聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

2022/1/16 マタイ伝27章1~14節「いのちの値段は」

2022-01-15 12:57:58 | マタイの福音書講解
2022/1/16 マタイ伝27章1~14節「いのちの値段は」

 夜が明けました。キリストが十字架につけられる日の朝となりました。最後の数時間、祭司長と民の長老たちは、自分たちを属国として支配しているローマ帝国の総督ピラトに掛け合い、処刑の許可を得るために動き続けます。ユダヤの議会だけで処刑を強行することは、出来ないことではありませんでしたが、それをすれば却って民衆の反感を招いたりイエスを英雄視させたりしかねなかったからでしょうか。そんな駆け引きの裏で、一つの出来事がありました。

3そのころ、イエスを売ったユダはイエスが死刑に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちと長老たちに返して、言った。4「私は無実の人の血を売って罪を犯しました。」…

 ユダがイエスの処刑判決を聞いて後悔するのです。イエスを売った時点で、分かっていたことでしょうに、後悔する。その上、金を返すために、祭司長、長老たちの所に来ます。臆病なら出来ない行動です。自分なら出来るだろうか、考えてみてください。また、この時のユダに、自分なら何と声をかけるでしょうか。残念ながら、ここで議員たちの答はこうでした。

4…しかし、彼らは言った。「われわれの知ったことか。自分で始末することだ。」[1]

 こんな突き放しです。ユダの裏切りに喜んで、彼を唆したのに、こうなると掌(てのひら)を返して、ユダを責めます。「悪魔は、人間を担ぎ上げて罪に誘い込み、その結果が見えて後悔した途端、足元の梯子(はしご)を外す」と言いますが、まさに彼らはそんな冷たい仕打ちで、ユダを絶望させます。

5そこで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして出て行って首をつった。

 この絶望にも、祭司長たちの対応は身勝手極まりないだけの打算でした。

6祭司長たちは銀貨を取って、言った。「これは血の代価だから、神殿の金庫に入れることは許されない。」7そこで彼らは相談し、その金で陶器師の畑を買って、異国人のための墓地にした。

 「血の代価」だから献金収入には相応しくない、なんて綺麗事です。だってその銀貨は、自分たちが払った30枚なのですから。これは奴隷一人分の値段です[2]。また、当時の労賃の一ヶ月分です。それで畑を買ったとしてそんなに広くはなかったでしょう。「異国人のための墓地」、エルサレムに旅や仕事で寄留した外国人が亡くなって、引き取り手がない場合の外人墓地です。それなりに必要はあったでしょう。しかし議会の考えは差別的です。「神殿の金庫には相応しくないが、異国人の墓地なら丁度良い」。大して広くもないその土地を、自分たちが蔑む外国人が死んだ場合の墓地としてしまえばいい。ここにも彼らがどれほど人の命を、安値で考えていたかが窺えます。しかし、マタイはここに聖書の預言の成就を告白するのです。

9そのとき、預言者エレミヤを通して語られたことが成就した。「彼らは銀貨三十枚を取った。イスラエルの子らに値積もりされた人の価である。10主が私に命じられたように、彼らはその金を払って陶器師の畑を買い取った。」

 この言葉は預言者エレミヤよりも、預言者ゼカリヤの言葉が主になっています[3]。詳しい説明は端折りますが、ゼカリヤ書11章で、怠惰な牧者たちがイスラエルの羊を養う尊い仕事を、わずか銀貨30枚としか値積もりしなかった、とあるのです[4]。エレミヤ書には、陶器師が何度も出てきます。陶器師は焼く前の土は形を作り直すし[5]、焼いてから壊れたら破片を捨てる[6]。それが神と人との関係を表していると語っていました[7]。しかし、「畑を買う」と言われるのはエレミヤ書32章の話です。イスラエルの罪がいよいよ裁かれて、都が包囲されていた時、主はエレミヤに故郷のアナトテの畑を買い戻すよう命じます。どうしてこんな絶望の時に畑を買うのか問うと、エルサレムが罪の報いを受けて崩壊した先に、再び畑を所有したり取引や商売したりする日が来る、あなたの手の購入証書はその回復のしるしなのだ、と言われるのです[8]。

 祭司長たちは汚れた金で異国人の墓地を作りました。しかしイエスは神殿の権威とか神聖さより、罪人や小さい人、異邦人を重んじました。そのために自分の血を流されました[9]。イエスの命の値段で、異国人の墓地が買われた。異国人が少しでも安心して葬られるようになった。それは預言者たちの語る、罪の社会がひっくり返された先にある回復の成就-イエスの血の値が異国人のためにも払われたと伝える福音の、小さな、しかし確かなしるしでした[10]。

わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。 ヨハネの福音書14章2~3節

 11節から総督ピラトの前での審問が始まります。イエスはピラトの質問に「あなたがそう言っています」と答えただけで、祭司長や長老たちの訴えには何も答えません。ピラトは、

13…「あんなにもあなたに不利な証言をしているのが聞こえないのか。」14それでもイエスは、どのような訴えに対しても一言もお答えにならなかった。それには総督も非常に驚いた。

 この「非常な驚き」が強調されています[11]。不利な証言や訴えに黙っておれない人間です。しかしこの時、イエスが何を言われても、驚くほどに静かであったのは私たちにも支えです[12]。人の命を売り買いして、値踏みするような人の訴えなどに、神は動かされません。イエスは私たちの罪も後悔も絶望も知ってくださり、その私たちのために十字架に死んでくださいました。私たちのために安売りされましたが、それは私たちの命を買い戻すために払われた代価です。命に神の御子キリストという値段がつけられた。だから人の誹謗中傷など、何でしょう[13]。

 振り返りましょう。一つ、大祭司たちはイエスもユダも異国人も、その命を踏みつけました。私たちならこのユダに何と声を掛けるでしょうか。自己責任という言い方で絶望させるなら、大祭司たちと同じです。私たちに与えられているのはもっと違う言葉です。二つ、異国人のための墓地は、キリストの血によって私たち異国人にも場所が備えられたこと、将来の生活が回復されること、預言者たちの言葉の成就です。神は、人のずる賢い企みさえ用いて、本当に尊く、私たちを値高く扱われます。三つ、人の値を低める彼らの言葉に、イエスは静かでおられたことはピラトが非常に驚いたほどでした。イエスはご自身への攻撃の中、静かに十字架に向かわれます。この方こそ本当に私たちの王です。この方が私たちに命の値を下さいました。私たちを中傷から守り、後悔や絶望のどん底でも、突き放すどころかともにおられるのです。[14]

「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。 テモテへの手紙第一1:15

「主よ。あなたが私たちの造り主であり、王です。そしてあなたは私たちのために安売りされ、血を流され、訴えられました。私たちに新しい命を与えてくださるためでした。どうか、私たちが後悔や絶望を通るとしても、そこにもあなたがともにおられ、いのちのみことばを聞かせてください。人の言葉が何を言おうと、あなたが私たちを愛し、赦し、慰めてくださる言葉に耳を傾けさせてください。そのあなたの驚くべき言葉を生き、届ける事もできますように」

脚注:

[1] 聖書協会共同訳、新共同訳「我々の知ったことではない。お前の問題だ。」

[2] 出エジプト記21章32節「もしその牛が男奴隷あるいは女奴隷を突いたなら、牛の持ち主はその奴隷の主人に銀貨三十シェケルを支払い、その牛は石で打ち殺されなければならない。」

[3] ゼカリヤ書とマタイとの違いは多いが、中心的な構図は同じ。主の牧者が、イスラエルの民によって退けられ、奴隷の値積もりをされた。その金は神殿に投げ入れられ、最終的には汚れているとされたものを買い戻した。

[4] ゼカリヤ11章7~13節「私は羊の商人たちのために、屠られる羊の群れを飼った。私は二本の杖を取り、一本を「慈愛」と名づけ、もう一本を「結合」と名づけた。こうして私は群れを飼った。8私は一月のうちに三人の牧者を退けた。私の心は彼らに我慢できなくなり、彼らの心も私を嫌った。9私は言った。「私はもう、おまえたちを飼わない。死ぬ者は死ね。滅びゆく者は滅びよ。残りの者は、互いに相手の肉を食べるがよい。」10私は、自分の杖、「慈愛」の杖を取って折った。私が諸国の民すべてと結んだ、私の契約を破棄するためであった。11その日、それは破棄された。そのとき、私を見守っていた羊の商人たちは、それが主のことばであったことを知った。12私は彼らに言った。「あなたがたの目にかなうなら、私に賃金を払え。もしそうでないなら、やめよ。」すると彼らは、私の賃金として銀三十シェケルを量った。13主は私に言われた。「それを陶器師に投げ与えよ。わたしが彼らに値積もりされた、尊い価を。」そこで私は銀三十を取り、それを主の宮の陶器師に投げ与えた。14そして私は、「結合」というもう一本の杖を折った。ユダとイスラエルとの間の兄弟関係を破棄するためであった。15主は私に言われた。「もう一度、愚かな牧者の道具を取れ。」16 見よ。それは、わたしが一人の牧者をこの地に起こすからだ。彼は迷い出たものを尋ねず、散らされたものを捜さず、傷ついたものを癒やさず、衰え果てたものに食べ物を与えない。かえって肥えた獣の肉を食らい、そのひづめを裂く。17 わざわいだ。羊の群れを見捨てる、能なしの牧者。剣がその腕と右の目を打ち、その腕はすっかり萎えて、右の目の視力は衰える。」

[5] エレミヤ書18章2~6節「立って、陶器師の家に下れ。そこで、あなたにわたしのことばを聞かせる。」3私が陶器師の家に下って行くと、見よ、彼はろくろで仕事をしているところだった。4陶器師が粘土で制作中の器は、彼の手で壊されたが、それは再び、陶器師自身の気に入るほかの器に作り替えられた。5それから、私に次のような主のことばがあった。6「イスラエルの家よ、わたしがこの陶器師のように、あなたがたにすることはできないだろうか──主のことば──。見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたはわたしの手の中にある。」

[6] エレミヤ書19章1~15節「主はこう言われる。「行って、土の焼き物の瓶を買い、民の長老と年長の祭司のうちの数人とともに、2 陶片の門の入り口にあるベン・ヒノムの谷に出かけ、そこで、わたしがあなたに語ることばを叫べ。3『ユダの王たちとエルサレムの住民よ、主のことばを聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ、わたしはこの場所にわざわいをもたらす。だれでもそのことを聞く者は、両耳が鳴る。4彼らがわたしを捨てて、この場所を見知らぬ所としたからである。彼らはこの場所で、彼らも彼らの先祖も、ユダの王たちも知らなかったほかの神々に犠牲を供え、この場所を咎なき者の血で満たし、5バアルのために自分の子どもたちを全焼のささげ物として火で焼くため、バアルの高き所を築いた。このようなことは、わたしが命じたこともなく、語ったこともなく、思いつきもしなかった。6それゆえ、見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、もはやこの場所はトフェトとかベン・ヒノムの谷と呼ばれない。ただ虐殺の谷と呼ばれる。7また、わたしはこの場所で、ユダとエルサレムのはかりごとを打ち砕く。わたしは敵の前で彼らを剣で倒し、また、いのちを狙う者の手によって倒し、その屍を空の鳥や地の獣に餌食として与える。8また、わたしはこの都を恐怖のもと、また嘲りの的とする。そこを通り過ぎる者はみな呆気にとられ、そのすべての打ち傷を見てあざ笑う。9またわたしは、包囲と、彼らの敵、いのちを狙う者がもたらす窮乏のために、彼らに自分の息子の肉、娘の肉を食べさせる。彼らは互いに、その友の肉を食べ合う。』10 そこであなたは、同行の人たちの目の前でその瓶を砕いて、11彼らに言え。『万軍の主はこう言われる。陶器師の器が砕かれると、二度と直すことはできない。このように、わたしはこの民と、この都を砕く。人々はトフェトに空き地がないまでに葬る。』12 わたしはこの場所と──主のことば──その住民にこのようにする。わたしはこの都をトフェトのようにする。13 エルサレムの家々とユダの王の家々、すなわち、屋上で天の万象に犠牲を供え、ほかの神々に注ぎのぶどう酒を注いだすべての家々は、トフェトの地のように汚される。』」14 そこでエレミヤは、主が預言のために遣わしたトフェトから帰って、主の宮の庭に立ち、民全体に言った

[7] 興味のある方は、ネル・L・ケネティ『陶器師の手の中で』(菅野卓子訳、いのちのことば社、1993年)をお読みください。

[8] エレミヤ書32章6~44節「エレミヤは言った。「私に、このような主のことばがあった。7『見よ。あなたのおじシャルムの子ハナムエルが、あなたのところに来て、「アナトテにある畑を買ってくれ。あなたには買い戻す権利があるのだから」と言う。』8すると、主のことばのとおり、おじの子ハナムエルが私のところ、監視の庭に来て、私に言った。『どうか、ベニヤミンの地のアナトテにある私の畑を買ってください。あなたには所有権もあり、買い戻す権利もありますから、あなたが買い取ってください。』私は、これが主のことばであると知った。9そこで私は、おじの子ハナムエルから、アナトテにある畑を買い取り、彼に銀十七シェケルを払った。10私は証書に署名して封印し、証人を立てて、秤で銀を量った。11そして、命令と規則にしたがって、封印された購入証書と封印のない証書を取り、12おじの子ハナムエルと、購入証書に署名した証人たちと、監視の庭に座しているすべてのユダの人々の前で、購入証書をマフセヤの子ネリヤの子バルクに渡し、13彼らの前でバルクに命じた。14『イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。これらの証書、すなわち封印されたこの購入証書と、封印のない証書を取って土の器の中に入れ、これを長い間、保存せよ。15なぜなら──イスラエルの神、万軍の主はこう言われる──再びこの地で、家や、畑や、ぶどう畑が買われるようになるからだ。』16私は、購入証書をネリヤの子バルクに渡した後、主に祈った。17『ああ、神、主よ、ご覧ください。あなたは大いなる力と、伸ばされた御腕をもって天と地を造られました。あなたにとって不可能なことは一つもありません。18あなたは、恵みを千代にまで施し、父たちの咎をその後の子らの懐に報いる方、大いなる力強い神、その名は万軍の主。20あなたはエジプトの地で、また今日までイスラエルと人々の間で、しるしと不思議を行い、ご自分の名を今日のようにされました。21あなたはまた、しるしと不思議と、力強い御手と伸ばされた御腕と、大いなる恐れをもって、御民イスラエルをエジプトの地から導き出し、22あなたが彼らの父祖たちに与えると誓ったこの地、乳と蜜の流れる地を彼らに与えられました。23彼らはそこに行って、それを所有しましたが、あなたの声に聞き従わず、あなたの律法に歩まず、あなたが彼らにせよと命じたことを何一つ行わなかったので、あなたは彼らを、このすべてのわざわいにあわせられました。24ご覧ください。この都を攻め取ろうとして、塁が築かれました。この都は、剣と飢饉と疫病のために、攻めているカルデア人の手に渡されようとしています。あなたのお告げになったことは成就しました。ご覧のとおりです。25神、主よ。この都がカルデア人の手に渡されようとしているのに、あなたは私に、金を払ってあの畑を買い、証人を立てよ、と言われます。』」26すると次のような主のことばがエレミヤにあった。27「見よ。わたしはすべての肉なる者の神、主である。わたしにとって不可能なことが一つでもあろうか。28 それゆえ──主はこう言われる──見よ。わたしはこの都を、カルデア人の手と、バビロンの王ネブカドネツァルの手に渡す。彼はこれを攻め取る。29また、この都を攻めているカルデア人が来て、この都に火をつけて焼く。また、人々が屋上でバアルに犠牲を供え、ほかの神々に注ぎのぶどう酒を注いで、わたしの怒りを引き起こしたその家々にも火をつけて焼く。30なぜなら、イスラエルの子らとユダの子らは、若いころから、わたしの目に悪であることを行うのみであったからだ。実に、イスラエルの子らは、その手のわざをもってわたしの怒りを引き起こすばかりであった──主のことば──。31この都は、建てられた日から今日まで、わたしの怒りと憤りを引き起こしてきたので、わたしはこれをわたしの顔の前から取り除く。32それは、イスラエルの子らとユダの子らが、すなわち、彼ら自身と、その王、首長、祭司、預言者、またユダの人、エルサレムの住民が、わたしの怒りを引き起こすために行った、すべての悪のゆえである。33彼らはわたしに背を向けて、顔を向けず、わたしがしきりに教えても聞かず、懲らしめを受け入れなかった。34彼らは、わたしの名がつけられている宮に忌まわしいものを置いて、これを汚し、35ベン・ヒノムの谷にバアルの高き所を築き、自分の息子、娘たちに火の中を通らせてモレクに渡した。しかしわたしは、この忌み嫌うべきことを行わせてユダを罪に陥らせようなどと、命じたことも、心に思い浮かべたこともない。」36それゆえ今、イスラエルの神、主は、あなたがたが、「剣と飢饉と疫病により、バビロンの王の手に渡される」と言っているこの都について、こう言われる。37「見よ。わたしは、かつてわたしが怒りと憤りと激怒をもって彼らを散らしたすべての国々から、彼らを集めてこの場所に帰らせ、安らかに住まわせる。38彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。39わたしは、彼らと彼らの後の子孫の幸せのために、わたしをいつも恐れるよう、彼らに一つの心と一つの道を与え、40わたしが彼らから離れず、彼らを幸せにするために、彼らと永遠の契約を結ぶ。わたしは、彼らがわたしから去らないように、わたしへの恐れを彼らの心に与える。41わたしは彼らをわたしの喜びとし、彼らを幸せにする。わたしは、真実をもって、心と思いを込めて、彼らをこの地に植える。」42まことに、主はこう言われる。「わたしがこの大きなわざわいのすべてを、この民にもたらしたように、わたしは、今彼らに語っている幸せのすべてを彼らにもたらす。43あなたがたが、『この地は荒れ果てて、人も家畜もいなくなり、カルデア人の手に渡される』と言っているこの地で、再び畑が買われる。44ベニヤミンの地でも、エルサレムの近郊でも、ユダの町々でも、山地の町々でも、シェフェラの町々でも、ネゲブの町々でも、人々は金で畑を買い、証書に署名して封印し、証人を立てるようになる。わたしが彼らを元どおりにするからである──主のことば。」

[9] 「血の地所」 前後関係からして、ルカ(使徒の働き1章17~19節)では「血」はユダの血だが、マタイではイエスの血。

[10] 参考、「値の畑」川栄智章牧師日本キリスト改革派教会せんげん台教会2019年7月14日礼拝説教https://www.rcj.gr.jp/sengendai/message/detail.php?id=10 金原義信「血の代価」日本キリスト改革派豊明教会2010年7月4日礼拝説教 http://toyoake-church.la.coocan.jp/sermon/100704.html

[11] 驚くサウマゾー マタイで七回。8:10(イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた。「まことに、あなたがたに言います。わたしはイスラエルのうちのだれにも、これほどの信仰を見たことがありません。)、27(人々は驚いて言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどういう方なのだろうか。」)、9:33(悪霊が追い出されると、口のきけない人がものを言うようになった。群衆は驚いて、「こんなことはイスラエルで、いまだかつて起こったことがない」と言った。)、15:31(群衆は、口のきけない人たちがものを言い、手足の曲がった人たちが治り、足の不自由な人たちが歩き、目の見えない人たちが見えるようになるのを見て驚いた。そしてイスラエルの神をあがめた。)、21:20(弟子たちはこれを見て驚き、「どうして、すぐにいちじくの木が枯れたのでしょうか」と言った。)、22:22(彼らはこれを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。)、ここ。他にも「驚く」と訳される原語は数種類。ゲツセマネ以降、奇蹟はもうされていない。何も驚くようなことはなさっていないのに、何も言わないことによって、総督も驚かされるのだ。

[12] ただし、「キリスト者は、どんな誤解や中傷にも黙っているべき」ではありません。使徒パウロは自分の裁判で不利な証言を黙殺せず、正確に答えて公平な裁判を期しました(使徒の働き17章37節、21章37~22章21節、23章1~10節、24章10~21節)。冤罪を避けるよう努めるのもキリスト者の使命です。

[13] 私たちも、このイエスが私たちの王・救い主であることを信じる。この方が、その血の値をもって私たちを贖った(ご自分のものとしてくださった)ことを信じる。人が、どんなに誹謗・中傷しようとも、それに答えずにはおられない生き方から、救われた。後悔の言葉を吐き出しても「知ったことか、自業自得だ」としか言わない人間の断罪ではなく、それさえ尚赦し、私たちの命も死もその先も備えてくださった主がいてくださる。何も言い返さなくてよい、何を言われても傷つかなくて良い、どんな中傷・不利な証言にも、動じる必要の無い確かな立場が与えられているのだ。

[14] 私たちもこの方の声を聞こう。私たちを安売りせず、ご自分のいのちの値をもって買い取ってくださった方、私たちの死の先にも場所を備えてくださっている方、死にたいほどの失敗でも決して突き放すことなくともにいると約束してくださるお方の声を聞こう。この声を、私たちも届けていこう。

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