(1/2より)
日本人は・奥ゆかしい(深い考えがあるようにみえる)。実は、奥 (考え) がない。だから、浅薄である。日本人は、無哲学・能天気である。
政治家にも、政治哲学がない人が多い。我々の未来社会の有様を大衆に言って聞かせる術がない。だから、序列人間は人間の序列を作る。上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自己の存在を確認している。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲の序列人間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。
わが国は、人手不足はあっても、頭脳不足の無い国である。人間に頭を使う習慣のないのは、大きな損失である。特に、我が国のような資源小国においては特にそうである。
>■「しくみ」なら、変えられる
>これでひとつ目の疑問、「いつ『日本型人事労務管理』は生まれたのか?」に対する答えが出た。 >およそ150年前の明治期、つまり日本が近代化していく時代に「お役所」「軍隊」に適用されていたものが民間企業に広がったのが「日本型人事労務管理」の「はじまり」だった。
そうかもしれませんね。
>よって、「今の人事労務管理のしくみは日本人の気質に合った、いわば日本の文化みたいなものだから、中々変えるのは難しい」という先輩の言葉は正確ではなかったことになる。
日本人は、序列を重んじる人間ですからね。今の人事労務管理の仕組みは、序列人間に馴染みやすい制度だと思いますよ。
>「日本型人事労務管理」は、日本の長い長い歴史の中でも、近代化以降に、日本以外の「軍隊」「お役所」でも使われていた「官僚制」をベースに発展したものであって「日本の文化」でもなんでもない。
無哲学・能天気な日本人に馴染みやすい制度・仕来りだとおもいますよ。だから、日本人は日本型から抜け出すことが難しい。例えば、’日本人の宗教は儀式 (作法) があって教義 (教え) がない’ といったような特徴でしょう。日本人の場合は、とりわけ形式を守ることに力が入ります。だから、形式的なことは特にやめられない。
>つまり「日本人の気質」とは関係がなく、時代の変化に応じて、代替案さえあれば「変えられるもの」だということだ。
それほど簡単ではなさそうですよ。日本人には深い考えがないから、現実の惰性から抜け出すことが難しい。
日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。
' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)
非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。
自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。
意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' 対 '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。
わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
>~後略
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