早いもので正月も半ばになった。うららかなとでも云ってよいような日射しの中、近所の小学校で左義長が行われた。子供の頃、尼崎の北部では「とんど(焼き)」と云っていたが、この地(神戸市北区)にきて初めて「左義長」という言葉を聞いた。wikipediaを見ると全国色々な呼び方をしているらしい。
正月飾りをする家も少なくなり、燃えているのはベースの笹竹のようだった。行事も11時から始まり12時半に終わってしまった。
懐古談になってしまうが、子供の頃のそれは規模が大きく一大行事だった。近所のお寺の境内に古木が組まれる。三々五々村人が持ち寄った正月のしめ縄や門松、古いえべっさんの縁起物などが昼頃にはうずたかく積み上げられる。大勢が見守る中、消防団の人によって点火された。子供達は習字練習の反故を持ってきて燃やしたりした。そうすれば字が上手になるといわれた。子供は背が低いので炎の熱気を顔にまともに受け真っ赤になった。夜になって下火になると、黴だらけになったお鏡餅を金槌で割ったものを持っていって焼いた。
正月飾りをする家も少なくなり、燃えているのはベースの笹竹のようだった。行事も11時から始まり12時半に終わってしまった。
懐古談になってしまうが、子供の頃のそれは規模が大きく一大行事だった。近所のお寺の境内に古木が組まれる。三々五々村人が持ち寄った正月のしめ縄や門松、古いえべっさんの縁起物などが昼頃にはうずたかく積み上げられる。大勢が見守る中、消防団の人によって点火された。子供達は習字練習の反故を持ってきて燃やしたりした。そうすれば字が上手になるといわれた。子供は背が低いので炎の熱気を顔にまともに受け真っ赤になった。夜になって下火になると、黴だらけになったお鏡餅を金槌で割ったものを持っていって焼いた。