聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

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使徒の働き九章23-31節「引き受けてくれる恵み」

2017-10-15 17:15:06 | 使徒の働き

2017/10/8 使徒の働き九章23-31節「引き受けてくれる恵み」

 教会の迫害者であったサウロがキリストを信じた出来事が、使徒の働き九章に書かれています。これは本当に驚くべき事、抵抗したくならない方がおかしい大事件でありました。

1.弟子たちの仲間に入ろうと

 イエスを信じて、人生の方向が百八十度変わったサウロは、仲間のユダヤ人たちにイエスがキリストであると伝え始めました。23節は

「多くの日数がたって後」

と始まります。ガラテヤ書によれば三年です。本当にかなりの日数です。その間に彼はエルサレムに戻ることなく、アラビヤ[1]まで出掛けたようです。しかしその三年の間にユダヤ人との間に芽生えたのは、サウロを殺してしまおうという陰謀でした。そういう殺意しか生まれなかった、とは言えません。むしろ、中にはサウロの言葉からイエスがキリストだと信じるユダヤ人も少なからずいたからこそ、他のユダヤ人はサウロを目の敵にして、殺してしまおうと考えたのかも知れません。いずれにせよ、サウロを葬り去ろう、そのために町の門に昼も夜も見張りを立たせるという徹底ぶりでした。そこで弟子たちは夜中にサウロを籠に乗せて、町の城壁伝いに脱出させました。サウロはダマスコから夜逃げをしたのです。スパイ小説さながら、とはいえ決して格好いいものではない、ハラハラする、勝利とは程遠いダマスコ生活の残念な引き上げだったと言えます。サウロの回心や主と出会った特別な体験は、伝道の華々しく力強い成功を自動的に保証するものでは決してなかったのです。この事もまた、肝に銘じたい点です。

 そして200kmを戻り三年ぶりのエルサレムに着きました。ここで彼は

「弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みなは彼を弟子だとは信じないで恐れていた。」

とあります。三年もダマスコで伝道していたのだし、サウロの変貌ぶりは伝わっていたのではないかとも思いたいところですが、弟子たちは信じられずサウロを恐れます。それほどのサウロの迫害でした[2]。サウロは改めて、自分が教会の敵として、多くの人々をひどい目に遭わせてきた事実と向き合わされたでしょう。しかしだからと諦めて、一匹狼で行こう、主だけが自分を知ってくれているのだからいいや、と開き直りませんでした。彼は弟子たちの仲間に入ろうとしたのです。そして、

27ところが、バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに説明した。

2.バルナバの仲介

 このバルナバは、四章の最後にも出て来て、土地を売り払って貧しい人のために献げた希有なリーダーでした。また、一一章でもアンテオケの教会の養育のため、パウロを捜して協力者にしますし、パウロとずっとペアを組んで、支援物資を届けたり、伝道旅行に行った人です。しかし、最初の伝道旅行の途中で帰ってしまった青年マルコを次に連れて行くかどうかを巡ってパウロと対立して、パウロとは袂を分かち、そのマルコの再出発に付き添った人です。バルナバという名前自体「慰めの子」という意味だとありましたが[3]、ここでもサウロが信じてもらえず仲間に入れない所を引き受けて、使徒たちの所に連れて行き、サウロを恐れなくてもよいこと、本当に主の弟子となったことを説明する役割を引き受けたのです。

 これは特筆されている通り、とても勇気が要る場面だったでしょう。そしてこのように引き受けて、連れて行き、ちゃんと身元を保証し、恐れや不信を取り除く勇気は、教会の中で大事な橋渡しです。サウロが迫害してきた教会の傷跡は後々まで残ったでしょう。エルサレム教会には、サウロの大迫害でひどい目に遭わされた人、家族を捕らえられ、殺された人、人生がすっかり変わった人もいたでしょう。三年経っても、サウロの晩年三十年経っても、そういう暴力の爪痕はあったに違いありません[4]。それでも主イエスは、サウロを受け入れてくださいました。主イエスご自身がサウロを引き受けてくださいました。主イエスが私たちを引き受けて、神の元に連れて行き、「大丈夫です。かつてはどうあれ、この人はわたしと出会って、今変わり始めています。わたしが保証します」。そう引き合わせてくださるのです。

 主イエスは私たちにどんな失敗や過ちや問題があろうと、私たちとともにいてくださいます。そのイエスとの出会いによって、サウロも迎え入れられ、バルナバはその証人となったのです。サウロからの被害の傷も十分に踏まえた上で、バルナバはサウロを引き受け、間を取り持ち、慰めと和解の橋渡しをしました。おかげで、サウロはエルサレムで弟子たちに受け入れられ、大胆に主の御名を語りました。29節の

「ギリシヤ語を使うユダヤ人たち」

は三年前、サウロも一緒にキリスト者を大迫害していた仲間、かつての同志です。彼らにしてみたら、キリスト者を引っ捕らえるためにダマスコに行ったサウロが、キリスト者、裏切り者となって帰ってきたのです。彼らもサウロを殺そうとします。でもこれがサウロのかつての生き方でした。違う意見のものは否定し、力尽くで排除する。そこから救い出されて、自分の迫害による被害者の中に受け入れられて、守られるようになったことも、サウロの生き方の根本的な変化です[5]

3.ともにいて、連れ出して、送り出し

 お気づきでしょうが、九章後半には「奇蹟」らしい奇蹟は全くありません。九章前半で、ダマスコ途上のサウロに主が光を照らし、直接声を聞かせ、目を見えなくしたのとは大違いです。後半でも引き続き主の奇蹟があったらどうでしょう。主が直接現れていたら、いや、せめてアナニヤに幻で語られたり、目から鱗が落ちるのを見せてくださったりしたような、直接のしるしをエルサレム教会に見せておられたら…。サウロを殺そうと二度も危険が迫った時、四章で牢獄を開き、八章でピリポを連れ去ったような御使いが来てくれたら…。でもそうではありませんでした[6]

 しかし、そういう奇蹟や神頼みではない奇蹟があります。かつての敵、加害者、恐怖を抱くような存在に、仲間として出会い、その橋渡しをする人がいて、受け入れ、ともにいるようになったことこそ奇蹟です。更に、そのサウロに危険が迫ったら、ただ祈るだけでなく、わざわざカイザリヤまで連れ出して、故郷のタルソへと見送りました。ダマスコで闇夜に紛れて籠に乗せて脱出させたのと同じぐらいハラハラのドラマがここにもあったでしょう。そういう手間や危険や犠牲を惜しまず、サウロのためにしている。こういう姿こそ、地味ですが、本当に尊い新しい命があります。キリストが創り出される神の家族の新しい姿を見るのです。

 バルナバはサウロを引き受けて使徒たちに紹介した時、「教会なのだから受け入れるべきだ」と「べき論」や「正論」を説かず、サウロが主を見た様子や主がサウロに語られた事、サウロが大胆に主を語るようになった事実を紹介しています。主が彼に会った事実、そして変わった事実に焦点を当てるのです。その結果ダマスコで多くの信者が起こされたという華々しい成果があったわけではありません。むしろ、殺されかけて逃がされてきたのです。でも、成果とか業績で人を受け入れるのは教会ではありません。主イエスが遭って下さったこと、そしてイエスに出会う時に人は変わるということ、それはサウロにも事実となったことを認めたのです。

 イエスは私たちを受け入れ、神の家族にしてくださいました。互いに受け入れ、そのために橋渡しをするよう召されました[7]。でも、私たちはそれを忘れ、居心地良い内輪の集まりになりやすいのです。そんな教会の伝道に何の価値があるでしょう。伝道とは大集会や、多くの新来者を集めて立派な話を聞くことではありません。痛みや寂しさや傷で、愛の神など眩しすぎると思う世界で、私たちが、自分が主にどう出会い、主がどんなお方だから信じたくなり、それで自分がどう変わったかを、飾らず分かち合う。それが伝道です[8]。主が私たちを引き受け、癒やされ、変えられる、その恵みを分かち合い、少しでも橋渡しをする存在でありたいのです。

「和解の主よ。あなたの恵みにより、私たちの中の憎しみや傷を癒やしてください。教会がサウロを受け入れた和解をここでも続けてください。多くの分断や争いを結び合わせてくださったあなたに、自分の問題を差し出します。憐れみによる新しい始まりを期待して、私たち自身を差し出します。あなたが私たちを受け入れ、私たちを通してあなたの恵みを現してください」



[1]ガラテヤ書一章1518節「15けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が、16異邦人の間に御子を宣べ伝えるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず、17先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました。18それから三年後に、私はケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。」「アラビヤ」は現在のアラビヤ半島というよりも、ダマスコを含む地域の「ナバテヤ王国」の事でしょう。Ⅱコリント十一章3233節「ダマスコではアレタ王の代官が、私を捕らえようとしてダマスコの町を監視しました。33そのとき私は、城壁の窓からかごでつり降ろされ、彼の手をのがれました。」この「アレタ王」は、紀元前9年から40年までのナバテヤの王のことです。Ⅱコリント十一章3132節では「アレタ王の代官が」と。ナバテア王国の支配下にあったダマスコでの騒動が、為政者からも厄介者と思われたのか、別の事情で、アレタ王からもユダヤ人からも狙われたのか、両者の意見があります。

[2]「恐れる」使徒で、教会に使われるのは初めて。(五26は祭司側)

[3]四章36節「キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと慰めの子)と呼ばれていたヨセフも」

[4]後に彼はこう言います。ローマ人への手紙一章14節「私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。」ちなみに、「新改訳2017」では「私は、ギリシア人にも未開の人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です」。としています。

[5]でもそのかつての仲間に、語ろうと努めたサウロの思いも尊いですし、「きっと分かってくれる」と楽観もせず、殺意に気づいたら身を守りました。大胆でしたが、無謀ではなかったのです。

[6]今でも、問題があったり物事がうまくいかなかったりするとき、主が奇蹟や幻で、手早く解決してくだされば良いのに、と期待するのが人情です。それこそ聖書の時代のような奇蹟があれば、と考えるものです。しかし、聖書そのものに奇蹟が出て来る場合と出てこない場合があることに気づいてください。むしろ、いつも奇蹟があったのではないからこそ、書かれている奇蹟もあるのですし、そして、大変な部分を人間が引き受けて、回りくどいことをしている場面の方が多いのです。

[7] 31節はそういう集まりとして築き上げられたということです。数が増え前進したとき、問題やややこしいことも多くあったことは十分想像できます。それも含めて、教会が広げられ、成長して、築き上げられていきました。

[8]私たちも、自分が主に出会い、教会に加わり、今日までどんな歩みをしてきたかを分かち合えばよい。教会にどんな印象を持ち、どんな願いをもって生きているかを分かち合えばよい。

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