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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

人事労務管理 2/2  

2020-12-21 21:43:33 | 文化

 

(1/2より)

日本人は・奥ゆかしい(深い考えがあるようにみえる)。実は、奥 (考え) がない。だから、浅薄である。日本人は、無哲学・能天気である。

政治家にも、政治哲学がない人が多い。我々の未来社会の有様を大衆に言って聞かせる術がない。だから、序列人間は人間の序列を作る。上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自己の存在を確認している。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲の序列人間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。 

わが国は、人手不足はあっても、頭脳不足の無い国である。人間に頭を使う習慣のないのは、大きな損失である。特に、我が国のような資源小国においては特にそうである。      

 

>■「しくみ」なら、変えられる

>これでひとつ目の疑問、「いつ『日本型人事労務管理』は生まれたのか?」に対する答えが出た。 >およそ150年前の明治期、つまり日本が近代化していく時代に「お役所」「軍隊」に適用されていたものが民間企業に広がったのが「日本型人事労務管理」の「はじまり」だった。

 

そうかもしれませんね。   

 

>よって、「今の人事労務管理のしくみは日本人の気質に合った、いわば日本の文化みたいなものだから、中々変えるのは難しい」という先輩の言葉は正確ではなかったことになる。

 

日本人は、序列を重んじる人間ですからね。今の人事労務管理の仕組みは、序列人間に馴染みやすい制度だと思いますよ。  

 

>「日本型人事労務管理」は、日本の長い長い歴史の中でも、近代化以降に、日本以外の「軍隊」「お役所」でも使われていた「官僚制」をベースに発展したものであって「日本の文化」でもなんでもない。  

 

無哲学・能天気な日本人に馴染みやすい制度・仕来りだとおもいますよ。だから、日本人は日本型から抜け出すことが難しい。例えば、’日本人の宗教は儀式 (作法) があって教義 (教え) がない’ といったような特徴でしょう。日本人の場合は、とりわけ形式を守ることに力が入ります。だから、形式的なことは特にやめられない。      

 

>つまり「日本人の気質」とは関係がなく、時代の変化に応じて、代替案さえあれば「変えられるもの」だということだ。 

 

それほど簡単ではなさそうですよ。日本人には深い考えがないから、現実の惰性から抜け出すことが難しい。   

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' 対 '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。       

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

>~後略   

 

 

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人事労務管理 1/2 

2020-12-21 21:21:24 | 文化

 

>国家の支配構造と私権原理

>362814          「日本型人事労務管理」は、近代化以降に、日本以外の「軍隊」「お役所」でも使われていた「官僚制」をベースに発展した  >別所彦次郎          20/12/20 PM08 【印刷用へ】

>リンクより引用

>***

>~前略

>■いつ「日本型人事労務管理」は生まれたのか?

>いつ「日本型人事労務管理」は生まれたのか。 >結論から言えば、その起源は明治期の「お役所」や「軍隊」に適用された「官僚制」にあるとされる。>そして、この「官僚制」最大の特徴は「国家に対する無限の忠誠と、その対価としての終身保障」だった。

 

日本人の得意な序列社会の特質ですね。   

 

 

>たとえば当時、国に忠誠を誓った役人の給料は「地位や対面を保持するにふさわしいもの」とされ、「どれだけ価値を生んでいるか」ではなく「身分相応の地位や対面を保持できること」を基準に決まっていた。

 

役人の仕事は ’real work’ (要求に応じた仕事) ではなくて、’make work’ (不要不急の誂え仕事) ですからね。価値もあってないようなものですね。    

 

>いまの日本企業で多くみられる『仕事(どんなことができるか)』ではなく、『人(どれくらい偉いか)』でお給料が決まるしくみの原型はここにあるとされている。

 

序列メンタリティの基本概念ですね。   

 

>また「新卒一括採用」は、明治期に「お役所」が拡大していくにあたり、大学卒業者が不足していた状態を何とかするため、優秀な学生を卒業と同時に採用し始めたのがきっかけらしい。 >「年功昇進」「定期人事異動」も、同じく明治期の「お役所」において、2年ごとに部署を異動しながら昇進するという慣例が生まれたことに原点があるそうだ。 >「定年退職」も、元は体力を要求される軍人が一定の年齢になったらやめていく、という「軍隊」の慣行から来ている。 >つまり、日本の人事労務管理のしくみの多くは、明治期に「お役所」や「軍隊」に用いられていたものが民間企業にも広がり、それが今もなお使われている、ということになる。 >ちなみに、日本以外の国でも「お役所」や「軍隊」の慣行が一時的に民間企業に普及していたことはあったそうで、これは日本特有の現象でも何でもない(そもそも、日本の「官僚制」はフランスやドイツを参考にして作られている)。  

 

先進国に ‘追いつけ追い越せ’ のわが国の励みによるものということですね。  

 

>■「お国のために」生まれたしくみ

>「お役所」と「軍隊」。 >そう言われてみると、確かに「モチベーション(=忠誠心)の醸成」「(長期的な)育成」「雇用の維持(労働力の確保)」という3つのメリットがあるしくみにも合点がいく。>どちらの組織も、そもそもの存在目的が「国を守る」ことであるため、「国家」を裏切らないための「忠誠心」が必要になるだろうし、「こっちの国は嫌になったから、あっちの国のお役所・軍隊に移ろう!」ということはできないため、「育成」「雇用」は組織が責任をもって、面倒を見るしかない。>「モチベーション(=忠誠心)の醸成」「(長期的な)育成」「雇用の維持(労働力の確保)」という3つのメリットを生み出すしくみは、まさに「国家に対する無限の忠誠と、その対価としての終身保障」を前提とする組織にぴったりだった、というわけだ。

 

理屈は大人にも子供にも共通である。だから、大人と子供の対話も成立する。ところが、日本人は '理屈を言うな。理屈なら子供にでも分かる' とうそぶいて理屈を言う人を相手にしない。そして、自分たちにはもっと複雑で難しく重要な事柄があると心得ているようである。'心ここ在らざれば視れども見えず' であるから、自分たちの屁理屈に気づくことは無い。   

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるいうのも、序列社会の言い換えに過ぎない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。

序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであるという価値観を共有している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。無哲学・能天気である事は、人々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。

(2/2へ続く)

 

 

 

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退職理由  

2020-12-21 05:25:28 | 文化

 

>362812          「昭和を引きずるベテラン社員と平成生まれの若手」軋轢の背景  >きんぐ ( 26 会社員 )          20/12/20 PM07

>コロナの影響で、景気が更に悪くなってきた。 >しかし、高齢少子化の問題はまだ続く。 >市場の受け入れる幅が狭くなっているとは言え、若手が欲しいと思う会社も少なくはない。 >さらに、働き方、生き方これまでそれほど考えて来なかった人が考え始めて、生活や仕事を変えると思う人も増えている中、若手人材が残りたい企業づくりがもっと重要になってきた。

>リンク  >より引用

(略)

>実際、厚生労働省の「第6回21世紀成年者縦断調査」によると、退職理由は「給与・報酬が少なかったから」、「経営方針に不満を感じたから」、「労働時間が長かったから・休暇が少なかったから」、「会社の将来に不安を感じたから」など、中小企業の至らなさを責めるような文言ばかりが並んでいます。  >「仕事のやりがい」や「人間関係」がどんなに充実していても、労働環境が悪ければ、若い人はついてきてくれないのです。 > 一度入社した会社には骨を埋める覚悟で頑張るとか、石にかじりついてでも3年は努力するとか、そのような根性論はすでに廃れています。

 

そうですね。根性論は古い時代の仕来りですね。  

理屈は大人にも子供にも共通である。だから、大人と子供の対話も成立する。ところが、日本人は '理屈を言うな。理屈なら子供にでも分かる' とうそぶいて理屈を言う人を相手にしない。そして、自分たちにはもっと複雑で難しく重要な事柄があると心得ているようである。'心ここ在らざれば視れども見えず' であるから、自分たちの屁理屈に気づくことは無い。   

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会である云うのも、序列社会の言い換えに過ぎない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。

序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであるという価値観を共有している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。無哲学・能天気である事は、人々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。

日本人は・奥ゆかしい(深い考えがあるようにみえる)。実は、奥 (考え) がない。だから、浅薄である。日本人は、無哲学・能天気である。政治家にも、政治哲学がない人が多い。我々の未来社会の有様を大衆に言って聞かせる術がない。だから序列人間は人間の序列を作る。上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自己の存在を確認している。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲の序列人間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。 

わが国は、人手不足はあっても、頭脳不足の無い国である。人間に頭を使う習慣のないのは、大きな損失である。特に、我が国のような資源小国におては特にそうである。 

 

>グローバル化の進展とともに日本の労働市場も流動性が高まり、より自分らしく働ける職場を求めての転職も当たり前のものとなりました。  

 

個人主義の浸透ですね。   

 

>不況のときにリストラを敢行し、終身雇用が過去のものとなったことを大々的に示した日本企業に対し、忠誠を尽くして永続的な社員になろうという若手社員はもはやほとんどいなくなりました。 

 

そうですね。忠義と親孝行の話は聞かれなくなりましたね。

 

>彼らは企業に頼ることなく、自分の人生は自分でキャリアデザインしていかねばならないと考え始めているのです。  

 

そうですね。社畜・家畜の生活は、おさらばですね。   

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 

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