2021/11/28 第一サムエル記3~8章「サムエル」こども聖書㊲
前回は、ハンナという女の人のことをお話ししました。そのハンナが、神に祈った末に与えられたのがサムエルでした。そして、ハンナは約束通り、サムエルを祭司エリの家に連れて行き、サムエルを捧げました。今日はこのサムエルのその後をお話しします。
サムエルは、神を礼拝するための場所で寝ていました。エリはもう年を取って、目が見えなくなっていました。その夜、主なる神様がサムエルを初めて呼ばれたのです。
Ⅰサムエル三4主はサムエルを呼ばれた。彼は、「はい、ここにおります」と言って、・・・
しかし、サムエルは自分を呼んだのが、主だとは思わず、エリだと思ったので、
5エリのところに走って行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。帰って、寝なさい」と言った。…
エリは眠っていましたが、サムエルも寝惚けたのだろうと思ったのでしょうか。
…それでサムエルは戻って寝た。
6主はもう一度、サムエルを呼ばれた。サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。わが子よ。帰って、寝なさい」。
サムエルはまた勘違い、エリもまた眠ったところを起こされて、サムエルは寝ていた場所に戻ります。
まるでコントですね。
主も、笑っていらしたのかも知れません。
7サムエルは、まだ主を知らなかった。まだ主のことばは彼に示されていなかった。
これはサムエルが主の言葉を聞いた初めての体験でした。そこで、三度目です。
8彼は起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは、主が少年を呼んでおられることを悟った。
エリはようやく、サムエルが寝惚けているのではなく、主が少年を呼んでいることを悟りました。エリは祭司でしたが、神様はエリではなく、まだ少年のサムエルに語りかけていたのです。エリは、神がもうサムエルを、新しい指導者として選ばれたことを悟ったのかもしれませんね。そこで、エリはサムエルにとても大事なことを伝えます。
「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。サムエルは行って、自分のところで寝た。
10主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。
お話しください、しもべは聞いております。
これがサムエルの祈った最初の祈りです。
この時、サムエルに告げられたのは、決して、うれしいことやすばらしいお知らせではありませんでした。むしろ、祭司エリが、二人の息子のわがままを、放っておいていることへの厳しい裁きでした。ですから、サムエルはその後、朝になっても、主の告げた言葉をエリに伝えることを恐れました。けれども、エリは覚悟が出来ていたようです。
16…「わが子サムエルよ。」サムエルは「はい、ここにおります」と言った。
この時は、本当にサムエルを呼んだのはエリで、サムエルがエリに「ここにおります」と言ったのは、ふさわしかったのです。こうして、サムエルはエリに、主の言葉を告げました。この時からサムエルは、人々に主の言葉を取り次ぐ働きを始めたのです。
19サムエルは成長した。主は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とすことはなかった。20全イスラエルは、ダンからベエル・シェバに至るまで、サムエルが主の預言者として堅く立てられたことを知った。
こうしてサムエルは、主の言葉を取り継ぐ指導者となりました。敵との戦いに奮い立たせ、イスラエルの人々の信仰を回復させ、大切な働きをしました。
※ 北にダン、南にベエル・シェバ。中央が、ミツパ、ギルガル、ベテルの辺り。
七15サムエルは、一生の間、イスラエルを裁いた。16彼は年ごとに、ベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、これらすべての聖所でイスラエルを裁き、17ラマに帰った。そこに自分の家があり、そこでイスラエルをさばいていたからである。
こうしてサムエルは一生を過ごしました。それは、不安定で、苦労の多い生涯でした。外国との戦いもあり、イスラエルの人々はすぐに信仰から離れてしまいます。そして、子どもたちも、真っ直ぐに育ってくれず、父親としても無力を味わっていました。
八1サムエルは、年老いたとき、息子たちをイスラエルのさばきつかさとして任命した。…3…この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、賄賂を受け取り、さばきを曲げていた。4イスラエルの長老たちはみな集まり、ラマにいるサムエルのところにやって来て、5彼に言った。「ご覧ください。あなたはお年を召し、ご子息たちはあなたの道を歩んでいません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」
これは年老いたサムエルにとって、とてもガッカリする言葉だったでしょう。他のすべての国が誰を王にしていようと、イスラエルには神である主が王であるのです。そのことを忘れて「他の国のように王を」と言われて、サムエルは自分の全生涯が否定された気になったでしょう。そこで、サムエルは主に祈りました。すると、
7主はサムエルに言われた。「…彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから。…」
こうしてサムエルの晩年は、立てた王の尻拭いに奔走して終わります。サムエルの生涯はとても苦労の多い、悔しさや悲しみの多いものでした。だからこそサムエルは主に聴き続けたのです。「主よお話しください。しもべは聞いております」と祈ったのです。
私たちの生涯もイエス様を信じたら楽な人生になるわけではなく、周りにも教会にも家庭にも、色々あるのです。私たちが信じるイエス様ご自身、そうでした。敵の中傷や憎しみ、群衆の病気や罪、弟子も鈍感で、思うようにはならず、最後は十字架に殺されました。だからこそ、イエスは人の言葉に振り回される事なく、父なる神様の声に聴き続けました。
私たちも、痛みや涙の中、「主よ、お話しください。しもべは聞いております」と短く祈ればいいのです。この祈りによって、私たちの唯一の王、イエスに立ち戻るのです。十字架を担った主が、どんな時にも私たちの主でいてくださるのです。
「主よ、お話しください。しもべは聞いております。今日はこのサムエルの祈りを感謝します。私たちも、心騒ぐことの多い中でこの祈りに立ち戻り、あなたに耳を傾けさせてください。他の人のように、ではなく、誰よりも素晴らしいあなたが私たちの神でいてくださる幸いに立たせてください。あなたが王でいてくださり、有り難うございます」
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