2022/3/6 ダニエル書6章「ダニエルとライオン」こども聖書㊾
先週に続いて、ダニエル書です。
旧約聖書の終わり頃、イスラエルの民は、イスラエルの地から遠く離れたバビロンに連れて来られていました。しかし、そのバビロンでも、神である主は変わらず神でした。バビロンは神ではなく、やがてペルシャが帝国になったのです。その王がダリヨス(ダレイオス)でした。彼もダニエルを大臣にしました。
1ダレイオスは…ダニエルを含む三人の大臣を置いた。…3…ダニエルは、ほかの大臣や太守よりも際立って秀でていた。彼のうちにすぐれた霊が宿っていたからであった。そこで王は、彼を任命して全国を治めさせようと思った。
これは、他の大臣や太守には面白くありません。何とかして粗探しをしようとします。しかし、ダニエルは忠実で、何の怠慢も欠点も見つかりませんでした。そこで、
5そこでこの人たちは言った。「われわれはこのダニエルを訴えるための、いかなる口実も見つけられない。彼の神の律法のことで見つけるしかない。」
神の律法は、神である主だけが神であることが根本にあります。ダニエルは、バビロンに来ても、この神の律法に従って、神である主だけを礼拝して、いつもこの神に向かって祈っていました。それを悪用することにしたのです。大臣たちは、ダレイオス王に、
7…今から三十日間、王よ、いかなる神にでも人にでも、あなた以外に祈願をする者は、だれでも獅子の穴に投げ込まれる…
という法令を提案しました。
こんな法令はおかしい、何か裏があるに違いない、などとも思わずに署名をしてしまいました。これで、今から三十日の間、誰でも、王以外のものに祈願をしたら、ライオンの穴に投げ込まれることになってしまったのです。
10ダニエルは、その文書に署名されたことを知って自分の家に帰った。その屋上の部屋はエルサレムの方角に窓が開いていた。彼は以前からしていたように、日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝をささげていた。
ダニエルは色んなことを考えたのでしょうが、何があったにせよ、家に帰り、エルサレムに向けて、以前と変わらず、神に祈りました。それも、感謝を捧げました。
さあ、それを見ていたのは、あの大臣たちです。彼はダニエルが法令を破っているのを確認すると王の所に行きます。そして、あの法令をダニエルが破ったと告げたのです。
14このことを聞いて王は非常に憂い、ダニエルを救おうと気遣った。そして彼を助け出そうと、日没まで手を尽くした。
欺されたとようやく気づいたのです。でも自分が言ってしまったことを取り消す勇気はありませんでした。大臣たちに迫られて、遂に諦めて、命令を出してしまいます。
16…ダニエルは連れて来られて、獅子の穴に投げ込まれた。王はダニエルに話しかけて言った。「お前がいつも仕えている神が、お前をお救いになるように。」
穴は封印されます。王は何も食べずに一睡もせず、朝を迎えます。
19王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。20その穴に近づくと、王はダニエルに悲痛な声で呼びかけ、こうダニエルに言った。「生ける神のしもべダニエルよ。おまえがいつも仕えている神は、おまえを獅子から救うことができたか。」
するとダニエルの声が聞こえます。これはこの章で最初で最後のダニエルの台詞です。
21…「王よ、永遠に生きられますように。22私の神が御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の危害も加えませんでした。それは、神の前に私が潔白であることが認められたからです。王よ、あなたに対しても、私は何も悪いことはしていません。」
ダニエルの仕えている神は、獅子の口からダニエルを救い出してくれました。一晩、ライオンといてもダニエルは安全でした。ダニエルの仕える神は、私たちが仕えている神です。この日本で、他の神々を拝んでいる人が多くて、時には聖書や教会の礼拝が否定されるようなこともあるとしても、私たちは、堂々と主だけを礼拝します。同時に、この日本でもどこでも、ただ主だけがすべての人の神です。ダニエルは、神の前に自分が潔白であることと、王にも何も悪いことはしていません、と言ました。たとえダレイオスが間違った法律に署名をして、神を差し置いて自分に祈るよう求めてしまったとしても、そのダレイオスを非難したり、イジメ返そうとしたりはしませんでした。自分は神だけを礼拝しましたが、他の人たちの礼拝や宗教まで非難はしなかったのです。
ダレイオスは決めてしまった法令は法令だから、とダニエルを獅子の穴に投げ込みました。しかし、ダニエルを助け出した後、ダレイオスは言います。
25…「あなたがたに平安が豊かにあるように。26私はここに命じる。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震えおののけ。この方こそ生ける神、永遠におられる方、その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。27この方は人を救い、助け出し、天においても、地においても、しるしと奇跡を行われる。実に、獅子の口からダニエルを救い出された。」
ダレイオスは法を変えるのです! そうです、法令は間違って人を殺しかけたら、間違いを認めて改め、法よりも大事ないのちを守るため、法を変えよう」と言えばいいのです。大事なのは決まりよりも命です。
ダニエルの神、私たちの仕える生ける神は、私たちの命を守ってくださるお方です。獅子をも静まらせる力ある神は、私たちの命を救うため、神の栄光を投げ打ってくださいました。ご自分を拝まない人間を罰したり地獄に投げ込んだりするより、ご自分が人間、イエス・キリストとなり、十字架にかかり、「神を冒涜する者」との汚名を着せられました。死んで葬られ、その墓は石で封印がされました。
しかし、石で封じられた墓は開かれ、イエスは生ける神として現れてくださいました。イエスは、神の救いの力の証しです。そして私たちに、神を愛し、互いに愛し合う歩みを下さるのです。
「主よ、ライオンで脅したり、戦争を仕掛けたり、今も人を踏み躙られる事が続きます。あなたが私たちの神であり、私たちを愛される王です。ひとり子イエス様は、私たちを取り戻すため、命を捧げてくださいました。人が考えるよりも遙かに尊く、力強く、私たちに仕えてくださる神に、私たちも仕え、互いに仕え合う歩みで証しさせてください」
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