>日本技術競争力の源泉は、このような職人精神を讃える日本の社会風土にあるといえます。
そうですね。序列メンタリティの成果ですね。かくしてわが国は技術立国を経て経済大国になりました。
>また、日本は技術を広く他人に伝授し、後継者を養成するという意識の強い社会です。 >特に、伝統文化については、伝統継承が社会的責務であるという脅迫観念に当事者は支配されているようです。 >年老いた父親の経営する伝統的家業を引き継ぐために、途中で裁判官を退職するといった例もあります。
日本人の序列観念は強迫観念の程度にまで高まっていますね。この強迫観念が個人主義を破壊していますね。
>また、日本文化の特徴は中国、韓国のそれと対比すると文化の継続性にあるといえます。
そうですね。日本人は序列人間です。序列人間は人間の序列を作ります。だから、その文化も継続的になります。
>特に、技術を広く他人に伝授すると言う風土は、中国、韓国の場合と比べて対照的であり、日本社会の大きな特性であるといえます。
そうですね。序列人間は弟子づくりに熱心ですからね。これにより自己の勢力拡大が図れます。家元制度・天皇制もその延長線上にあるといえます。
'敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである' (昭和天皇)
>日本各地には、数百年も連綿と伝わる祭り、茶道、華道といった伝統芸術、代を継いで伝統技能を伝える職人、何百年も続く日本料理店等の老舗が無数にあります。>200年以上の歴史を持つ企業は、日本には3,000社あります。 >因みに、中国では9社、インドは3社、ドイツは800社と言われます。 >世界で最古の企業は、日本の大阪にある『金剛組』という建築会社で1400年の歴史があります。
まさに序列社会に基づく組織の威力ですね。善良な職人がその弱点である ‘政治音痴’ により苦しむことのないように努力しなければなりませんね。
カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、<日本/権力構造の謎>の中の <とらえどころのない国家> で、次の段落のように述べています。
国会両院以外に、国家の中核として権力を持っているらしく見える組織は、官僚と大企業である。だが、この両者のどちらにも、究極的な権力はない。ボスはたくさんいるが、ボス中のボスといえる存在はないし、他を統率するだけの支配力のあるボス集団があるわけでもない。首都が国の経済、文化の中心だという意味では、日本は高度に中央集中型の国と言える。東京は、パリやロンドンに負けず劣らず、”すべてのものがある”大都市である。大企業は、中央官庁の役人から離れないよう、本社あるいは重要な支社を東京に構える。主要教育機関も、ここに集中している。予算陳情のためには、地方自治体も国の中央官僚に取り入らなければならない。東京以外には、重要な出版産業も娯楽産業もほとんど存在しない。ところが、この地理的中心地には、政治の中核がないのである。どの国についても、国家の実態をとらえるのは容易ではないが、日本の場合はとくに、バケツの中のウナギを素手でつかまえる、ということわざのたとえそのものである。指令の流れる経路、責任の中心、見え隠れする政策決定上の実際の動きなどが、すべて気が変になるほど、とらえどころがない。(引用終り)
この国がひっくり返った時にも無謀な戦争の責任者は出なかった。
日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。
' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)
日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。
意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。
‘-----「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。 ------’ (引用終り)
‘兎角、この世は無責任’ という事か。
自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない。
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