人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり (じんかんごじゅうねんげてんのうちをくらぶればゆめまぼろしのごとくなり: 人の世の50年間は天界の時間と比すれば夢幻のように儚いものだ) 幸若舞「敦盛」の一節。
日本人の世の中は夢幻の如くになっている。眼前 (現実) の世界とそれ以外の非現実の世界とで出来ている。それ以外の世界は、夢 (未来) の世界と幻 (過去) の世界になっている。日本語には時制がないから、非現実の過去の内容も、未来の内容も文章の内容とはならず、つじつまの合う考えとはならない。だから、日本人にとって未来と過去は、はかなく当てにならないものである。目の前の有様を見るにつけても、脳裏に漂う夢幻により感傷的になってくる。
だが、英米人の非現実は確かな考えの内容となり、公式の発表として通用する。キング牧師も ‘私には夢がある’ と言った。そしてその内容を未来時制の文章を使って確たるものとして明らかにした。
「私には夢がある。それはいつの日かこの国が立ち上がり、真の意味でのこの国の信条、つまりすべての人は平等に作られたというこの国の信条にみあう国になることを」とキング牧師はワシントンD.C.の巨大なリンカーン像の前で群衆に語り掛けた。
I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed: "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal."
「私には夢がある。いつかジョージアの赤い丘の上で、昔の奴隷と奴隷所有者の息子たちが兄弟のように一緒にテーブルにつくことができるようになることを……」
I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.
日本人はそもそも「夢(dream)」とか「信条(creed)」や「信念(conviction)」という言葉が嫌いである。だから、つかみどころのない人間になっている。日本ではこれらは歯の浮くような言葉に聞こえる。非現実 (考え) の内容は、英語では、時制のある文章内容として表現される。日本語には時制がないから、文章内容にはならず意味がない。過去も現在も未来もごっちゃにして語られたのでは出鱈目になる。かくして、日本人には考え (構想) の内容がつかめない。それで日本人は政治音痴になっている。
だが、アメリカ人の多くはそういう言葉が確かな内容であり語られることを期待している。だから、過去のアメリカのリーダーたちもこれらの言葉を自分たちの演説に盛り込むことを常としてきた。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
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