(2/3より)
日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。
人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。
それとも ‘天皇陛下の御為に’ か。
>言い換えれば、仮に米中などが全面対決に至り核に手をかける状況になった場合、支那は自国民を犠牲にしても米国に対し核の恫喝を行い、米国は自国民を護るために日本から手を引き、支那は日本を蹂躙する。
悪夢の到来ですね。覇者の国の存在は日本にとっての危険ですね。わが国は、’天は自ら助る者を助く’ ですね。
>いや、これは米国の裏切りなのではなく自国民の声明を最優先する普通のことであって、逆の立場なら日本もそうするだろう。>つまり日米同盟とは、そして日本と欧米の関係とはこれが前提なのだ。
そうですね。それは、’reasonable’ (適当) な判断によるものですね。
>それなら日本は独自に強力な自衛手段を持ち、最終的には支那と相打ち覚悟で戦える手段、即ち支那全土にばらまける核弾頭を広大な日本の周辺海域から打ち出せるようなシステムなどを構築すべきだろうと私が言うのも当然だと納得して頂けないだろうか。
そうですね。わが国が、ガラガラヘビのような存在になることですね。
>ただ、それを米国が座視しているとは到底思えない。>支那全土に撃ち込める核弾頭を日本が持つと言うことは、場合によっては支那ではなく米国がその対象になる可能性があると考えるのも全く当たり前だろう。
そうですね。アメリカ人はいつもそれを警戒していますね。自分たちは、その備えをしていると言っていますね。彼らは、日本人のようになれ合うことを知らない。備えあれば憂いなしです これは世界の常識でしょうね。
>あくまで可能性であり必ずそうなる訳ではないが、米国の、そして西欧の立場からすれば、自分たちが世界の覇権を握っているから日本がその陣営に加われば心強いとは思うだろうが、日本が自分たちを超えそれ以上の破壊力を持つことをごく自然に受け入れると考えるか。>それはまず考えられない。>過去百年の歴史を見てもありえない。
彼らは自己を失うことはありませんね。日本人には自己のリーズン (理性・理由・適当) というものがありません。
非現実 (考え) の内容は、英語の時制 (tense) のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観 (world view) と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの世界の中にある。
自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。
日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。要は比較の問題である。
現実の内容と非現実の内容があれば批判精神ができる。英米人の意見はこれである。
現実の内容の比較だけであれば、現実肯定主義にならざるを得ない。日本人の場合はこれである。
>人間の意識は百年単位で変わるわけではないし、そのような差別意識はむしろ人間が人間たる本質だからだ。
お互いに言語が違いますからね。言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の為の大切な手段でもありますから。文法の変化は技術革新に比べたら微々たるものです。
>となれば、あとは欧米をも越える圧倒的な力を日本がもつしかないが、それは現実には不可能だし、仮に可能でも目指してはならないことも何度も書いている。
八紘一宇 (世界を家とすること) の構想を欧米人が受け入れることはないでしょうね。欧米人は自主・独立ですからね。彼らの哲学には家族に関する内容がない。
>それは日本が余りに特殊で、善し悪しの問題ではなく日本は最終的には欧米とは同調できないからだ。
日本人は世界の中の孤児か。日本人の序列信仰にはどの民族も同調しないでしょうね。現実の改革を志すのであれば、その原理 (mechanism) を理解することが早道ですね。
>仮に彼等が日本の方が優れていると認めたとしても(実際はそういうことではないのだが)だから日本と同調すると言うことにはならない。 >単に日本に対する警戒心を強めるだけのことだ。
彼らは、あくまで自主・独立ですね。彼らは、幼児症には戻れませんね。
>日本が彼等を支配する気など無いといくら言っても無駄で、自分たちが嘗てそうしたことを日本がして当然だと考えるだろう。
そうですね。お互いに平等ですね。
>理屈以前に本能のような物だ。
日本人の ‘義理と人情’ のようなものか。
>ではどうするのか。 >ー 続く
それは次回のお楽しみ。
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