2019/10/27 創世記1章26節~2章3節「神の傑作である私たち」
ニュー・シティ・カテキズム4
先週は「三位一体」をお話ししました。今でも「三位一体」という言葉はマンガやビジネスでも使われますが、その原点はキリスト教です。神は三位一体の神。神はただおひとりでもあるし、父・子・聖霊の三つの位格を持つお方でもあります。神は愛し合い、友情を育み、チームワークをなさるお方です。その神が人間を造ったのはどうしてでしょうか。それは、先の聖書にあったように、人間をご自身のかたちとするためでした。
創世記1:26神は仰せられた。
「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」
27神は人をご自身のかたちとして創造された。
神のかたちとして人を創造し、
男と女に彼らを創造された。
ここにはハッキリと「神のかたち」が繰り返された上で、それが「男と女に」と平行されています。男と女に造られた事を通して、神は神ご自身の形を表されます。聖書の書かれた最初の頃、紀元前の時代、イスラエルの周辺の文化にも「神の形」という言葉はありました。しかしそれは、エジプトの王だけとか、ごく一部の限られた人を指していました。他の人は、神の形ではなく、奴隷のように扱われていたのです。特別な人だけが「神のかたち」を名乗れるのが当たり前。そうした中で、聖書は「すべての人が神のかたちであり、男と女とに造られた両方があっての、神のかたちなのだ」と言います。
第四問 神は私たちを、なぜ、どのように創造されましたか?
答 神は私たちを神ご自身のかたちとして男性と女性とに造られ、神を知り、愛し、共に生き、栄光を表す為に造られました。神に造られた私たちが神の栄光を表わす為に生きる事は正しいことです。
男性も女性も、みんなが神のかたちです。そして、男性と女性が一緒に造られて、一緒に過ごすことを通して、当然、会話をしたり、喧嘩をしたり、愛する事、愛されることを学びながら、共に生きることが、神を知り、神を愛し、神とともに生きることにつながる。そうして神の栄光を現すことが、人間が創造された目的だったのです。神が人間を、男性と女性とにお造りになったのは、そうすることで、人が神の栄光を現すためでした。皆が神の作品、傑作です。人は神の栄光を現すために生きているのです。
先週、ニュースで、フランスの高齢女性の台所にあった絵が、29億円で落札されたことが話題になっていました。持ち主は、ずっとその絵を台所に飾ったまま、「ただの宗教画だと思っていた」そうですが、実は、八百年前にチマブーエという画家が描いた貴重な絵だったのです。この落札額は、中世の絵としては最高金額だそうです。ただの絵だと思っていたら、最高の価値があった。

それと同じ発見がすべての人間に言えます。ただの人、平凡な人間。そう思っているすべての人が、神の形に作られています。台所で働いていようと、老人でも、見知らぬ人でも、どんな人でも、神がご自分の形に作られた、最高に価値がある人なのです。私たちは皆、神の最高傑作品です。その価値は、神ご自身の価値にも等しいのです。だから、神は私たちを取り戻すために、神の子イエス・キリストが人間になり、身代わりとなって死ぬほどの代償を厭いませんでした。私たちを買い戻すために、神ご自身の命が支払われたのです。それほどの価値が、すべての男性と女性とに与えられているのです。その価値を、私たちは気づかないだけです。
神が私たちをお造りになったのは神の栄光を現すためで、私たちが生きているのも神の栄光を現すためです。造り主である神を忘れて、自分の栄光やこの世界で一番になること、名誉や賞賛を受けることを人生の目的や最高の幸せとして求めるのは、大きな勘違いですし、虚しい結果しかもたらしません。人は神の栄光を現すために造られたのですから、神の栄光を現すために生きることが最も幸せであり、自然なのです。一方で、私たちが頑張って神の栄光を現さなければならない、というのでもありません。神の栄光はこの世界や私たちに十分に現されています。私たちはただ、その神をますます知り、ますます誉め称えるだけです。自分も、神様の栄光を現すために造られたことを受け入れて、神を知り、神を愛し、神とともに歩む。頑張るのでなく、正直に、自分を喜び、すべての人を喜んで、神を礼拝しながら生きることが神の栄光を現すのです。
Ⅱコリント3:18私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
これも三位一体のチームワークですね。神が、私たちを神のかたちにするため、御霊なる主が働かれます。神が人間を神のかたちにお造りになったのですから、人間任せではないのです。私たちは主イエスの栄光を見ながら、神のかたちに変えられます。愛なる神の栄光が最も豊かに現されているのは、キリストの福音です。イエスは、私たちのために、ご自身を与えてくださり、罪の赦し、永遠のいのち、互いに愛し合い、神の家族とされる恵みを下さいました。このキリストこそ、愛である神のかたちです。
Ⅱコリント4: 4…神のかたちであるキリストの栄光に関わる福音の光を、輝かせ…。
「神のかたちであるキリスト」とあります。そのキリストの溢れるような愛の福音を私たちが受け取り、赦しや憐れみを頂いている者として自分を世界に差し出す時、神のかたちを映し出します。自分の栄光を輝かせようとしたり、その逆に、自分なんか輝けない、孤独だ、将来なんて諦めた、そう思ったりフラフラしている人が沢山います。そんなバラバラな世界を三位一体の神は、キリストの福音によって、生き返らせます。罪の赦しを知り、自分の価値を知らされ、お互いに尊び合い、生かし合うようになり、共に生きるようにされる。それが福音です。神は私たちを通して、その栄光を現されます。愛し合い、赦しや希望を育てて行くことで、私たちは神の栄光を現す存在となるのです。
「すべての造り主よ、私たちが、自分もすべての人も、あなたがあなた自身の形に造られたという視座を失わないように助けてください。これを自分についても疑うことがありませんように。他の男性にも女性にも、疑うことがありませんように。その疑いは、あなたの御名にふさわしい栄光を否定することなのですから。私たちのうちにきらめくあなたの形が、私たちの体も魂もすべてあなたのものであることを証ししますように」
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