お久しぶりでございます。
いえ、チョイト早めな夏休みを無理やりとって旅行してまいりました。
無理やり・・仕事の時期的には問題ないハズ・・だったんですけどね。
まだ、チャングムの旅の旅行記も終ってないので、正式なアップはいつのことになるやら・・で、年よりは気が短いので、とりあえずの画像等を『予告編』としてアップしておきます。
いえ、ヂブンが忘れちゃうからなんですけどね
今回の旅のテーマは、作曲家マーラー・・なんちゃって。
いえ、ちょっと記念の年でもあるしね。その他のおまけももちろんいっぱいありますけどね。
では・・
----------------------------------------------------------------------------------
出国して3日目。いよいよマーラー詣での旅に・・
でもその前にと立ち寄ったオーストリアのバーデンのお宿にて。
『噴水館』とでも呼ぶべきお宿は、その昔ベートーベンも2度程秋からクリスマスにかけてご逗留なさったとか。
以前ブログでも紹介した、同じバーデンの町中にあるモーツアルトの記念碑。
奥方が度々ここで療養なさっていたとかで、彼女を訪問したおりにその逗留先の中庭であの『アヴェ・ヴェルム・コルプス Ave Verum Corpus 』が作曲されたようです。まためぐり合ってしまいました。
翌日ウイーンに向う途中でお昼ごはんを頂きに寄ったホテルのレストラン。
なんでも、シューベルトが『菩提樹』を作曲したのがここだったとか・・という通説があるようです。
でも、同じ村にベートーベン・ホフなんてのも見かけたなあ・・
辿り着いたウイーンはたった1日の滞在。まったくねえ。もったいない。
もちろんマーラー詣でなので、演劇博物館でやっていた特別展ははずせませんね。
一応、お墓参りもしておかないと・・ということで『酒飲み』で超有名なウイーンの外れにある墓地に・・
翌日辿り着いたのは、マーラーの原点。出生の地。村の名カリシュト(カリシュチェKaliště)は「濁った池」の意味とか。チェコ国内。ボヘミア地方であります。
ほんとにちっぽけな村・・ではありますが、さすが記念年!!村の真ん中ではお誕生日にあわせてシンフォニーのコンサートをするんだとかで、ゆるゆると設営しておりました。
本来の生家はもうないので、再建されたものと思われます。
で、この『生家』実は現在ペンションとして時々営業中のようでして・・この日も管理者と思しき人が打ち合わせに来ておりました。
但しこの村。なんにもありません。売店のようなお店が1軒。開いているのもほんの数時間なのかな?
ここに泊まったら・・お食事はどうするんでしょうね??
マーラーが少年期を過ごした町。イフラバ。ここの確か4番地と6番地に住んだことがあるとか。
現在は片方6番地ががマーラー記念館とカフェに。ただし、今年は展示物の主なものは一昨日見たウイーンの特別点にお出かけ中のようです。
日本で言う『地下室』にはマーラーの親がここで経営していた『ハタゴ?』の復元が・・なんとなく下水臭かった。
マーラーたちの住居は2階(3階)だったとか。
翌々日、今回のマーラー詣での最後の目的地にゆく途中で、一応マーラーと親交があったとかなかったとかのブルックナー氏のお墓を拝んできました。
むかーーーーし、来たことはあたんですけどね。
今回の最後の目的地は、オーストリアのザルツカンマーグト地方にあるアッター湖畔にあるマーラーの作曲小屋。ここで3番シンフォニーは生まれたそうです。
現在は・・・・・・・・オートキャンプ場のど真ん中なり。うーーん。冒頭の画像は夕景なり。
で、管理しているホテルから鍵を借りましたが、渡してくれたお嬢さんは『鍵はちっぽけなのにね。ホルダーが馬鹿でかいのよ。』と・・なるほど。
マーラー詣での旅も終り、振り出しの地に戻る途中に立ち寄った、ザンクト・ギルゲン。
モーツアルトの母親のお里。現在は記念館になっております。
で、その村にある教会には祖父達は葬られているようです。
この村にはモーツアルト自身は訪問した記録はないそうな。しかし・・・
役場前広場にはしっかりとモーツアルト像がいらっやします。
バイオリンを弾く後姿は・・・ちょっとかっこ悪い??かな。
ザルツカンマーグトといえば・・・・そう。お年寄りには『サウンド・オブ・ミュージック』の世界が懐かしいです。
ザルツブルグからそのロケ地を回るツアーも出ているほど。
しかし、冒頭のシーンは一説にはザルツカンマーグトで撮影されたものではないとか。
ということで、その冒頭シーンが撮影されたのでは・・と言われている場所・・とおぼしき所に・・
なんでこんなあやふやな書き方かというと、通りの綴りが1文字違ってるんです。
でも、他になさそうだし・・・まあこんな感じで気分には浸れました。
場所はドイツ国内。但し国境を越えてすぐの場所なので、携帯の電波はオーストリアのものを拾っておりました。
この後も旅はまだ続いており、ウン十年ぶりの地にも足を踏み入れてますが・・・とりあえず、こんなところまでアップしておきましょ。
でも・・・・本編はいつになったら出来上がることか・・・・
いえ、チョイト早めな夏休みを無理やりとって旅行してまいりました。
無理やり・・仕事の時期的には問題ないハズ・・だったんですけどね。
まだ、チャングムの旅の旅行記も終ってないので、正式なアップはいつのことになるやら・・で、年よりは気が短いので、とりあえずの画像等を『予告編』としてアップしておきます。
いえ、ヂブンが忘れちゃうからなんですけどね
今回の旅のテーマは、作曲家マーラー・・なんちゃって。
いえ、ちょっと記念の年でもあるしね。その他のおまけももちろんいっぱいありますけどね。
では・・
----------------------------------------------------------------------------------
出国して3日目。いよいよマーラー詣での旅に・・
でもその前にと立ち寄ったオーストリアのバーデンのお宿にて。
『噴水館』とでも呼ぶべきお宿は、その昔ベートーベンも2度程秋からクリスマスにかけてご逗留なさったとか。
以前ブログでも紹介した、同じバーデンの町中にあるモーツアルトの記念碑。
奥方が度々ここで療養なさっていたとかで、彼女を訪問したおりにその逗留先の中庭であの『アヴェ・ヴェルム・コルプス Ave Verum Corpus 』が作曲されたようです。まためぐり合ってしまいました。
翌日ウイーンに向う途中でお昼ごはんを頂きに寄ったホテルのレストラン。
なんでも、シューベルトが『菩提樹』を作曲したのがここだったとか・・という通説があるようです。
でも、同じ村にベートーベン・ホフなんてのも見かけたなあ・・
辿り着いたウイーンはたった1日の滞在。まったくねえ。もったいない。
もちろんマーラー詣でなので、演劇博物館でやっていた特別展ははずせませんね。
一応、お墓参りもしておかないと・・ということで『酒飲み』で超有名なウイーンの外れにある墓地に・・
翌日辿り着いたのは、マーラーの原点。出生の地。村の名カリシュト(カリシュチェKaliště)は「濁った池」の意味とか。チェコ国内。ボヘミア地方であります。
ほんとにちっぽけな村・・ではありますが、さすが記念年!!村の真ん中ではお誕生日にあわせてシンフォニーのコンサートをするんだとかで、ゆるゆると設営しておりました。
本来の生家はもうないので、再建されたものと思われます。
で、この『生家』実は現在ペンションとして時々営業中のようでして・・この日も管理者と思しき人が打ち合わせに来ておりました。
但しこの村。なんにもありません。売店のようなお店が1軒。開いているのもほんの数時間なのかな?
ここに泊まったら・・お食事はどうするんでしょうね??
マーラーが少年期を過ごした町。イフラバ。ここの確か4番地と6番地に住んだことがあるとか。
現在は片方6番地ががマーラー記念館とカフェに。ただし、今年は展示物の主なものは一昨日見たウイーンの特別点にお出かけ中のようです。
日本で言う『地下室』にはマーラーの親がここで経営していた『ハタゴ?』の復元が・・なんとなく下水臭かった。
マーラーたちの住居は2階(3階)だったとか。
翌々日、今回のマーラー詣での最後の目的地にゆく途中で、一応マーラーと親交があったとかなかったとかのブルックナー氏のお墓を拝んできました。
むかーーーーし、来たことはあたんですけどね。
今回の最後の目的地は、オーストリアのザルツカンマーグト地方にあるアッター湖畔にあるマーラーの作曲小屋。ここで3番シンフォニーは生まれたそうです。
現在は・・・・・・・・オートキャンプ場のど真ん中なり。うーーん。冒頭の画像は夕景なり。
で、管理しているホテルから鍵を借りましたが、渡してくれたお嬢さんは『鍵はちっぽけなのにね。ホルダーが馬鹿でかいのよ。』と・・なるほど。
マーラー詣での旅も終り、振り出しの地に戻る途中に立ち寄った、ザンクト・ギルゲン。
モーツアルトの母親のお里。現在は記念館になっております。
で、その村にある教会には祖父達は葬られているようです。
この村にはモーツアルト自身は訪問した記録はないそうな。しかし・・・
役場前広場にはしっかりとモーツアルト像がいらっやします。
バイオリンを弾く後姿は・・・ちょっとかっこ悪い??かな。
ザルツカンマーグトといえば・・・・そう。お年寄りには『サウンド・オブ・ミュージック』の世界が懐かしいです。
ザルツブルグからそのロケ地を回るツアーも出ているほど。
しかし、冒頭のシーンは一説にはザルツカンマーグトで撮影されたものではないとか。
ということで、その冒頭シーンが撮影されたのでは・・と言われている場所・・とおぼしき所に・・
なんでこんなあやふやな書き方かというと、通りの綴りが1文字違ってるんです。
でも、他になさそうだし・・・まあこんな感じで気分には浸れました。
場所はドイツ国内。但し国境を越えてすぐの場所なので、携帯の電波はオーストリアのものを拾っておりました。
この後も旅はまだ続いており、ウン十年ぶりの地にも足を踏み入れてますが・・・とりあえず、こんなところまでアップしておきましょ。
でも・・・・本編はいつになったら出来上がることか・・・・