにしておりました。探し当てたのは・・こんなところ。


うーーん。イメージが違います。雨が降っているのもありますけど。。違うよな・・
と思ってとりあえず、階段を降りて行きましたら、建物の入り口があり、『レストラン』と矢印がついていました。で、また屋内の階段を上るkおばちゃん。

お外のテラス席ではテントのあるところでお茶をしているお客さんが何組かいました。

で、階段を上ると・・うん。それっぽい!


お部屋の入り口で佇んで室内を見回すと・満席かな??と言う感じです。皆考えることいっしょのようですもんね。

佇んでいたら、ボーイさんがやてきて『お一人ですか』ときかれたので、『そうです。食事できますか?』と聞くと・・テーブルに案内されました。

本当は窓側が・・と思いましたが、お一人様でそんなゼイタクな選択肢はねえ・・丁度相席のような感じで4人+2人のしつらえのテーブルの2人の所を利用させてもらえそうです。


早速座って・・とりあえずのワインです。体が温まります。

このお席は4人が窓際にすわっていますが、kおばちゃんの席からも冒頭の画像のようにお外は見えます。

窓の外に見えるのはマルマラ海です。


この海マルマラ海はエーゲ海から続いていてボスポラス海峡を通って黒海へと続いているんですよね。
隣のテーブルは4人組でご両親とお子さん達です。で、窓際のお兄ちゃんは、お年の頃なら10中ごろでしょうか?親の旅行に付いてきた、けど興味なんかありませんよ・・ってな世代ですね。

kおばちゃん的にはマルマラ海と一緒に、このご家族を観察(失礼!)することが出来て、面白かったですけどね。

さてメニューを眺めて・・うーん。どれも食べたい・・とは思ったけれど、とりあえず頼んだのはイスタンブールなんちゃらと名前が付いていたようなきがするんですけど・・忘れました。

とりあえずのパンと、香辛料その他です。


ワインを飲みながら、そうそう、さっき立ち寄った売店でトプカプ宮殿のガイドブックを買いましたからそれを眺めていました。
宮殿のガイドブックは最初大きな本しかなかったのですが、聞いたら小さいのもあるということでそちらをカードで購入しました。大きいのは持って帰れないとダダをこねたのです。

メインがやってまいりました。


シンプルなシシカバブ(ケバブ)です。でもマッシュポテトも美味しかったし、お野菜が美味しかった!!ぺろりと頂きました。

kおばちゃんんがメインを頂いている間にお隣のご家族は出発してしまい、この眺めを独占です。


メインを終ったら・・デザートを聞きに来たのでもちろん頂きました。


確かミルクプディングだったような・・記憶が曖昧です。
デザートのなかで一番軽めのものを注文した記憶があるんですけど・・

kおばちゃんがお食事を終るころに、またご相席のお客様がいらっしゃいました。


今度もご家族ですが5人なのでkおばちゃんの前のお席にも一人お嬢さんがお座りになりました。
ちょっと線の細い子だな・・と思っていたら案の定余り食欲がないらしくて、メニューを眺めて皆さんがお肉料理を注文しているのに彼女は『スパゲティーなら食べられるかな』と言って胃を押さえてました。

さて、明るいうちにまだ周りたいところもありますのでkおばちゃんはこのあたりで失礼しましょう。

お勘定を済ませて外に出ようと入り口から見ると・・あら結構良い雰囲気ですね。


お食事も美味しいし眺めもステキナレストランでした。
但し、イスタンブールの平均から行くと料金はお高いと思います。でもこれも思い出ですからね。

多聞
窓の外に見えるのは昨日訪問したアジアサイドですね。昨日船の上から見たナイチンゲールの活躍したセリミイェ兵舎Selimiye Barracksですね。

レストランの名前はKONYALI TOPKAPI SARAYI
KONYALI TOPKAPI PALACE RESTAURANTです。
何でもアタチュクル氏はもちろんのこと現エリザベス女王陛下、大統領時代のニクソン氏等々有名人もお食事をされたとか。
あらま、そんな有名なレストランだったんですね。

ところで、出入り口はこちらが正面玄関でした。失礼いたしました。


さて、お腹もいっぱいになったし・・・
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帝国評議会とムハンマドの旗印(イスタンブール)

2011-03-28 23:41:37 | トルコ
今日からまた新しい1週間。月末期末だというのにエンジンが今ひとつである。

さいきん流れてくるがんぱつ関連の情報。kおばちゃんにとちゃ、あっぷあっぷのじょうたいなのであまり聞かないことにしている。
だって、聞いたからって『それがどうした!』状態のニュースばかりでしょ?

けっしてメルトダウンがいいとは言いませんが、今の状態って『何とかの生殺し』のような気がしてしまうのはわたしだけでしょうかね。

記者会見で質問している記者の皆さん達は、この事故が発覚した最初からそうなのですが『数字』ばかり追いかけてる。
まあ、社会部の記者さん達は付け焼刃的な知識しかないから、おっかけるとしたら誰にでもわかる数字の違いなんでしょうね。

kおばちゃんとしは、一々数字を教えてくれなくてよろし。
数字を聞いた時点で、脳みそが活動を停止してしまいます。

小さなお子さん達をお持ちの親御さんは考え方が違うのでしょうが、kおばちゃんのようなお年よりは、余命のことはあんまり考えてないから『めんどくさいなあ』と思ってしまうのかもしれませんね。

各国の規制の数値でも一覧表にして、今の電力使用状況のようにグラフにしてくれればまだよいのですけどね。現在の測定値なんてね。

ここのところ数字をみているとイラツイテくるkおばちゃんです。短気はお年よりの証拠ですね。

○1月3日(月)

トプカプ宮殿Topkapı Sarayıの見学はまだまだ続きます。
さて、考えてみたらハーレムの出口から出てしまって・・門を通っていなかったkおばちゃん。

改めて門から出て、振り返ってみました。

立派な門ですね。『幸福の門Bâbüssaâde』と呼ばれている門だそうです。


この門は特別な式典、特に慶事の行事の祭に使用されたそうです。

そしてその門のまん前にこんなものがありました。


これは、戦いに行く時に預言者ムハンマドの旗を立てた場所だとか。天下無敵のオスマントルコ軍ですもんね。

で、この門の前に広がるのが第2庭園と呼ばれる場所なのですが・・さっきkおばちゃんはパスしてハーレムに直行してしまいました。

そして『幸福の門Bâbüssaâde』を背に右側に見える塔は『正義の塔Adalet Kulesi』


この塔はトプカプ宮殿の中で一番高い構造物。で海から見てこのトプカプ宮殿のランドマークとなっているそうです。
そういえば、昨日夕方アジアサイドから帰ってくるときにも見えていました。


左寄りにちょこんと高い建物・・これがそうですね。

この塔は帝国評議会とハーレムの間に位置しているそうです。ということで、ハーレムじゃない部分を見学しましょう。

ここから入ってみましょう。

ドームの下でという別名が帝国評議会にはあったそうで、その名のとおり、美しいドーム天井が続きます。


圧倒される優雅な美しさですね。

ドーム型の意味するところはなにかあるのでしょうかね?

天井から下がっている金色の玉は『地球』を意味しているとか。

この部屋で市民の問題等の重要事項、行政政治的、宗教的な事がらが議論されたのでしょう。
帝国評議会は別名『Dîvân Heyeti』。Dîvânとは長椅子という意味らしいです。


メンバーは主席宰相や軍事担当大臣、大蔵大臣、外務大臣はもとより、イスラム教指導者ももちろんで、イスラム教徒司法大臣が出席していたようです。


で、スルタンである王様は金の格子越しに各大臣などの自由なやり取りを聞くことができた・・と説明していたような・・
金の格子越しに皆さんのご意見を聞いていらしたということだったと思います。

それにしても、この帝国議会がハーレムと背中合わせとはね。

ところで、kおばちゃんの探しているものはここにはありませんでした。
一応聞いたのですが・・違うところを教えられました。

で、もう一度聞いたら・・やっぱりこの門の内側だそうです。


なーーなだ。と戻るkおばちゃんです。
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生コーランを聞きながら(イスタンブール)

2011-03-27 23:59:37 | トルコ
今日もお休み。3月の下旬というのに寒いです。
しかしお日様燦燦、お布団干しが楽しいのだが、ちょっと覗いたらわが猫の額の庭は野良ちゃんのパラダイスとみえて、あっちでこっちで日向ぼっこ。

見知らぬkおばちゃんの行動をあやしみ、ジーーと見つめる視線をかんじて、何故かkおばちゃんの方が身をかくして行動しちゃうのよね。

日向の縁側で手足を伸ばして寝ている姿をみたら・・ちょと追い出せませんわな。

世の中心配事は色々あるんですけど、とりあえず太陽の恵みを感じた日曜日でしたね。

○1月3日(月)

トプカプ宮殿の見学はまだ続きます。
で、多分このあたりも撮影禁止だったのだとおもいますが、聖遺物室。
その名のとおりイスラム教にかんする遺物、たとえば預言者ムハンマドの髭の毛が収まっているという小箱などが色々展示してあったと思います。
そういえば、イスラム教って偶像崇拝を禁止しているのよね。だからムハンマドの遺物が聖遺物ということになるんでしょうね。

で、その聖遺物室の片隅で、これも聖遺物の一種なんでしょうけども・・冒頭の画像のように生コーランの朗誦が行われています。
淡々とコーランを朗々と読み上げています。

そしてその読み上げるコーランの節は、このように画像でも写されています。


コーランと一般的によばれているのはクルアーンقرآن qur’ān、イスラム教(イスラーム)の聖典のことで、れはアラビア語で書かれていると聞きました。

トルコ語もアラビア語もまったくわからないkおばちゃんですので、彼がアラビア語で朗誦しているという確証はありませんが、このようなトルコ語の翻訳と思われる画面もあります。


このコーランの朗誦はここによると一時途絶えたものの、1996年以降24時間行われているということですが・・夜中はどなたがお聞きになる・・いえ、これは人様におきかせするというこではありません。

その他の部屋の展示では装束、コスチュームの展示なんていうのもなりましたね。

イスラームの世界に浸ったあとは・・さて・・この右端の建物に行って見ましょう。


ここは拝謁の間
Arz Odasıとでもいうのでしょうか。

拝謁する前この入り口から入りますが・・

この画像に写っている入り口の左側にある金の格子の窓は『貢物の窓』と呼ばれているとか。大使一行の持ってきた貢物をこの窓のところにおいておいたということでしょうか。

そして入口右側にあるこの泉はスレイマン1世の泉というらしいのだが、なんでこんなところにあるかというと、部屋の中の会話を聞かれないために、絶えず水を流していたということだったと思う。

入り口の上にはこの様な文字が書かれていますが、これはアブデュルメジト1世Abdülmecid Iを賞賛するモノグラムですかね??

さて、ここまで辿り着いたのですが・・kおばちゃんちょっともう一つの目的を思い出しました。

さて、それはどこにあるのか・・・判っていないので探しに出ます。

あちら側かな?
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行列の先は・・(イスタンブール)

2011-03-26 22:18:49 | トルコ
kおばちゃんのところはおかげさまで計画停電のグループに入っていないのだが、今度細分化されると騒いでいる姉からの相談。
新聞に出ているグループ分けとホームページで検索した細分化のグループが違うと騒いでいるのである。どうしよう・・というのだか、それを私に聞いてどうする!とつっぱねた。

だって、聞くところは違うでしょ?何でもお客様相談窓口に電話しても繋がらないからというのだが、実施は今日じゃないでしょ?そのうちかかるんじゃない?で、私になんて言ってもらいたいの?とちょっと説教口調。

結果としては、地方自治体に聞いて正しいグループを知ったようだが、この時も思った。
よく、『情報がない。情報を知りたい。』と騒いでいるのを色々見聞きするけど、それは情報を得る手立てを考えないのもあるんじゃないかと思うのです。
自分からアクションを起こさなければけいないのを、座して待つ。それじゃ情報は入りませんよね。

あとは、情報がありすぎてどれが正しい情報かわからなくなってしまって『(正しい)情報がない』となってしまうのでしょうね。

なんだかな・・

○1月3日(月)

トプカプ宮殿Topkapı Sarayıの見学は続きます。
やっと本日の目玉のハーレムは見学し終わりました。さて、お次はどうしましょうか。
とふと見ると・・なにか行列があります。


あらま、なんの行列でしょう。とりあえず列に並ぶkおばちゃんです。


まったくいい加減なやっちゃ。今日は雨模様です。

で、行き着いた先には冒頭の表示がありました。
大きくしてみると

あら、撮影禁止ですね。
そして、ここに書いてある通り、『宝物館』です。建物はもともとはメフメト2世Mehmed IIの時に建てられたEnderunハマムだったところのようですね。

さて、入場です。

部屋はたしか3つに分かれていたと思います。
金銀財宝、いわゆる宝石で出来た宝飾品や宝刀・・等々目もくらむとはこういうものでしょうね。
何故かアラビアンナイトを思い出したkおばちゃんです。

それにしても・・アレだけ列をつくって並ぶって言うことは・・世界共通『光物好き』ということでしょうね。

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皇太子様はお船がお好き?(イスタンブール)

2011-03-25 23:59:32 | トルコ
flyjinっていうコトバを今日知った。fly + gaijinという意味、つまり日本を脱出する外国人のことだそうだ。

今日、御用で出かけた銀行でみかけた風景。
最近の銀行はフロアー係がいるのだけれど、kおばちゃんの行く銀行はその場所柄フロアー係は英語も堪能だ。
で、そのフロアーの女性と、おしゃべりをしていた金髪の女性。
喜久井とはなしに、聞いていたのだけれど、どうも今日で最後ということでお別れの挨拶をしているようだった。
いつも親切に教えてくれたありがとう・・というようなことを話していたけど・・彼女もflyjinのようであった。

やっぱり原発が怖いんでしょうね。
まあ、逃げるあてもないkおばちゃんは、どっぷり根を下ろしておきましょう。

そういえば、お水騒動。kおばちゃんは関係ないと思っているけど、今日スーパーで見た光景。
お水を求めていたのは・・すごいご高齢の方。うーーん。お孫さんでもいればよいけど、どう見てもな・・『体に悪いかもしれない・・』という情報のみ拾ってしまって他の部分は耳に入らないんでしょうね。困ったもんだ。

○1月3日(月)

トプカプ宮殿のハーレムの見学を続けるkおばちゃん。
お次のお部屋はアハメド1世I. Ahmed Has Odasıの私室だったとおもいます。
この象嵌の扉はここのものだと・・

窓に金の格子越しに外が見えますがあまりパッとしない眺めかな?

そしてお隣はアハメド3世III. Ahmed Has Odasıの私室ですが・・撮影禁止です。


Wikipediaさまより借用してまいりました中身はこんなこんな感じです。


美しいですね。

で、お次に進んだのは・・皇太子はŞehzadelerのお部屋だそうです。


お部屋は2つの部分から出来ており、この様に金色(に見えないか?)の天井を持つ部分


この様な絨毯がしかれており、


この様な暖炉がある部分と

この様な天井を持ち


この様な絨毯が敷かれソファが置かれています。


そのソファの処このような窓があります。

この部屋で皇太子は成人するまで過ごしたようです。

そしてこの部屋はハーレムの一番外側に位置しているようで、外にすぐ出ることが出来ます。

外に出ると目に入るのは『お気に入りの中庭Gözdeler / Mabeyn Taşlığı VEDairesiと呼ばれる部分。


この景色は皇太子の部屋を背中に見た感じですね。

そして左奥にはこの様なプールがあります。


解説によると、このプールに船を浮かべたのを見て楽しんでいたとのことです。
その様子は、冒頭の画像もそうですが、この様な窓からも眺めることができるようです。


さっき室内で見た上部に色ガラスの入った窓ですね。

これで、ハーレムの主な見所の見学はお終いのようです。
この道を通って外に出ましょう。

この通路はさらにこの様なところをとおってゆきます。

この細い路地は『黄金の道Altınyol』と呼ばれ、ハーレムの宦官の部屋やスルタンの私室をも結んでいます。
祭日の日等にはこの道で金貨がばら撒かれたようです。

そしてその先に見えるのはこんな風景。

さあ、これでハーレムの見学は終わりました。
別料金ながら見ごたえのある部分でしたね。
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9時5分で止まった時(イスタンブール)

2011-03-24 23:51:45 | トルコ
今日も割りと大きな揺れがあった。いつも揺れてるような感じがしていけませんね。

kおばちゃん、この非常時にまともに動くラジオがない。と、そのことを以前南仏で遊んだ友達に話したら・・送ってきてくれた。うれじい!!
彼女のいるところはkおばちゃんのところから600キロは離れてる西のほう、でぞのまえの晩に宅配を頼んだらしいのだが・・普通扱いで24時間しないうちに到着。

kおばちゃんよりも北の方面に向かう物流は時間がかかるけど、それ以西は通常のよう。
そういえば、今日宅急便のおにいちゃんに聞いたら、被害の激しかった地方は『宅配』ではなくて『ステーションにとりにゆく』ということで、配達を引き受けてるということだった。
夕方見かけた風景はカップめんの入った箱を手押し車の2連結に満載した収集のお兄ちゃんの姿。思わず後ろの車の舵を取ってあげてしまった。だって危ないもん。

多分どこかの企業が緊急物資で放出したものなんだろうけど・・ちょっと前までは受け付けていなかったので、随分インフラが回復してきたんだと実感したkおばちゃんでした。

○1月3日(月)

トプカプ宮殿のハーレム見学はまだ続きます。バスルームのあと向かったのは・・広くて豪華な部屋


ここは『インペリアル・ホールHünkâr Sofası』と呼ばれる広間です。
現存してるのは1666年の火災以降の内装のようです。
主にこの部屋では、公式の催し物が行われ、皇太后や皇后、それに後宮たいもそろって芸能に興じたり、祝祭的行事を行った部屋のようです。

窓も広く明るいので、画像の光が飛んでしまいました。

このホールの片隅にある時計はビクトリア女王からの贈り物だそうですが・・
9時5分で何故か止まっています。

この9時5分というのは現在のトルコ共和国の祖、初代大統領であるムスタファ・ケマル・アタテュルクMustafa Kemal Atatürkのなくなった時刻だそうです。
彼はここではなくて、ドルマバフチェDolmabahce宮殿で、1938年11月10日になくなっているんですけどね。

その時以来トルコの時は止まってしまった・・ということでしょう。

部屋はとっても広いですね。

見物のお客さんもいっぱいです。

そしてお次はムラット3世III. Murad Has Odasıの私室で、ここはハーレムでももっとも古い部分のようです。


この部屋の天井はものすごく豪華ですね。


ここにあるのはストーブでしょうか。

窓も色ガラスが入ってますね。


この棚のようなものはなんだったけな??

忘れてしまいましたが・・・これもイズニックタイルと呼ばれる焼きものでしょうか。たしかイズニックタイルの特徴は『深い青、ターコイズブルー、エメラルドグリーンそし血の赤』と聞いています。

うーむ。豪華な部屋が続きますね。





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スルタンは孤独(イスタンブール)

2011-03-23 23:30:38 | トルコ
今日も朝から揺れました。
こんな風に小出しに揺れてくれて、エネルギーが分散されて消耗されると良いんだけどな。

原発の方は、やっぱり考えていたとおりの進行。
kおばちゃんのように人生終わりを数えたほうが早い人は良いけど、これからの人生がある若者特に赤ちゃんはなるたけ離れたほうは良いのかもね。

それにしても、某大臣の『処分』発言。一応謝罪会見はしていたけど、発想自体が信じられない。なんでそういう考えになるかな?

結局今までの経緯を見てみると、『国家政府』といのは何もしていなくて、地方自治体が自主的に援助を始めたというところでしょうね。
kおばちゃんの住んでいる地域も、友好関係にある被災地を中心に支援物資、義捐金を送る運動を役所が音頭をとってはじめた。
本来だったら、そこに『政府のお声がかり』があるのですがね。勝手にやってくれということでしょうね。

今のマンマだと『いらない政府』『存在価値のない政府』になってしまうようです。

○1月3日(月)

トプカプ宮殿のハーレムの見学はまだ続きます。
このあたりはいわゆる、後宮と皇后さまの生活エリアですね。
これはストーブでしょうか。

美しく装飾がなされていて女性的ですね。

シャンデリアも天井も女性的な感じがする気がします。

そしてこの様なお人形もおりました。

この角度からだとよくわかりませんが、こちらからだとよくわかりますね。


真ん中に座ってらっしゃるのが皇太后、その脇にいるのが侍女ですね。

さらに進むと、水周り、バスルームです。お風呂、おトイレのエリアのようです。

こちらもですね。スルタンがお座りになって足をお洗いになったのかしら?


この金の格子で囲われている部分は特別な部分だと記憶してます。

この部分はスルタンの浴場だったと思います。

蛇口には金が使われていますね。

たとえスルタンであっても、お風呂を使うときは『裸』になります。

つまりまったくの『無防備状態』になってしまいます。ですからこの格子で守っていると聞きました。なるほどね。
スルタンといえども、孤独ですね。お風呂に入るには。

こっちはトイレだったかしら。

なんとなくスルタンの生活臭がすると思ったkおばちゃんです。
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ハーレムは別料金(イスタンブール)

2011-03-22 23:26:18 | トルコ
原発の被害は思ったとおり農作物に及んできたのですね。
今朝立ち寄った業務スーパーで福島県産のイチゴが激安になっていました。
この時期のイチゴなんて露地栽培じゃないでしょうし、今出荷されているというのは程んど関係ないと思うのですが『福島』とうい産地がいけないのでしょう。
冷静にと訴えかけたってそれは無理な話です。なんせ潔癖症の日本人です。そのうちお米一粒一粒をトレースしろと言い出すんじゃないでしょうかね?

イチゴはkおばちゃんは気にせずお買い上げいたしましたけどね。
そういえうば、今の首相は『貝割れ大根』がO157に汚染されてるとか言う騒ぎの時に得意満面に食べるパフォーマンスをしたお方。またこの手でしのごうとおもってるんじゃないでしょうね?

舵取り機能の働いていない日本丸はどうなってしまうのでしょうか。心配なKおばちゃんです。

○1月3日(月)

トプカプ宮殿Topkapı Sarayıの見学を始めたkおばちゃん。最初に向ったのは・・そうハーレムです。
ハーレムというのはHarem-i Hümâyûnのこと。アラビア語のハリーム(حريم harīm)と呼ばれている物と同じ物。元々の語源はアラビア語でハラーム(حرم ḥarām)という聖地を示すそうで、『禁じられた場所』という意味も含んでいるらしい。神聖な場所で許可されたものしか入ってはいけないということでしょうかね?

kおばちゃん的にはアラビアンナイトのイメージなのですけど。まあ、平たく言えば江戸城の『大奥』みたいなものでしょうね。

イスタンブールにはトプカプ宮の他に1853年に皇帝の住まを移したドルマバフチェ宮Dolmabahçe Sarayıと言う宮殿があるが、こちらは西欧化の波におされて小規模なハーレムになっていたそうである。
つまり本格的なハーレムを見るにはここが一番ということでしょうね。なんせ、ここには300以上の部屋があり、2つのモスク、そして9つのハマム、病院、寄宿舎、洗濯場等々があると言われています。
ここハーレムはツアーのコースには含まれていないらしくて『別料金』ということで、ガイドさんは外で待てっているようです。

金庫番の門とでもいうのでしょうか、その門をくぐるとハーレムの始まりです。

kおばちゃんはオーディオガイドがお供です。

ここは『清めの泉Şadirvanli Sofa』のホールだったような・・確かスルタンはここまで馬に乗ってきてここ降りたのではなかったでしょうか?記憶があやふやです。
『清めの泉Şadirvanli Sofa』はいわばハーレムのお玄関のようなところだったようです。

ここを過ぎると、宦官のたちのエリアですね。ハーレムはもちろん大奥同様男子禁止制


ここにいる宦官というのはいわゆる男性ではない元男性の人たちです。
美しいタイルで飾られています。

この部屋にいるのが『宦官Harem Ağaları Taşlığı』です。有色人種が多いようですね。

一説には宦官は幼い皇帝を左右するほどの影の実力者といわれる宦官もいたとか。
この美しいタイルもこの一角にあったと思うのですが・・

さらに進むと『皇太后の中庭Valide Sultan Dairesi』とよがれるエリア。


こちらはまだ修復中のところもありますね。


そしてこちらが男性諸氏の憧れのえりあでしょう。

『夫人たちの中庭』と藻言うべきエリアですね。『夫人たち』と呼ぶのは『Kadın Efendiler Taşlığı / Cariye Taşlığı』后の庭、夫人の庭とでも呼ぶのでしょうね。
もちろん女性たちのなかにも歴然とした序列はあったようです。

ここを臨む壁に確か描かれていた絵だと思いました。

女性たちはこの中庭をはさんでどんな人生を送っていたのでしょうね?

そんなことを考えながら説明書きを眺めるkおばちゃんです。


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