(1/2より)
肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する以下のような事柄が記されています。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)
自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない。
>●山本七平著『ある異常体験者の偏見』より
>軍隊語とは、単なる言いまわしや表現の問題ではなく、主語や時制が明確でない日本語では、軍隊の運営も戦争もできないが故に特別に造られた言葉であって、この言葉(軍隊語)を正しく分析すれば、それだけで戦争というものの実体がつかめるのではないかと思われる言葉である。>従って語系が違うと考えた方がよいかも知れない。
語系が違うので、わが国は高文脈文化 (high-context cultures) の国になり、西欧は低文脈文化 (low-context cultures) の国になっているのでしょうね。
[高文脈文化と低文脈文化の比較の例]
《高文脈文化》の特徴: 言葉以外に状況や文脈も情報を伝達する。重要な情報でも言葉に表現されないことがある。/ 曖昧な言語 / 一般的な共通認識に基づく / 双方の合意に基づいた契約でも状況によって柔軟に変更される。/ 感情的に意思決定される/沈黙は不快ではない /
《低文脈文化》の特徴: 伝達される情報は言葉の中で全て提示される。/ 正確性が必要とされる言語 / 言語に基づく / 双方の合意に基づいた契約の変更は容易ではない。/ 論理的に意思決定される / 沈黙はコミュニケーションの途絶として不快 /
出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』
>「大阪弁では喧嘩はできない」などといわれるが、もっともっと徹底した意味で「日本語では戦争はできない」のである。 >私自身はこのことを非常に誇りに思っている。
私自身の体験からすると関西弁で話す方が関東弁よりも気が楽ですね。でも、相手に平和を説得する知力も無いようですね。
>たとえば普通の日本語の「お待ちしております」では戦争はできない。>そこで軍隊語では「小官当地ニテ貴官ノ来訪ヲ待ツ」という言い方になるわけであって、この語順が何語に一番近いかは説明するまでもあるまい。(略)
低文脈文化の言語の威力ですね。世界を動かす力を感じます。
>今でも日本語と軍隊語の差はほぼ正確に指摘できると思う。>私はいつもこの二つの言葉を比較して、「なるほど、戦争とはこういう言葉を使わないと出来ないものか!そして、こういう言葉を使うことは、戦争を指向する証拠のわけか!」と思っていた。
現在の自衛隊語は戦争を指向するようになっていますかね。
>◆欧米の言語は軍隊語の文法
>言葉そのものから体系的に組みかえて行かない限り戦争はできないのだから軍隊語は「戦争語」だといっていい。
日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。
' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)
>なお、ほとんどの欧米の言語は、軍隊語の文法です。
そうですね。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
>リンクより
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