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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

既得権益 2/2 

2020-12-12 11:44:34 | 文化

 

(1/2より) 

現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。Seeing is believing. だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。これは人とアニマルが共有する非言語の世界である。

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。

 

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。   

 

> 日本の大手メディアは、NYTが「日本に報道の独立性がない」と認定し、「韓国には独立した報道がある」と見なしたことを日本人に知られたくないのだ。>まさに島国根性だ。 

 

報道に自主・独立は必要ですね。後追い・受け売りの生活ばかりしていては先進国のメディアとしての価値がありませんね。見栄と外聞の問題と捉えているのでしょうかね。  

 

> 他の先進国では「メディアのあり方」がメディアの重要な取材対象になっている。>NYTなどはメディア担当の専門記者を置いている。  

 

メディアのあり方は、先進国では重要な課題ですね。   

 

> 日本に権力から独立したメディアを構築するためには「情報カルテル」と呼ばれる記者クラブ制度を解体し、長野県庁と鎌倉市役所にあるような「広報センター」を設置するしかない。  

 

そうですね。没個性のわが国のメディアには、情報カルテルは問題にならないでしょうね。     

 

>EUが日本の記者クラブ全廃を日本政府に要求 >2003年3月、イラク戦争に反対する市民が『ワシントン・ポスト』本社に「真実を報道せよ」と要請。 >米国市民は報道のあり方を常に考えている  

 

米国市民は賢い市民ですね。報道には透明性が必要ですね。     

 

> 記者クラブ制度は1941年、日本がアジア太平洋戦争(「大東亜戦争」)突入と同時に生まれた。>戦時体制下で今の形になった記者クラブが、戦後も存続して今日に至っている。

 

日本人の本質は、今も昔も変わらないですね。今なお戦時体制下にあるのでしょう。不自由を常と思えば不足なし。   

 

>「記者クラブ」のことを、海外メディアは「press club」とは訳さずに「kisha kurabu」とか「kisha club」と表現している。 >海外のどこにでもある「プレスクラブ」との混同をさけるためだ。 

 

それは良いことですね。我が国の ‘記者クラブ’ が異質であることを強調する必要がありますね。      

 

>「キシャクラブに私は入らない。>キシャクラブは政府がつくっている。>政府は私たちの敵。>敵の政府に取り込まれ、愛玩犬にされているのがキシャクラブの記者たちだ」と『ワシントン・ポスト』のトーマス・リード支局長は語っていた。  

 

記者クラブは、今問題になっている学術会議のようにわが国の政府が作っている制度ですね。これでは記者の批判精神は養えませんね。社畜・国畜ばかりの国になります。ご唱和の世界に近づいていますね。         

 

> こうした日本の記者クラブ制度を全廃するよう、欧州連合(EU)が日本政府に要求しているということも多くの人が知るべきだ。 

 

そうですね。我が国では、政府と記者は一体となっていますね。しかし、各人に哲学は必要ですね。 Everyone needs a philosophy.

日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。 (ウスビ・サコ)   

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

 

> 欧州連合(EU)の行政機関、欧州委員会は2002年11月25日に東京で開かれた日本政府との規制改革に関する日・EU高級事務レベル協議で、「日本の記者クラブ制度は外国の報道機関を不当に差別している」などとして改善を求めた。 >2003年も同じ提案をし、2003年11月14日開催の同協議で、前年に引き続き「記者クラブ制度の撤廃」を申し入れた。 > また、EUが2002年と2003年の各10月に日本政府へ提出した「日本の規制改革に関するEU優先提案」には、「記者クラブ制度を廃止することにより、情報の自由貿易に係る制限を取り除くこと」と明記された。   

 

欧州委員会の要求は建設的ですね。  

 

 

 

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既得権益 1/2  

2020-12-12 11:22:58 | 文化

 

>ハーバー・ビジネス・オンライン  政治・経済  ニューヨーク・タイムズの香港拠点が、東京ではなくソウルへ移転した「本当の理由」

>2020.08.21  >印刷

>浅野健一

> バックナンバー

>記者クラブという「既得権益」

>マーティン・ファクラー氏  > 筆者は2012年9月13日、当時、NYT支局長だったマーティン・ファクラー氏に記者クラブについて聞いた。>『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書)の著者だ。 

 

日本人は現実直視が苦手ですからね。  

 

>ファクラー氏は、2011年3月の東電福島第一原発事故の翌日に南相馬市へ入ったが、市役所記者クラブにいるはずの記者たちは全員逃げてしまっていたという。 

 

日本人の記者に責任は無いのですかね。   

 

> ファクラー氏はこう語った。>「NYTの記者になる前はウオールストリートジャーナル(WSJ)にいて、日銀担当だった。 >日銀総裁の記者会見に参加するには記者クラブの幹事の許可が必要だった。>質問をしてはだめだった。

 

日本人は対話が苦手ですね。日本人の指導者の話は禅問答になる。だから、幹事の許可が必要になるのでしょう。        

 

>WSJという世界的な新聞が日本の中央銀行の総裁の記者会見に行っても、質問をしてはだめという。 >中国にもない状態だ。

 

中国政府は独断専行しますからね。どんな質問でも問題はないでしょうね。      

 

> 記者クラブ制度でいちばん損をするのは日本の雑誌、フリー、ニューメディアなどの記者と日本の読者だ。>当局の発表をそのまま紙面に載せる記者クラブメディアにジャーナリズムはない。  

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。世界は過去から現在・未来へと移動する。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) の内容もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。なければ現実を否定できない。だから、現実肯定主義者となる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。子供のようなものである。日本には大人になる為の教育がない。

大人になる為の教育は、自己の哲学を作成することにある。それは、英米流の高等教育で行われている。高等教育機関に在学して自己の哲学を作成すれば、学士・修士・博士になることができきる。博士になれば、一人前の研究者として認められる。彼らの社会は学歴社会である。

考えの内容は人様々である。だから個性が見られる。しかし、わが国のマスコミは現実の内容をただ垂れ流す。だから、個性が見られない。人々は個人主義が理解できないでいる。そして、個人主義を利己主義と間違える者もいる。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。それで、相手からも信頼されない。広く国際的な協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。  

政治家に政治哲学がない。これは政治家にとっての致命傷である。教養がないので対話ができない。’記者クラブ’ を設けて外国人の記者に質問を禁じている。このような隠ぺい工作により、'つかみどころのない人間' は、その正体を現すことを免れている。だから、わが国の民は政治音痴から脱することが難しい。

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)

 

>記者クラブは情報の寡占というビジネスモデルを既得権益として守ろうとしている」

 

情報の寡占’ という既得権益をCan we change! (私たちは変われる・変えられる) と応ずるのが正道ですね。   

 

> 国連人権委員会の「報道の自由」特別報告者のデービッド・ケイ教授が2016年4月に東京で「記者クラブの廃止」を提案した時も、記者クラブまったく報道しなかった。  

 

心ここにあらざれば 視れども見えず’ ですね。   

 

>『朝日新聞』に至っては「『記者クラブの改革』を訴えた」とケイ氏の発言を改竄した。>「改革」と「廃止」ではまったく違う。  

 

そうですね。

見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。誰しも ‘嘘つき にはなりたくない。だから、自分の非現実は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。(2/2へつづく)

 

 

 

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浅野健一氏

2020-12-12 00:40:24 | 文化

 

>ハーバー・ビジネス・オンライン  政治・経済  ニューヨーク・タイムズの香港拠点が、東京ではなくソウルへ移転した「本当の理由」 >2020.08.21  >印刷

>浅野健一

> バックナンバー

>海外メディアはソウルの「報道の独立性」について報道 > 海外メディアは、英BBCが「報道機関を動揺させ、ジャーナリズムのハブとしての香港の将来を不確実なものにした」「香港で中国が施行した、広範囲にわたる新たな治安維持法は、私たちの事業とジャーナリズムにその新規則がどう影響するのかをめぐって、多大な不安を生んだ」と指摘した。

> BBCの日本語版サイトによると、NYTの広報責任者のアリ・アイザックマン・ビヴァクワ氏の「私たちはビジネスと印刷のハブ機能を香港に置き続ける予定だ。 >一方で、徐々にデジタル編集のハブをソウルに移し、動きやすさを確保すると同時に、地域の資源(情報)に簡単にアクセスできるようにしていく」とのコメントを伝えた。 >ソウルでは情報に自由にアクセスできる環境があるという見解だ。 > 米CNNも「中国による香港の統制が強化されたことを受け、地域の拠点をほかにも設ける必要があるとの判断に至った」というNYT幹部の見解を伝えている。 > 日本でNYTが「報道の独立性」でソウルが選ばれたことが報道されなかったのは、『共同通信』と『時事通信』がともにその点を報じなかったことの影響も大きい。 >米国など海外メディアが「日本には報道の自由が存在しない」と見ていることを、日本の政府・民衆が知らないことは危険だ。

 

そうですね。危険ですね。  

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べでマスコミにも個性がない。それで、個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。

 

>「日本には高水準の『報道の自由』がある」という錯覚 >外国人記者イメージ >多くの日本人は「日本では民主主義が機能している、報道の自由もある」と思い込んでいる。 >日本語だけで情報が流れ、完結しているので、外国から見たらどう見えるかを考えない。 

 

そうですね。日本語だけで情報が流れ完結しているので、日本人は井の中の蛙ですね。   

 

>かつては、NYTや『ワシントン・ポスト』の日本論評が紹介されたが、最近はそれも激減している。 > NYTには東京支局(朝日新聞東京本社ビル内)があり、東京特派員は韓国・朝鮮(DPRJ)、台湾もカバーしてきた。 >NYTがアジアの編集拠点を香港からソウルに移すことは、NYT東京支局がソウル・オフィス(実質的にはアジア太平洋支社)の傘下に入るということになる。 >東北アジアの政治・経済・文化の勢力関係が大きく動いている。 

 

東京の地盤沈下ですね。   

 

> NYTのノリミツ・オオニシ東京支局長(日系カナダ人)は2005年9月7日、「なぜ日本は一党に統治されることに満足なのか」と題する記事でこう書いたことがある。>「日本の民主主義体制は東アジアにおいて最古だが、政権党は中国、北朝鮮の共産党とほとんど同じくらい長期間権力を掌握している。

 

そうですね。政党は一強多弱ですね。寄らば大樹の陰か。      

 

>南朝鮮や台湾の民主主義体制の歴史は日本より短いが、すでに政権政党の交代を何度か経験しており、生気にあふれる市民社会から強固で独立した報道機関まで民主主義を支持している点で、日本よりも輝いているように見える」 > オオニシ記者の認識は、今でも東京にいる外国人記者に共通しているのではないか。 >しかし不幸なことに、日本の政財界のエリート、記者クラブメディアの幹部と記者は、「日本は民主主義国で、高水準の『報道の自由』がある」と錯覚している。  

 

我が国の ‘報道の自由’ は錯覚ですね。

 

>「国境なき記者団」が「報道の自由度」ランキングで日本を66位にしていることも、あれこれ理由をつけて素直には認めようとしない。

 

心ここにあらざれば、視れども見えず’ ですね。   

 

 

 

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