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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

楽観できない 3/3 

2020-12-09 21:34:34 | 文化

 

>コンピューターも原子炉も車も半導体もおよそ今日本が世界をリードしているかのような技術の全ては嘗て欧米が初めて取り組んだ研究を日本が完成させた物ばかりなのだ。

 

そうですね。日本人の励みは、後追い専門ですね。 

 

>そのようなことが出来る技術は確かに素晴らしい。

 

そうですね。技術 (実学) は重宝を約束しますからね。   

 

>しかし、世界に先駆けて日本が研究を始めた物があるだろうか。 

 

後追い専門の人は、他人の前には出られませんね。  

 

>以前も書いたが、航空機一つ採っても本来なら日本が世界初の実用化が出来たはずだが、当時の国家がそれを潰した。  

 

世界発は後追いの作法にかなっていなかったからでしょうね。  

 

>世界初のCPUも日本の半導体メーカーは相手にしなかった。>つまり常識を越えた新しい発見、発明を日本人は採り上げない。

 

そうですね。常識を越えた新しい発見・発明は現実ばなれしている話なので日本人には信じられませんね。日本人には理屈が役立ちませんね。      

 

>それこそ出る杭だから叩いたと言うことでしかない。

 

そうですね。実に分かりやすい作法ですね。   

 

>これも日本人の国民性だと思うと、今何故日本が真剣に支那やロシアの軍事的脅威に正面から立ち向かわないのか、なぜ超汚染のゆすりたかりの鴨にされているのかも分かるような気がする。 

 

日本人には批判精神がない。そして、理屈が通じないからでしょう。   

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' 対 '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。       

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

 

>根拠のない信頼をする、と言うのも日本人の問題だろう。

 

そうですね。それは ‘なれ合い’ ですね。 なあなあ主義ですね。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。   

 

>日本では信頼することがまるで美徳のように見られているし、事実日本社会ではそれが今の安全穏やかな物になっている。

 

アニマルの生活と同じですね。非言語の世界の生活ですね。      

 

>しかしそれは日本人同士だから通用するのであって、その不用心さをどれほど支那人や超汚染人に利用されているか、もう少し日本人は理解すべきではないのか。 

 

そうですね。日本の常識は世界の非常識ですね。   

 

>外国人と日本人では価値観が違う、信頼ということも外国人と日本人は違う事をいつになったら日本人は理解するのだろうか。  

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩になお一層の貢献をすることが可能になるでしょう。  

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

>それは疑うことを罪と考えている基本的な文化による物なのだろう。が正しく疑うことは真の理解に繋がる。  

 

そうですね。’ゆめゆめ疑うことなかれ’ ですかね。これでは、真の理解は難しい。   

 

>裏付けもなく信ずることで被害を自分だけが被るなら自業自得で済むかも知れないが、そのために巻き添えになり犠牲になる者が多く出ることも、考えるべきなのだ。

 

そうですね。’失敗は成功の基’ と言われていますが、正しい反省がなされなくては成功には結びつきませんね。先の大戦の事についても同様なことが言えますね。      

 

 

 

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楽観できない 2/3 

2020-12-09 21:07:07 | 文化

 

>ベトナム戦争では非常に多くの米兵が戦死し、家族達の苦しみ悲しみは想像に難くない。 >その意味で米国は戦争という物を自分のこととして考える人間が多いと言えるのだろう。  

 

そうですね。Arlington (National) Cemetery アーリントン墓地も準備万端用意されていますね。    

 

>実際に過去に比べて米国の戦争はそれなりに小規模になっているが、ベトナム戦争での厭戦気分がその発端だとも言われている。 

 

罪のない人たちが政治家の指導により殺し合うのは罪そのものですね。WGIP (War Guilt Information Program) の努力を思い出しますね。   

 

>翻って日本の場合、戦後日本の自衛隊員は全く戦場に出ず、戦場で弾丸の一発も発射していない。が何度も書いているように戦争は一ヶ国では出来ない。 

 

そうですね。政治家が庶民に敵を教えて、それが戦争が始まりますね。   

 

>日本が戦争をしなくて済んだのは非常に幸運だったことと徹底的に戦争を避けた為なのだろうが、常に戦争は他国から仕掛けられる可能性があるとの認識を日本人は持つべきだろう。  

 

国家には自衛が必要ですね。  

イザヤ・ベンダサン は、<日本人とユダヤ人> の中で、安全について次の様に述べています。

個人の安全も一国一民族の安全保障も、原則は同じであろう。しかし、日本では、カキに果たして殻が必要なりや否やで始まるから、知らせないこと、知らないことも、安全には必要だなどという議論は問題にされない。さらに防衛費などというものは一種の損害保険で、「掛け捨て」になったときが一番ありがたいのだ、ということも (戦前戦後を通じて) 、日本では通用しない。(引用終り)   

 

>戦争を意識するから避ける努力も出来る事を日本人は本当に理解していない。 

 

そうですね。トルコのように国境が八か国に接している国は紛争ばかりをしていなくてはならないそうです。   

 

>日本人の問題として次に挙げられるのが、自らを追い詰める点ではないだろうか。  

 

無哲学・能天気の歌詠みは、精神的に弱いですね。   

 

>現在の武漢肺炎問題で多くの事業が廃業もしくは縮小を迫られているが、その煽りで生活の糧を失った人が大量に出た。 >むろん、その為に政府としては可能な限りの支援をしているが、到底それで間に合う物ではないし、現実に自殺者が急増、それも女性の自殺者が極めて多くなっている。>国際的に言うなら、経済への打撃は、日本はまだまだましな方なのだ。 

 

そうですね。わが国は死者も少ないですね。   

 

>欧米、ロシア、インド、ブラジルなど感染者発生が停まらず、ロックダウンをし、その為多くの事業が破綻しているし、当然そこで働いていた労働者は一方的に解雇され、そして何ら補償をされていない国がかなりある。が、そのような状況で、日本のように自殺者が急増しているとの話はあまり聞いていない。>日本で自殺者が急増しているのが他国から見れば圧倒的に被害の少ないはずなのに何故だと言うことになる。 >つまり、日本人が余りに神経質というか精神的に追い詰められやすいのではないかと思う。 >これは日本の緻密さ故と言うことなのかも知れないが、なんとかならないかとも思う。    

 

日本人には活力がありませんね。    

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

 

>むろん、この緻密さが日本特有の優れた文化を創り出しているのだろうが。

 

日本人に、目先・手先のことは分かるが世界のことは分からない。   

 

>日本は世界でも最先端を行く科学立国であり、国民の教養レベル、マナー、勤勉さなどは世界でも群を抜いている。が、これが周囲との同調を大切にする国民性、文化の為なのはその通りだと思うが、一方周囲との協調性を気にしすぎるため、突出した天才が育ちにくい。 

 

そうですね。COVID-19 のワクチンもわが国で出来ると良いでね。   

 

>つまり出る杭は打たれるのだ。>これはある面極めて大きな問題だとも思う。  

 

そうですね。 わが国は、ご唱和の国ですからね。出る杭は個人ですね。日本人に個人主義の理解は難しいでしょうね。  

 

>たとえば、今回はやぶさ2が小惑星りゅうぐうから持ち帰ったサンプルの入ったカプセルをきちんと回収したなどは、初代のはやぶさの成果を発展させて成し遂げたものだ。>この、五十億キロも往復して自分で小惑星からサンプルを採取するなどは世界初の事なのだが、しかし宇宙開発を日本が初めてやったわけでは無い。   

 

そうですね。後追いが特技であれば、日本人が初めてやるのは難しいですね。   

 

 

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楽観できない 1/3 

2020-12-09 18:18:44 | 文化

 

>日本も無論楽観は出来ない (略)  >常日頃、日本は他の国とは桁の違う、次元の違う先進国だと何度も書いている。>だから日本には何の心配も無いと言いたいのだが、そうはいかない。   

 

天災は、忘れなくてもやってくる。   

 

>ただ、次に挙げることなどは、むろん他国でもあるのだろうし、あくまで日本人として感じる日本の問題なのであって、他国に比べて仮に少ないとしてもだから構わないと言うことではない。

 

人災の事ですね。   

 

>まず第一に、基本的に日本人には危機感が無さ過ぎる。

 

そうですね。日本人は、目先・手先の事柄に神経を集中させていますからね。それ以外の事は疎かですね。世界観がない。世界の事は ’我関せず’ ですね。

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。が、人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) の内容もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。現実の垂れ流しにより危機感を感じた時には、時すでに遅しである。     

 

>現在有る平和が当たり前の状態だと思い込み、どれだけの犠牲を払ったかを理解していない。 

 

そうですね。日本人は理解が不得意ですね。

見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。誰しも ‘嘘つき’ にはなりたくない。だから、自分の非現実は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。日本語には、非現実 (考え) の内容を語る為の時制のある構文がない。

現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。      

 

>現在の日本人の殆どは戦後生まれか、あるいは戦争中は精々十代で直接戦争を実感していない。 >たとえば、現在広島長崎の原爆の語り部と言われている人たちも、直接自分では体験していなく親の世代から聞いたことを語り伝えているのであり、原爆の恐怖を直接体験しているわけではないから、実感が乏しい。 

 

直接体験した人たちは、実感が湧いてくるから現実を語るのが恐ろしい。だから、黙して語らない。   

 

>むろん、それは当然のことでありそれでも語り部を続けているこの人たちの気持ちは尊いのだが、直接自分で戦争を体験した人とそうでない人では同じ話を聞いても自身の体験としての悲惨さがないだろう。  

 

ベトナム人に戦争の体験を聞いたら、戦争の悲惨さが良くわかるでしょうね。   

 

>私 [たかおじさん] 自身もそうであり、親世代も直接は戦争に行っていないが体験はしている。>その話は何度も聞かされていたのだが戦争体験という実感は無い。 

 

実感を体験したい日本人は、紛争地域の非正規軍に入隊するしかありませんね。   

 

>しかし、世界の大半は日本が戦後経済活動などで必死の時、生きるか死ぬかの経験をしたのと同様な経験をした人間が大半なのだ。  

 

そうですね。外国には生きるか死ぬかの経験豊かな人が多いですね。      

 

>あの米国にしてからが、様々な戦争を実際に体験した人間が無数に居る。 

 

大統領も若い時には戦場に出ていましたね。   

 

>嘗て米国に居たとき、湾岸戦争だと思うが出征兵士の家の戸口には黄色いリボンが付けられていた。 >その後も、米国は度々海外で戦争をし、黄色いリボンはそのたびに各家に掲げられるようになった。

 

黄色いリボン (前線で戦う兵士の無事を祈り、家の周囲や車、洋服などに飾る米国の習慣) はおまじないですね。  

 

 

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