Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

厳寒の地(網走)

2006-10-26 12:13:55 | 日本
今日は秋らしいお天気!朝から気持ちが良い。

昨日は大阪に出稼ぎに行った・・・が・・・・そう、新幹線が止まってしまっただの。
といっても、マイルを稼ぎたかったkおばちゃん、新幹線利用しなかったから直接の被害はなかったのだが・・・連れの?上司がばっちり巻き込まれて・・事故を起こしたすぐ後ろの新幹線に乗っていた・・おかでげでスケジュールはめちゃくちゃ。
缶詰にされてたご本人もつらかったろうが、こちらもおっさん達相手に・・結構辛かったんですよ!
なんでも、飛び込んだのは社員という話・・なんだかなあ~

よく、鉄道飛び込みで自殺する話をきくけれども、鉄道会社の友人にきいたら遺族に損害賠償をおこしているとか。まあ、そうだよね。もちろん実質の損害とともにブレーキの磨耗代まで計算するとか。でも、現実には膨大な金額になるのでそのまま実行される事はないらしいが・・
自殺する人は周りが見えなくなってしまっているから、自殺するのでしょうが、残された方だって大変だそうで、鉄道自殺は辞めましょ!!

そうそう、北海道のお話
旧網走刑務所二見ヶ岡農場での美味しい監獄食体験の後は中を見学!

作業場、トイレ、お風呂なんかもある。
             

こことは別に独立した浴場の建物もあるが、(別々の土地に建てられていたものを移築してあるので)受刑者たちの唯一の楽しみの入浴も昔は夏場(6~9月)でも月5回冬は1回だったそうである。現在は1日おきとか・・

そして何故2つ浴槽があるか・・どうも入浴は一方通行で、体を洗う→浴槽に浸かる→本格的に洗う→第二浴槽に浸かる→入浴終了。ってな順番だったらしい。
そして浴槽はとても深く立ったままの入浴。しかも両手を出しておかなければいけないとか・・(このお人形のころは良かったのかな?)

もう一つの浴場の再現棟はもっと迫力のあるお兄さん方が入浴されておられまして・・・いわゆる『倶利迦羅竜王』(刺青)のお兄さんが数人入浴されていらっしゃいましたがこちらは写真を撮るのを忘れましたです。

温泉好きのkおばちゃんとしては、1ヶ月に1回だけの入浴って聞いただけで『刑務所に入りたくない!』と本気で思いました。

そして、この旧網走刑務所二見ヶ岡農場の監獄房は内部に入れたのだが、その内部の窓から外を見たのが冒頭の画像。
隙間風防止為だと思われる目張りの紙(なにかの再利用)がやけに生々しく、極寒の地の冬の監獄を思い描いてよく凍傷にならないもんだと思ったのです。だって、暖房器具は廊下にしかついてないんだもん。

この旧網走刑務所二見ヶ岡農場の他にはこの博物館で一番有名な「五翼放射状舎房」があるが、あまりに有名すぎて・・というか圧倒されて写真を撮るのをすっかり忘れたkおばちゃんです。

この舎房は、8角形になっていて全面ガラス張りの中央見張りを要(中心)として五本の指が放射状に伸びているように見えることからこう名付けられ、明治四十五年から昭和五十九年!!(kおばちゃんの記憶がある時代)まで網走刑務所で囚人を実際に収容していた獄舎であるそうである。

は明治45年に建設された舎房。中央見張りを中心に雑居房・独居房・鎧格子・矢筈格子といった独特の建築技法を採用し、昭和59年9月まで使用されていた。明治獄舎の名残を完全にとどめる舎房としては国内最大規模で、ことに木造では現存する我国最北端の監獄として学術的に貴重なものとされている。の復元がある。

この「五翼放射状舎房」は脱獄王『五寸釘の寅吉』や『白鳥由栄』なんかもここに収監されていたんだなあーーと感慨にふけったりしたkおばちゃんです。

その他にも、、規則違反者を窓の無い真っ暗な部屋に閉じこめ、食事を減らし、反省させるという厳しい罰則そのための『独立型独居房』なんかも復元されていた。光もない真っ暗ななか・・瞑想でもしてたんでしょうか。その後『社会復帰が行刑の目的』となるようになり、社会性の培われる雑居房が重視されこの『独立型独居房』は使用されなくなっていったらしい。

とにかく、kおばちゃんにはワンダーランドの博物館網走監獄、とっても面白く過ごした半面、時間を食ってしまって・・さあ、これからどうしましょう!!と次の目的地を考えましたです。
コメント
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