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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

職人気質 3/3

2020-12-22 15:27:34 | 文化

 

>日本技術競争力の源泉は、このような職人精神を讃える日本の社会風土にあるといえます。

 

そうですね。序列メンタリティの成果ですね。かくしてわが国は技術立国を経て経済大国になりました。         

 

>また、日本は技術を広く他人に伝授し、後継者を養成するという意識の強い社会です。 >特に、伝統文化については、伝統継承が社会的責務であるという脅迫観念に当事者は支配されているようです。 >年老いた父親の経営する伝統的家業を引き継ぐために、途中で裁判官を退職するといった例もあります。

 

日本人の序列観念は強迫観念の程度にまで高まっていますね。この強迫観念が個人主義を破壊していますね。

 

>また、日本文化の特徴は中国、韓国のそれと対比すると文化の継続性にあるといえます。

 

そうですね。日本人は序列人間です。序列人間は人間の序列を作ります。だから、その文化も継続的になります。   

 

>特に、技術を広く他人に伝授すると言う風土は、中国、韓国の場合と比べて対照的であり、日本社会の大きな特性であるといえます。 

 

そうですね。序列人間は弟子づくりに熱心ですからね。これにより自己の勢力拡大が図れます。家元制度・天皇制もその延長線上にあるといえます。  

 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)  

 

>日本各地には、数百年も連綿と伝わる祭り、茶道、華道といった伝統芸術、代を継いで伝統技能を伝える職人、何百年も続く日本料理店等の老舗が無数にあります。>200年以上の歴史を持つ企業は、日本には3,000社あります。 >因みに、中国では9社、インドは3社、ドイツは800社と言われます。 >世界で最古の企業は、日本の大阪にある『金剛組』という建築会社で1400年の歴史があります。

 

まさに序列社会に基づく組織の威力ですね。善良な職人がその弱点である ‘政治音痴’ により苦しむことのないように努力しなければなりませんね。

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、<日本/権力構造の謎>の中の <とらえどころのない国家> で、次の段落のように述べています。

国会両院以外に、国家の中核として権力を持っているらしく見える組織は、官僚と大企業である。だが、この両者のどちらにも、究極的な権力はない。ボスはたくさんいるが、ボス中のボスといえる存在はないし、他を統率するだけの支配力のあるボス集団があるわけでもない。首都が国の経済、文化の中心だという意味では、日本は高度に中央集中型の国と言える。東京は、パリやロンドンに負けず劣らず、”すべてのものがある”大都市である。大企業は、中央官庁の役人から離れないよう、本社あるいは重要な支社を東京に構える。主要教育機関も、ここに集中している。予算陳情のためには、地方自治体も国の中央官僚に取り入らなければならない。東京以外には、重要な出版産業も娯楽産業もほとんど存在しない。ところが、この地理的中心地には、政治の中核がないのである。どの国についても、国家の実態をとらえるのは容易ではないが、日本の場合はとくに、バケツの中のウナギを素手でつかまえる、ということわざのたとえそのものである。指令の流れる経路、責任の中心、見え隠れする政策決定上の実際の動きなどが、すべて気が変になるほど、とらえどころがない。(引用終り)   

 

この国がひっくり返った時にも無謀な戦争の責任者は出なかった。  

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘-----「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。 ------’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。

自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない。

 

 

 

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職人気質 2/3 

2020-12-22 15:06:23 | 文化

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>日本人は何事をするにも一所懸命になる性向がありますが、この「一所懸命」という言葉は「物事に命懸けで取り組む」という意味であり、物事の奥義を極めようとする生活態度です。>専門分野に従事する人々は、「日本一」になることを目標に技術の習得に励むことに人生の生き甲斐と価値を見出しています。   

 

そうですね。序列メンタリティのなせる業ですね。その代わりに、非現実 (考え) の内容は疎かですね。   

 

>他方で、日本人は目標を達成しようとする場合、手段・方法といったプロセスを大変重視し綿密に準備をしますが、結果については、期待通りでなかったとしても余り執着しない傾向があります。 >また、日本人は、一旦決められた計画を愚直に実行しますが、脚本やマニュアルのない場面では、臨機応変な対応は苦手です。

 

そうですね。 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。-----あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 ----- これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)    

 

>日本社会の体質は、何百年にわたる職人文化が形作っていると言えます。>日本の小学生に大人になったらなりたい職業について質問すると、男子は大工、女子は美容師が断然人気の高い職業です。>日本では『職業に貴賎はない』という言葉がありますが、日本社会は伝統的に技能を尊ぶ物作りの社会です。

 

そうですね。日本人の学問は実学 (技術)ですね。哲学 (考え) はダメですね。武将は出ても、聖人・君子は出ない。     

 

>今年1月、いまや世界中に普及している『カップ麺』の発明者である日清食品の安藤会長が亡くなり、其の葬儀に総理経験者、政財界の要人を始め全国から数多くの弔問客が訪れましたが、今では宇宙飛行士も食べるようになった『カップ麺』を考案した職人魂を日本の社会がどれほど尊敬しているかを示す好例であるといえます。  

 

そうですね。日本人には現実しかありませんからね。非現実の内容で優れた人はまだ出ていませんね。

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' 対 '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。       

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。  

 

 

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職人気質 1/3  

2020-12-22 14:28:36 | 文化

 

>コロナ後は生活が変わる~江戸に学ぶシンプル生活の知恵3 協力が日常の長屋人はコミュニティーもイベントも要らない | メイン | >2020年12月17

>海外から見た日本人の「仕事意識」「職人気質」 

>ずっと日本にいると気づかないようですが、一度日本を離れて海外から日本を見つめ直すと、海外の出回っている日本製品の性能、品質の高さに改めて気づかされるようです。 >その底流にあるのは、人の役に立つ、喜んでもらうために働く「仕事意識」「職人気質」にあります。  

 

序列メンタリティの成果でしょうね。  

 

>その精神は縄文時代から引き継がれ、世界類まれな循環型社会を築き上げた江戸時代の人々の生活と産業で発展定着するに至ります。 >今回は、古くから日本との接点の深い中国から見た日本人像について紹介します。 > にほんブログ村 歴史ブログへ

>日本人の仕事へのプロ意識はどこから? その驚くべき「職人気質」=中国メディア >ニコニコニュース  

(略)

>日本人がこのように曖昧な表現をする背景には、対人関係において対立を避けようとする日本人の性格が大きく働いているものと思われます。

 

日本人には考え (哲学) がない。だから、理論的な対立は避けなければならない。曖昧な表現をして懸命に対立を避ける道を模索します。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調していますね。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。 --------ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」  

 

>(2)日本人の好奇心と順応性

>日本は日本列島という四方を海に囲まれた辺境の孤島ですが、古来より外界の文化を柔軟に受容してきました。>石橋を叩いて渡るという諺に見られるように、日本人は保守的な性格を持っており、初めての事柄に直面すると大変慎重な態度を見せますが、他方で未知の物事に対する好奇心も旺盛であり、環境の変化に対する順応性が高く、異質の文化でも役に立つものであれば率先して習得してきました。

 

何処の民族でも取捨選択はありますね。異質の文化は手ごわいですね。      

 

>1543年に九州南方の種子島に漂着したポルトガル人がもたらした鉄砲は、一年後には国産化され、日本国内に広まっています。>19世紀末の江戸幕府末期から明治維新に至る激動期にイギリスの科学技術を目の当たりにした九州の地方政府である佐賀藩は、いち早く日本初の蒸気船を建造しました。

 

我々日本人は、創造は苦手であるが模倣は得意ですね。そういえば、中国も瞬く間に ‘世界の工場’ にまでなってしまいましたね。  

 

>日本がアジアの中でも最も早く近代化できた背景には、日本人のこのような好奇心が大いに影響していると思われます。>日本人は優れたものであれば、外国のものであろうと躊躇なく取り入れようとする国民性を持っています。  

 

そうですね。鎖国しなければ、日本はもっと早く近代化できたでしょうね。   

 

>他方、中国人が西洋文化に簡単に好奇心を示さなかったのは、中華文明に対する誇りが余りにも強かったためではないでしょうか。

 

そうですね。中華思想によるものですね。中華 (ちゅうか) とは [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる] これは自己中心的な考え方ですね。       

 

>(3)日本人の職人気質と文化の継続性

>日本は世界有数の技術大国と言われていますが、日本経済を支えているのは企業数で99.7%を占める中小企業の高い技術力です。 

 

そうですね。人から人へと伝授される小規模な技術力ですね。大規模な伝授に成長するこしはありませんね。      

 

>日本の中小企業は技術革新の源泉であると言われており、世界最先端技術を有する中小企業も少なくありません。>このような技術力は、日本列島の限られた資源を再利用しながら循環型経済を営んだ17世紀から260年間の江戸時代(3,230万人の人口)に育まれたと言われています。>また、その背景にはあらゆる分野で技を極めようとする日本人の職人気質があると言えます。 

 

そうですね。日本人は目先・手先の事柄に神経を集中させますからね。 

 

 

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