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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

文明の毒素

2017-07-23 04:32:41 | 文化

>日本の近代化と中国・朝鮮半島の近代化とでは、どこが決定的に異なるのか。日本の近代化は江戸時代に始まり、猛烈に西欧に学んだ明治時代で完成した。中国・朝鮮は近代化を頑なに拒み、西欧に学ばなかった。国家の上層部が中華思想の虜となって、西欧文明を無視するか、強烈な拒絶反応を示したからだ。

日本人にとっては、中国文化も西洋文化も外来文化であることに変わりはないのでがね。中国人にとっては西洋文化のみが外来文化ですからね。
横文字文化は、漢文になりにくいですね。漢字は、漢人 (中国人) の考えを伝えるために造られた文字ですし、非漢字圏の文化を伝えるための漢字を中国人はつくらないですからね。
漢文は、横文字文明を無視します。
日本人は、自己の消化力を使って外来文化を消化吸収しますが、中国人にはその消化酵素が無い。だから、強烈な拒絶反応を示しますね。

>中国の政治システムの基本は、絶対主権者としての皇帝、皇帝の手足となって土地と人民を支配する官僚、官僚を選抜する科挙制度という三点セットであった。これを正当化するイデオロギーとなるのは、儒教とその発展形である朱子学である。このシステムをまるごと導入したのは、高麗時代以来の朝鮮半島だ。

三点セットは、漢字と共にある。だから、漢字圏の人々は中国の政治システムから逃れられないですね。

>この一元化構造は官僚層による凄まじい汚職、腐敗をもたらす。彼らの民間に対する徹底的な収奪の伝統はいまも健在である。官僚の知識と教養の中核となる「四書五経」62万字は、産業化・近代化を生む土壌としての「科学の精神」が入り込む余地がない。なぜなら「論理的思考」と「実証的考察」が殆どないからだ。

漢字圏の人々は非現実である世界観を持っていない。現実がすべてである。
科学は一種の嘘である。勝手に考えた非現実の内容に現実の内容を組み合わせて矛盾を排除して仕上げた作り話である。
「論理的思考」とは、非現実の内容から矛盾を排除する知的作業である。
「実証的考察」とは、現実の内容を非現実の内容に組み込む知的作業である。
現実の世界は一つであるが、非現実の世界は、過去・現在・未来と三種類ある。世界観は非現実の内容である。
非現実の世界を念頭に置いて、現実のあり方を批判し制御すると、文明国になる。非現実の内容を現実の内容として実現し進歩する。
中国人のように現実がすべてであると確信すると、人間は傲慢になり恣意に対するブレーキが利かない。それで、汚職、腐敗は止まらない。

>中国と朝鮮は、結局「中華文明の毒素」によって、未来への可能性を殺されたということになる。日本も中華文明から多大な影響を受けたが、慎重な取捨選択を行ない、主体的かつ賢明な判断をした。その結果、明治時代において、日本はこのアジアでいち早く西欧と肩を並べる近代文明国家になったのだ。

「中華文明の毒素」とは、現実がすべてであると確信することの傲慢な態度である。日本人も無哲学・能天気であるが、序列社会の中においても向上心が生かされる仕組みを保持していた。だから、ブランド・ネイムのある国が出来た。


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移民ブーム

2017-07-22 22:25:26 | 政治

>胡潤は今年4~7月、304人の富裕層(平均資産2000万元、日本円約3億3千万)を対象に調査を行った。その結果、46.5%の人が現在、移民を考えており、9%の人がすでに移民、または申請中であることがわかった。

中国の環境は中国人の金持ちにとっても良くないことが明るみに出ましたね。中国では、せっかく貯めた金が目的に対する手段にならないのは残念なことです。

>アメリカは3年連続して最も人気のある移民先となった。カナダは3位のイギリスを抑えて、今年2位に上昇、オーストラリアは4位。

アメリカが筆頭ですね。英語圏に対する中国人の人気は確実の様ですね。アメリカは、日本人にとっても親しみのある国ですが、これは、単なる偶然の結果ではないようです。良い教育が良い環境をつくっているのでしょう。英語を使った教育による ‘あるべき姿’ 追求への努力は、漢字圏の中国人にも認められてきたのでしょう。中国・ロシヤなども大国ではありますが、移民・難民は押しかけることがないでしょう。

>移民の動機は「教育」(76%)と「環境問題」(64%)が4年連続して1位と2位を維持した。その次に医療、資産の安全、政治環境、社会治安と続く。(略)

英語に基づく教育は、環境問題以下の種々の問題を解決の方向へと導いています。あるべき姿を持たない中国語による教育では、英米流の高等教育は達成できませんね。中国語を母語 (約12億人) とする人の数は英語の話者 (8億人) を上回っているのですが、第二言語として話す人 (2億人) はきわめて少ないです。つまり、中国語は国際語としてはあまり役に立っていないということです。教育には金が必要であるが、金だけではどうにもならないものがあります。それは、言語の問題です。そこで移民を決意することになる。いずれにしても、英語が言語として重要であることに変わりありません。
中国語 (マンダリン) を母語とする人は約12億人います。第二言語とする人は約2億人います。限られた地域に、寄り集まって生活しています。日本人と似たようなものかな。彼らは、中国・台湾・シンガポールに限られています。英語は母語、第二言語の話者は共に約4億人います。世界で最も影響力のある言語となっています。中国人の金持ちを動かすほどの力があるのでしょうね。

>これまでの移民ブームはそれぞれ労働者、技術者、投資移民がメインだったが、今回の移民ブームで、中国人富裕層は清潔な空気、安全な食品などハイクオリティ・ライフ(高品質の生活)を求めている。>今年5月、中国ポータルサイト網易はAP 通信がまとめた資料を引用して、この10年間、中国人は移民に240億ドルの費用をかけたと報じた。




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感覚と意識

2017-07-21 21:22:17 | 教育
>とくに興味深かったのは「感覚」と「意識」の話でした。>感覚とは「違い」を識別するもの、意識は「同じ」にしようとする。>感覚とはいわゆる五感で感じたものです。>見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる>こういった行為を通して感じたものを、どう違うか識別しています。つまり、違いを見つけるための感覚ですね。

そうですね。意識は言語により生ずる効果ですね。アニマルにはない効果ですね。人間に調教されたアニマルの場合には、どうなるのかな。

>動物なんかはこの感覚が発達していますよね。>本書の中では犬の話が出ていました。
>犬は絶対音感を持っているから、言葉がわからなくても声の高さが違えば、誰が自分を呼んでいるかわかるというんです。>そして人間も生まれた時は誰しも絶対音感を持っているけれど、発達の段階でなくしていく。>それは「言葉」のせいなんじゃないかというんです。

そうかもしれませんね。

>お父さんとお母さんの声の高さが違うのに、同じように「タロウ」と名前を呼ぶ。>これを「別」だと認識してしまうと「タロウ」という言葉が成立しない。
>だから音の高さの違いを無視して「タロウ」という同じ言葉としてを理解をしている。>「違う」と感覚が認識したものを、言葉として「同じ」と認識するための能力が意識である。

そうですね。伝達される情報は言葉の中で全て提示されるということですね。感覚は、言葉で提示されませんから、他人の痛さは自分では感じられませんね。

>つまり、言葉を使う人間だからこそ持っているものが「意識」だというんです。

そういうことになりますね。言葉に出して指摘されると、その内容を相手も意識しますね。

>そして、人間は「同じにする」能力を持つ「意識」と、違いを感じる「感覚」の両方を持っている。>なのに、現代の日本人はこの「意識」に頼りすぎてるんじゃないかというんです。

それはあるかもしれませんね。

>確かに、なにもかも「同じ」であることに偏り過ぎているかも。>だからいまの「みんな違っていい」という言葉が響いてきたり、個性を尊重する流れがあったりするのかもしれませんね。

考えの内容が吟味されることが無ければ、没個性になりますね。現実の内容は皆が同じになる。非現実 (考え) の内容は皆がバラバラで個性的になる。現実の内容は頭の外にある。これは見ることが出来る。非現実の内容は頭の中にある。内容は無数にあるが見ることが出来ない。話を聞くことはできるが、その内容を理解できるとは限らない。違った考えを保護するためには、個人主義が必要です。個人主義により、個性が尊重されます。

(略)


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マッカーサー

2017-07-21 05:35:13 | 日本語脳

(略)
>マッカーサーは1941年からずっと日本人について考えてきた。いや、もっと前からかもしれない。マッカーサーは小さい頃父親と共に来日し、日本軍の英雄である乃木希典や東郷平八郎と会う機会すらあり、その生き方に感銘を受けた日本通でもあった。
>そんなマッカーサーだからこそ、日本人の強みの原点は既に見抜いていた。

日本人の強みは、欠点でもあるのでしょうね。

>それは、日本人特有の精神文化、規律のとれた習慣、周りを思う道徳心。

そうですね。日本は高文脈文化ですからね。アメリカなどの低文脈文化とは違って、特有ですね。

>この強みこそ、日本人の弱点になってしまった。「これを奪うことが日本を再起不能にする。二度とアメリカに歯向かわない国にする」と確信したマッカーサーは、これを教育で徹底的に破壊することに力をいれる。

欧米文化では、伝達される情報は言葉の中で全て提示される。それならば、責任者の ‘言った、言わない’ は重要な意味を持つ。日本文化では、言葉以外に状況や文脈も情報を伝達する。’重要な情報でも言葉に表現されないことがある’ というのであるから、責任者が ‘何を言った、言わなかった’ を問題にしても仕方がないであろう。曖昧な言語を使った知的作業はこのような結果になる。我が国人の行う西洋人の真似もここまでか。

>そのスピードは早く、占領開始から2週間もせず「国体」と「神道」の抹殺を命令、2ヶ月後には現行教科書の使用を停止、4ヶ月後には教育界やマスコミから都合の悪い人物を公職追放で駆逐、8ヶ月後には不適格な思想を持つ教職員を排除するための審査を開始。この審査にあたっては、全国130万人もの教職員が対象になった。そして1年後には、高等師範における英才教育の廃止なども行われている。

彼らは、優柔不断・意志薄弱ではありませんね。だから、仕事が早い。

>そして、明治より学校教育のベースになっていた「教育勅語」が、「軍国主義を生む」として捨て去られる。だが、それを学んできた私たちの祖父母、その親兄弟たちは、そんなに好戦的な恐ろしい人たちだったのだろうか?

日本語は、言語機能が十分でないから、つい好戦的になります。

>さらに、同じく明治から日本が「欧米列強に牛耳られまい」と取り組んだ、日本的なイデオロギーや列強の研究などを扱った書物が、7千冊以上GHQにより葬り去られた。先人の叡智の結晶とも言えるものが、現代の私たちの目には決して触れないようになってしまった。

意地・根性だけでは、学問 (哲学) はなかなか進みませんね。

>日本が弱くなってしまった理由
>こうして、過去から受け継いできたものを全部捨て去って、日本の教育が空洞化したところで日本人に教えられるようになったのは、「歴史の上澄み」と「平和を愛する民主主義」。

高文脈文化に没頭するのは良くないですね。低文脈文化に適合することも必要ですね。

>これでは日本が精神的主柱をなくしてボロボロになるのは必然だった。「過去を失い自分の国のなりたちがわからない」とはつまり、「自分のこともわからない」ということ。アイデンティティを喪失し、目隠し状態になった日本人。これは、マッカーサーの計画通りになってしまった。

恣意 (私意・我がまま・身勝手) 的な思い込みばかりでは、立つ瀬がありませんね。我々には、 ’伝達される情報は言葉の中で全て提示される’ といった行き方を取り入れる必要がありますね。

>結果として私たちの多くは自分の国の歴史、特に近代史を「なんとなく」しかわからない状況になり、しかも「侵略戦争をした」とする後ろめたい気持ちすら埋め込まれている。なので外国から謝罪を求められれば、毅然とした対応が取れず、何度も何度も謝罪してしまう。

悪いと思うことには、謝罪したらよいでしょう。日本語は曖昧な言語ですから、’何となく’ になりますね。

>日本政府や高官が戦後、公式に謝罪に触れたのは45回。非公式ならそれ以上になる。

良くないことには謝罪する。よいことには誇りを持つ。それでよいのではありませんか。そうであれば、信頼される人間になれます。

>「あの太平洋戦争はなぜ起きたのか?」 こんな大事なことも私たちが話したり考えたりすることすら、タブーのように扱われてきた。

考える人が少ないのですね。

>先人たちがどうしてあんなに血を流したのか、何のために戦ったのか、どうしてあんな戦い方ができたのか? それに答えられないままでいる。

答える必要がありますね。それは歴史の勉強ですね。

>一般的には、軍部の一部が暴徒化して、侵略行動を激化させていったとされている。これは、マッカーサーが実質責任者だった東京裁判の考え方でもある。

日本人には意思が無い。意思は未来時制の文章内容で、日本語文法には時制が無い。だから、日本人には意思が無い。意思のない指導者は、既成事実の追認に追われる生活をしていたのでしょう。

>しかし果たしてそれだけだったのか? 資源もない日本が国力と国民を削ってあれだけ大きな戦争をしたのは、ただの一部の人間の利己的な侵略のためだったのだろうか? 

恣意的だったのでしょうね。意地・根性を鍛えたのでしょう。これしかないと信じたのでしょう。

>日本が戦争した理由に答えられない日本人
>その答えのためにもう少し時代を遡ってみれば、太平洋戦争前も、日本は驚くほど多くの大戦争をしている。太平洋戦争、日中戦争、第一次世界大戦、日露戦争、日清戦争…。そしてその前は国内でも西南戦争と戊辰戦争が起きている。

そうですね。国は武力による決着に力を入れましたね。

>しかしその前はといえば? 天下泰平の江戸時代は260年も戦争がなく平和だった。その日本人が、江戸が終わってから明治維新を経て、終戦に至るまで約70年。決して豊かな国ではないのに、多額の借金を背負い、多くの犠牲を出して、人が変わったように戦争に走ったのはなぜだったのか?

内政だけでは、国がやっていけなくなったためでしょう。

>明治以降に日本人が作り上げた教育勅語や数々の書物をマッカーサーがあそこまで徹底的に葬り去ったのは、そこには何か知られたくない秘密でもあったのだろうか?

徳目の暗記だけでは、無哲学・能天気の状態を脱することはできませんね。つまり、’考える人’ にはなれないということです。

> 日本が数多くの戦争に走った起源である明治時代。そのころに育まれた精神や知恵を失った日本人。この空白には、一体何があったのか。(後略)

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。
 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。
 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。
 日本人は外交を知らない。(引用終り)


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変身資産

2017-07-20 16:21:07 | 日本語脳

>■「正しいキャリア」なんて存在しない!
>私は若い社会人と一緒に活動したり、講演や講義で高校生や大学生と接したりする機会が多くあります。そうした機会に、「個人が人生の意思決定の主役であり、人生の選択オプションは多様に広がっていることが21世紀という時代である」という考え方が若い世代に十分浸透していないと感じます。

そうですね。日本人には意思が無い。だから、個人が意思決定の主役であることも考えられません。

>そればかりか、両親や教師の敷いたレールの上を走ったり、「社会で、組織で、学校でこうあるべき」という「正しい」答えに基づくライフスタイルや行動にがんじがらめになったりしている姿をよく見かけます。私は、個人の選択を基盤としている本書は、いまだ20世紀の発想にとらわれている日本への警告、そして個人へのエールだと確信しています。

日本語という言語の問題が関係していますから、個人的解決は難しいでしょうね。それにしても、矛盾を含まない考えは、すべて正しい考えですね。

>労働市場が硬直的であるだけでなく、「鎖につながれているような」「この道をはずれると挫折、負け組」という考え方が、働き方をはじめ生活のいろいろな場面で、背景に見られるようにも感じます。

そうですね。日本人の社会は序列社会 (縦社会) ですから、縦の道を外れることは危険ですね。

(略)
>本書は、老後のための預金、年金はどうなるのか、など金銭的な資産ばかりが注目される中(特に日本ではこの傾向が強い)、以前より長い人生をデザインするために必要な資産は、「生産性資産」「活力資産」「変身資産」という目に見えない無形資産であることを具体的に説明しています。

それは、初耳ですね。

>「変身資産」はいろいろな変化、転換、多様な経験を求めることによって形成されるものですが、これにくわしく触れていることは、特に仕事でも組織でも、極端な場合は意見や見解でも、個人が「変わる」ことをなかなか認めない日本にとって、大きな意味があります。

豹変は難しいですね。敗戦直後には、激動しましたがね。

>日本における「変身資産」への感度の低さは、しだいに崩れ始めているとはいえ、まだ強い力をもつ新卒一斉採用、固定的な人材管理制度、枠にはまらないキャリアやライフスタイルの排除などに現れており、いくら多様性といっても表面的で実効がともなわない状況を招いています。

日本は没個性的な社会ですから、多様性は歓迎されませんね。

>高校生や大学生と話すと「こうあるべき」「一度決めたら変えられない」という意識が強いことを感じますが、これは、「変身資産」という考え方がそもそも存在しないことをよく示していると思います。 

日本人には、自由がないですね。自由は意思の自由のことですが、日本人には、意思がありません。ですから、自由は意味がりません。不自由を常と思えば、不足なし、か。意思が無いから、優柔不断・意志薄弱に見える。そこで、意地・根性で恣意を鍛えて ‘一度決めたら、変えられない’ とします。

> ■すべての世代が「自分自身の絶えざる再生」を
>「レクリエーション(余暇)からリ・クリエーション(自己の再創造)へ」というメッセージは、リタイアしてこれからどうするか、と思っている団塊の世代にとっても具体的かつ元気の出るものだと思います。今までやりたかったけれどもできなかった「旅行をする」「コーラスをする」「楽器を習う」など、いわゆる「趣味」の活動をリタイア後に始める人は増えてきています。

そうですね。私もその一人か。

>しかし、「リ・クリエーションを」という本書のメッセージは、リタイアするまで待つのではなく、若い時から常に自分を新しく創造し、そしてそれを生活の一部にすることの重要性を説くものです。

それは善いことですね。

>本書から得られるメッセージは、日本の全世代に通用します。個人で選択することは子供の頃から経験を積まないと身につかないし、突然決めろといわれても困難です。選択のオプションは広いこと、さらに広がりつつあること、そして個人こそその選択の権利を持っていること、選択したことは自分で責任を持つことを人生100年時代は要求しています。

意思が無ければ個人もない。自由意思が無ければ、個人の責任は苦役にしかならないですね。

>今の子供は寿命が100歳を超えることが当たり前ですから、若いときから個人で選択する経験を持たせる必要があります。また子供や若い人だけでなく、本書に登場する3人(ジャック=1945年生まれ、ジミー=1971年生まれ、ジェーン=1998年生まれ)のひとり、団塊の世代の「ジャック」の年代にある人も、意識して3つの目に見えない無形資産をつくっていくことが必要です。

そうですね。

>私にとっての本書の最も大きなインパクトは、「長寿は、多様で素晴らしい経験をする時間の余裕をあたえてくれるすばらしい機会だ」という根拠のある(長寿は世界的に、とくに日本では「明らかな傾向」ですから)期待です。それを自分のものとできるかどうかは私自身にかかっていること、そして自分なりに残りの人生をデザインできるということは、開放感をもたらしてくれました。(略)

長寿には解放感がありますね。



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