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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

齋藤孝氏 1/4  

2020-12-30 01:05:52 | 文化

 

> 20/12/28 PM08  >リンクより

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>明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…   >学校生活を軸にした毎日を送るきみたちは、テストの点数だとか成績だとか偏差値というもので評価され、判定されています。  

 

そうですね。我々は序列社会に生きる序列人間ですからね。   

 

>目に見える数字のかたちで、突きつけられている。 >だから、「勉強ができる、できない」が、頭のよさを測る絶対的な「ものさし」であるかのように思えます。 

 

序列順位は一般民衆に分かりやすい評価を提供していますね。しかし、当てにはならない基準ですね。   

 

>だけど、じつはそうじゃないんです。

 

あなたは本当のことを言うのでしょうね。

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるいうのも云うのも、序列社会の言い換えに過ぎない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら ‘序列なきところに礼儀なし’ の状態になる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位をよく心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。下々は上々の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。

序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであるという価値観を共有している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。上々が無哲学・能天気である事は、人々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。     

 

>学生という立場が終わって社会人になると、頭のよさを測るものさしが、突然変わります。

 

それは日本人の序列順位が変わるということですね。    

 

>「勉強ができる」ことから、「社会に適応できること」に切り替わるんです。  

 

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官) 

変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。   

 

>ぼくは、勉強ができるのはいいことだと思っています。 >できないよりは、できたほうがいい。 >だけど、勉強ができれば社会に出てからも「頭のいい人」としてやっていけるかと言うと、そうとは限りません。 >社会に適応できなければダメなんです。 >たとえば、一流大学を出て就職したけれど、まわりの人とうまくコミュニケーションがとれない人がいます。 >いま何をすることが求められているのかもピンときていない。 >こういう人は、「勉強はたくさんしてきたかもしれないけれど、使えないやつだ」と言われてしまいます。

>それまでずっと「勉強ができる」「頭がいいね」「すごいね」とほめられつづけてきたのが、社会に出たとたん、一気に地に落とされる。 >プライドがズタズタになってしまいます。

 

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)      

 

>あるいは、すごい学歴をもち、社会的に高い地位についていながら、法を犯してしまうような人もいます。  

 

'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン) 

周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)   

 

 

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