聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

使徒の働き二七章1-20節「絶望の中の希望」

2018-07-01 16:05:50 | 使徒の働き

2018/7/1 使徒の働き二七章1-20節「絶望の中の希望」

 使徒の働きの最後の二章はパウロがローマまで辿り着く旅行記です。あっさり省略して「嵐もあったがローマに着いた」でも良いのにあえて詳しく書きます。聖歌の「人生の海の嵐に」を思い起こす、そしてあの聖歌のように人生の嵐に悩む時の慰めになってくれる結びです。

1.旅の流れ

 この27章前半は地図を見ながら読んだ方が分かるでしょう[1]。カイサリアからシドン、キプロスの島陰、キリキアとパンフィリアの沖、リキアのミラ港に入港というコースです。

「アドラミティオ」

はエーゲ海北東の町でそこに帰って行く船を利用したのでしょう。そしてミラでアレクサンドリアの船に乗り換え、クニドへ、四国ほどの幅のクレタ島の島陰に入り

「良い港」

に着いた。二度も

「やっとのことで」

と相当風向きに難儀をして、1400kmの旅は、予定よりも大幅に遅れてしまったのです。

9節「かなりの時が経過し、断食の日もすでに過ぎていた」。

 この「断食の日」はイスラエルのカレンダーで10月頃に祝われる「贖いの日」の事ですが、地中海の船旅は9月の半ばを過ぎるともう危険で、11月11日から3月10日までは航海は行わなかったそうです。既にここまでで風は強い年でしたから、危険は予測できました。ですが、船長や船主はもう少し西の港に行きたいと欲を出してしまう。13節で穏やかな南風が吹いたのをこれ幸いと船を出します。しかし直ぐに暴風が叩き付けて船は流されてしまう。小舟を引き寄せ、綱を巻き、浅瀬に乗り上げないように、と必死です。翌日には積み荷を捨て、三日目には船具さえ投げ捨てますが、何日も真っ暗な中を揉まれながら過ごします。

「私たちが助かる望みも今や完全に断たれようとしていた」

という心境で何日もした頃[2]、パウロが立ち、

21…言った。「皆さん。あなたがたが私の言うことを聞き入れて、クレタから船出しないでいたら、こんな危害や損失を被らなくてすんだのです。

22しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う人は一人もいません。失われるのは船だけです。

23昨夜、私の主で、私が仕えている神の御使いが私のそばに立って、

24こう言ったのです。『恐れることはありません、パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさい。神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられます。』

25ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。

26私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。

2.パウロの発言

 確かにパウロが最初に言ったように、クレタの港でパウロは警告していました。その通りになりました。パウロは船乗りではありませんが、船旅をして、Ⅱコリント十一25では

「難船したことも三度」

と言うほどの経験がありました[3]。また、船乗りの判断を当てにしたら危険なことも経験していたのでしょう。あそこで向こう見ずに船を出さず、賢く行動していたら良かった。そうすればこんな嵐に遭って結局積み荷も捨てて命まで絶望的な思いをすることはなかったでしょう。愚かな行動の結果、どんなに悔やんでも取り返しは付かないのです。

 しかし、パウロの要点はその非難ではありません。責めて後悔させて、自分が正しかったのだと今更の発言をしたかったのではないのです。その後の

「元気を出しなさい」

がパウロの要点なのです。この絶望的な状況も、絶望ではない、そこから希望を持つことが出来る。神は人間にとって、望みが絶たれたように思える状況、愚かな選択のどうしようもない結果、太陽も星も見えない真っ暗な嵐の中でさえ、希望を語ってくださる神です。パウロはその希望を宣言するのです。元気を出しなさい、と語るために立ったのであって、責めるためではありません。

 パウロがただ宗教熱心なだけでこの生ける神、創造主なる神を知らなかったらどうでしょう。ここで人々を非難して「やっぱり私が正しかった」と見下したでしょう。その後の希望も、「悔い改めたら救われる」と条件付きの救いだったような気もします。でもそうではなかった。パウロがこの時に語ったのは、夕べ主がパウロの枕元に立って

「恐れることはありません。パウロよ」

と語って、将来を約束してくださったからです。そして、パウロは自分だけが助かってローマに行けたら良い、こんな傲慢で罰当たりな連中は滅びたらいい、などとは思っていなかった。だからこそ、主との間に同船者たちの安全も話題になったのでしょう。そして、この希望が語れるまで、パウロは黙っていました。「だから言ったのに」という嫌みならいつでも言えたのに、そんな言っても仕方のないことは言わなかった。主の幻で希望がハッキリした時、初めて、立ち上がって語りかけたのです。責めるためではなく、また、この機に乗じて悔い改めや信仰を持たせるためではなく、あるいは空望みや曖昧な慰めを語るためでもなく、自分の神である方がハッキリと与えてくださった希望を、一人一人に語るため、励ますためでした。

3.神の冒険

 「使徒の働き」の最初でルカは本書の内容を

「イエスが行い始め、教え始められたこと」

と切り出しました。イエスがなさったことはもう終わったのではなく、始まりでした。イエスは今も教会に、また教会を通して働いておられ、教えておられる。人を変え、ユダヤ人と異邦人を和解させ、絶望の中に希望を語られます。死で終わりでなく、復活という望みがある。ただの道徳や宗教ではない、イエスが生きておられ、今も働いて、命の業をなさっている。そういう御業が、この最後のパウロのローマへ行く旅路に本当に力強く現されているのです。

 今も舟は人間社会や人生の譬えに使われますが[4]、聖書にも船は度々出て来ます。弟子たちは既にイエスの話を聞いて、神の国の教えやイエスの語る素晴らしい希望に心燃やされる思いをしていたはずです。群衆がその話を聞きに大挙してきたぐらい、イエスの話に元気をもらっていたのです。しかしその後、船に乗って嵐に遭ったら、途端に恐れて信仰も吹っ飛んでしまいました。でも「だからダメ」じゃない。しくじって、間違ってしまうのが人間です。そしてそういう弟子たちとイエスはいてくださる。今日の箇所もそうです。パウロの語るイエスが、嵐の中でもともにおられて、絶望的な状況から生還させてくださったのです。

 パウロは「自分の言ったとおりにしなかったから嵐に遭った」とは言いません。最初から強い向かい風だったのです。パウロは現実主義者です。「信じて祈れば嵐も恐れない」と強行突破しようとはしません。嵐がある、思うままにならない。

「良い港」

と思ったら冬を越すには適さない。それでも待った方がよい時があります。ちょっと穏やかな風が吹いて、やったと思って動き出したら暴風に襲われる。判断を間違えてしまう。そういうあれもこれもひっくるめた冒険なのです。そして神はそういう歩みを紡がれるのです。向かい風に悩まされ、明らかな警告無視で漂ったりしても、そこからさえイエスは道を開いてくださる。望みが完全に絶たれたような中にも、そこで新しい事を創造してくださる。希望を持たせて下さる。私たちが信じられなくても、神は私たちを導いて、船旅を最後まで導いてくださる。そして私たちが無謀な愚かな行動をしたり、絶望したりせず、人生に十分取り組めるよう助けてくださるのです。

 海外宣教週間です。宣教師の報告には、その働きが順調で、成果が見えることばかりを期待しやすいものです。実際には、そこにいる方々との個人的な関わりや思うままにならない状況で待たされたり思いがけない関わりをしたり、宣教師やご家族が深く心を探られたり取り扱われている様子が伝えられます。単純ではない、人間的で人が大事にされる出来事が、今も続けられています。イエスは今も生きて働き続けておられます。待ちきれず、欲を出して判断を誤り、嵐にもまれて神も希望も失ってしまうような私たちの中に、イエスは働いて下さっています。この方から希望を戴いて、元気を戴いて、その元気を無条件に分かち合っていきましょう。

「主よ、あなたは私たちの主、私たちはあなたのものです。造り主なるあなたが、今も私たちの旅路にあなたの物語を紡いでおられます。船もこの体も世界も壊れますが、そこにもあなたの御手を信じて手を開きます。変えられない過去を責める思いから救い出してください。失敗や嵐や絶望を見据え、そこにもあなたの創造の御業を信じて、慎みをもって歩ませてください」



[1] ルカはこの「使徒の働き」を、当時の地理感覚がある読者に書いています。ですから、その地理感覚がない読者は、地図や資料で理解した方がより分かります。それがないままだと、全く見当違いな読み方をしかねません。

[2] 19節には「三日目」、27節には「十四日目」とありますから、その間、一週間か十日経った頃でしょう。

[3] Ⅱコリント十一25「ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったこともあります。」

[4] 古歌に「世は海よ身は浮き舟よ 心をば 舵とぞ思い 心して漕げ」というのがあるそうですが、その他多数・・・。

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