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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

たかおじさん 3/3 

2020-12-01 16:19:52 | 文化

 

(2/3より)

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。

それとも ‘天皇陛下の御為に’ か。

 

>言い換えれば、仮に米中などが全面対決に至り核に手をかける状況になった場合、支那は自国民を犠牲にしても米国に対し核の恫喝を行い、米国は自国民を護るために日本から手を引き、支那は日本を蹂躙する。 

 

悪夢の到来ですね。覇者の国の存在は日本にとっての危険ですね。わが国は、’天は自ら助る者を助く’ ですね。   

 

>いや、これは米国の裏切りなのではなく自国民の声明を最優先する普通のことであって、逆の立場なら日本もそうするだろう。>つまり日米同盟とは、そして日本と欧米の関係とはこれが前提なのだ。  

 

そうですね。それは、’reasonable’ (適当) な判断によるものですね。   

 

>それなら日本は独自に強力な自衛手段を持ち、最終的には支那と相打ち覚悟で戦える手段、即ち支那全土にばらまける核弾頭を広大な日本の周辺海域から打ち出せるようなシステムなどを構築すべきだろうと私が言うのも当然だと納得して頂けないだろうか。  

 

そうですね。わが国が、ガラガラヘビのような存在になることですね。

 

>ただ、それを米国が座視しているとは到底思えない。>支那全土に撃ち込める核弾頭を日本が持つと言うことは、場合によっては支那ではなく米国がその対象になる可能性があると考えるのも全く当たり前だろう。 

 

そうですね。アメリカ人はいつもそれを警戒していますね。自分たちは、その備えをしていると言っていますね。彼らは、日本人のようになれ合うことを知らない。備えあれば憂いなしです これは世界の常識でしょうね。          

 

>あくまで可能性であり必ずそうなる訳ではないが、米国の、そして西欧の立場からすれば、自分たちが世界の覇権を握っているから日本がその陣営に加われば心強いとは思うだろうが、日本が自分たちを超えそれ以上の破壊力を持つことをごく自然に受け入れると考えるか。>それはまず考えられない。>過去百年の歴史を見てもありえない。  

 

彼らは自己を失うことはありませんね。日本人には自己のリーズン (理性・理由・適当) というものがありません。

非現実 (考え) の内容は、英語の時制 (tense) のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観 (world view) と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの世界の中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。要は比較の問題である。

現実の内容と非現実の内容があれば批判精神ができる。英米人の意見はこれである。

現実の内容の比較だけであれば、現実肯定主義にならざるを得ない。日本人の場合はこれである。

 

>人間の意識は百年単位で変わるわけではないし、そのような差別意識はむしろ人間が人間たる本質だからだ。 

 

お互いに言語が違いますからね。言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の為の大切な手段でもありますから。文法の変化は技術革新に比べたら微々たるものです。   

 

>となれば、あとは欧米をも越える圧倒的な力を日本がもつしかないが、それは現実には不可能だし、仮に可能でも目指してはならないことも何度も書いている。  

 

八紘一宇 (世界を家とすること) の構想を欧米人が受け入れることはないでしょうね。欧米人は自主・独立ですからね。彼らの哲学には家族に関する内容がない。        

 

>それは日本が余りに特殊で、善し悪しの問題ではなく日本は最終的には欧米とは同調できないからだ。  

 

日本人は世界の中の孤児か。日本人の序列信仰にはどの民族も同調しないでしょうね。現実の改革を志すのであれば、その原理 (mechanism) を理解することが早道ですね。   

 

>仮に彼等が日本の方が優れていると認めたとしても(実際はそういうことではないのだが)だから日本と同調すると言うことにはならない。 >単に日本に対する警戒心を強めるだけのことだ。 

 

彼らは、あくまで自主・独立ですね。彼らは、幼児症には戻れませんね。      

 

>日本が彼等を支配する気など無いといくら言っても無駄で、自分たちが嘗てそうしたことを日本がして当然だと考えるだろう。   

 

そうですね。お互いに平等ですね。   

 

>理屈以前に本能のような物だ。 

 

日本人の ‘義理と人情’ のようなものか。

 

>ではどうするのか。 >ー 続く

 

それは次回のお楽しみ。

 

 

 

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たかおじさん 2/3 

2020-12-01 15:48:20 | 文化

 

>日本が今のところ無事なのは、強大な米国や西欧と同じ側に存在しているからだが、では欧米は日本にとって完全に安全な居場所なのか、と言えばそうとは限らない。  

 

この世に安全な場所などどこにもないでしょうね。皆さん 四苦八苦して生きている。

 

>支那に比べれば欧米の方が組みやすい、つまり価値観文化を有しているから欧米サイドに居るが、ただ日本は現実には欧米とは全くと言って良いほど違う価値観文明を持っている。 

 

そうですね。

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列なきところに礼儀なしである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて堅ぐるしい日常生活を送っている。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。無哲学・能天気である事は、人々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

序列人間は人間の序列を作る。上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自己の存在感を確認している。だから、自己の所属する序列に強い帰属意識を持っている。義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲の序列人間が序列に対する貢献度を評価するからである。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが人生の楽しみである。 

 

>なにより、米中対立がこのまま収まることはないだろう。>歩み寄り妥協し合うには余りに価値観が違うからだ。

 

そうですね。   

中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国である。覇者の物語は、中国人の愛読書となっている。覇者は昔から周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、中国人は外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。そして独断専行に陥りやすい。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。中国人は周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

 

東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     

南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 

西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。

北てき (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。

 

>唯、今は双方にそれなりに力があるから直接の衝突がないだけだ。 

 

今は力の均衡による平和が保たれていますね。   

 

>しかし欧米が今後長らく今の対支那の力を持ち続ける保証など無い。>そうすれば今は表に出していないかつての欧米の感覚がまた表面化してくる可能性はある、むしろ必ずそうなると考えておかなくてはならないだろう。 

 

力に自信がある者は正義感を持ちやすいですね。義を見てせざるは 勇無きなり。   

 

>それがいつのことかは分からないが、いずれそうなるとしてその対策は採っておくべきだということだ。

 

そうですね。   

百年兵を養うは ただ平和を護る為である’。 (山本五十六)     

 

>また、言うまでもないが途上国や未開国ならともかく、一応の先進国であればいざとなったとき最優先で護るべきは自国民の生活であり、それを確保できるなら他国とも協力し他国民を守る。

 

そうですね。相互に安全を図るのが護国に対する良策ですね。

 

>超汚染や支那のように自国民を捨てて、あるいは自分たち一部の階層のための防波堤として犠牲にする様なことはしない。 

 

そうですね。   

朝鮮や中国の歴史は、人権無視の残酷物語の連続ですね。わが国も序列信仰を持っているために、人間性に関する価値観に瑕疵があるようです。

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。 (3/3へ)

 

 

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たかおじさん 1/3 

2020-12-01 15:23:22 | 文化

 

>選択の余地 Author:たかおじさん 2009/12/23 開設 >最初にクリックしていただけるとありがたいです。>人気ブログランキングへ

>このブログでも繰り返し書いているが、今の日本は米国を支え、米国と協調して存在して行くべきであり、決して米国の代わりに世界の覇権を握るような意識を持つべきで無い。 

 

そうですね。日本人には知力がない。英米人はエジプト文明もマヤ文明をも理解しようと努めている。人類の大半の知識は英語の書物として蓄えられている。知力に頼らないと、人間の生活もアニマル風になります。     

 

>様々な理由があるが、これも何度か書いているように日本が余りに世界の基準と違いすぎるからだ。  

 

それはありますね。それは頭の使い方が違うからでしょうね。     

 

>これは良い面も悪い面もあるが、そもそも何が良くて何が悪いかはそれぞれの文化圏で基準が違う。 

 

そうですね。わが国では歌詠みが高く評価されていますね。

理屈は大人も子供も共通である。だから、対話も進展する。ところが、日本人は '理屈を言うな。理屈なら子供でも分かる' とうそぶいて理屈を言う人を相手にしない。そして、自分にはもっと難しくて重要な事柄があると考えているようである。心ここ在らざれば視れども見えず。正しい考え方は進展しない。 わが国は、人手不足はあっても、頭脳不足の無い国である。人間に頭を使う習慣のないのは、大きな損失であることはいうまでもない。特に、資源小国のわが国ではそうである。   

 

>極端なことを言えば、アラーの神を信じようとしない異教徒は殺すのが善であり自分で考えず神の言葉だけにしたがっているのが正しいとしているISISにしてみれば、日本など到底許しがたいだろう。 

 

そういう事になりますね。日本人とISISとの同居は難しいですね。   

 

>支那では、そして本質的に階級社会の欧米では、無能な一般の人間は政治に関与させず、能力の有る者が国を治め力を持ち富を集中させ、その一部で無能な一般人に生活をさせ政府の方針に逆らわせないことで、無駄な混乱を防ぎ安定した国家を運営することが出来ると言う政治方針が正しいとなる。

 

やれるようにやるということでしょうかね。  

民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。 (チャーチル)  

 

>実際に、そのようにして支那も力を付けてきたのだから支那人はそのやり方が二千年以上も続いてきた。 

 

彼らの考えは中華思想ですね。中華(ちゅうか) とは [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]      

 

>超汚染では強い相手には逆らわずこびへつらい分け前を出来るだけ多く貰うのが知恵であり、自分よりも力の無い者はこき使ってその持っている物を奪いそうすることで自分が一番楽が出来る、つまりそれが一番優れたやり方だと信じ、それを国が出来てから続けてきた。>それを邪魔した日本は憎むべき存在というわけだ。 

 

朝鮮の事大 (強大なものにつかえること) 主義ですね。  

 

>これらは特別だ、世界の基準ではないと日本人は思うかも知れない。 >しかし日本人はそれを知らないだけのことだ。 >人類がそれぞれ別れた文化圏を作ってから数千年経っているだろうが、たとえば西暦の始まったこの2千年間、確かに文明は進化したし特に近年の百年、数十年のあいだに人類の文明は加速度的に進歩した。>嘗ての百年二百年分の進歩を今では十年二十年で成し遂げている。 >それだけ文明が進歩したにもかかわらず人間の精神自体は進化したろうか。>文明の進歩と精神の進歩は全く別なのだ。 

 

そうですね。思考の内容は言語により影響を受けますね。しかし、言語は技術程早くは変わらない。   

 

>ある意味、それぞれの文化圏に別れた人類の対立は、むしろ酷くなっていると言えないだろうか。  

 

そうですね。お互いに身近な存在になりましたからね。それだけ文明の衝突も激しくなりますね。      

 

>確かに、かつては物理的に各文明圏には距離がありそれぞれが現代ほど互いに干渉関わり合いを持つことは無かった。>しかし、距離が縮まった今、理解もしやすくなったはずだ。 

 

理解には言語を使用します。言語の距離は依然縮まりませんね。  

 

>それなのに、米中対立、先進国と途上国の格差の拡大などなどむしろ過去よりも激化している。 >確かに戦争は近代激減したではないかとは言えるが、それはかつての戦争どころではない甚大な被害が双方に生ずるからだ。>支那にしても米国にしても弱小途上国に対しては軍事力を使うが、米中や米ロ、中ロなどの戦争は双方が消滅しかねないから戦争にならないだけだ。 

 

そうですね。お互いに人類の滅亡は避けたいですからね。 ‘嘘から出た実 (まこと)’ のようなものですね。  

 

 

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