>日本の近代化と中国・朝鮮半島の近代化とでは、どこが決定的に異なるのか。日本の近代化は江戸時代に始まり、猛烈に西欧に学んだ明治時代で完成した。中国・朝鮮は近代化を頑なに拒み、西欧に学ばなかった。国家の上層部が中華思想の虜となって、西欧文明を無視するか、強烈な拒絶反応を示したからだ。
日本人にとっては、中国文化も西洋文化も外来文化であることに変わりはないのでがね。中国人にとっては西洋文化のみが外来文化ですからね。
横文字文化は、漢文になりにくいですね。漢字は、漢人 (中国人) の考えを伝えるために造られた文字ですし、非漢字圏の文化を伝えるための漢字を中国人はつくらないですからね。
漢文は、横文字文明を無視します。
日本人は、自己の消化力を使って外来文化を消化吸収しますが、中国人にはその消化酵素が無い。だから、強烈な拒絶反応を示しますね。
>中国の政治システムの基本は、絶対主権者としての皇帝、皇帝の手足となって土地と人民を支配する官僚、官僚を選抜する科挙制度という三点セットであった。これを正当化するイデオロギーとなるのは、儒教とその発展形である朱子学である。このシステムをまるごと導入したのは、高麗時代以来の朝鮮半島だ。
三点セットは、漢字と共にある。だから、漢字圏の人々は中国の政治システムから逃れられないですね。
>この一元化構造は官僚層による凄まじい汚職、腐敗をもたらす。彼らの民間に対する徹底的な収奪の伝統はいまも健在である。官僚の知識と教養の中核となる「四書五経」62万字は、産業化・近代化を生む土壌としての「科学の精神」が入り込む余地がない。なぜなら「論理的思考」と「実証的考察」が殆どないからだ。
漢字圏の人々は非現実である世界観を持っていない。現実がすべてである。
科学は一種の嘘である。勝手に考えた非現実の内容に現実の内容を組み合わせて矛盾を排除して仕上げた作り話である。
「論理的思考」とは、非現実の内容から矛盾を排除する知的作業である。
「実証的考察」とは、現実の内容を非現実の内容に組み込む知的作業である。
現実の世界は一つであるが、非現実の世界は、過去・現在・未来と三種類ある。世界観は非現実の内容である。
非現実の世界を念頭に置いて、現実のあり方を批判し制御すると、文明国になる。非現実の内容を現実の内容として実現し進歩する。
中国人のように現実がすべてであると確信すると、人間は傲慢になり恣意に対するブレーキが利かない。それで、汚職、腐敗は止まらない。
>中国と朝鮮は、結局「中華文明の毒素」によって、未来への可能性を殺されたということになる。日本も中華文明から多大な影響を受けたが、慎重な取捨選択を行ない、主体的かつ賢明な判断をした。その結果、明治時代において、日本はこのアジアでいち早く西欧と肩を並べる近代文明国家になったのだ。
「中華文明の毒素」とは、現実がすべてであると確信することの傲慢な態度である。日本人も無哲学・能天気であるが、序列社会の中においても向上心が生かされる仕組みを保持していた。だから、ブランド・ネイムのある国が出来た。
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