ハプニングというものは突如として起こるものである。たとえ良い意味にしても悪い意味にしても、だ。
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南 利美。職業、女子プロレスラー。
女子プロレス老舗団体かつ業界の最大手である《新日本女子プロレスリング》の所属選手で、クールな佇まいとヒール(悪役)には不釣り合いともいえる美貌、そして他に並ぶ者がいない卓越したサブミッション技術で試合会場を沸かせ、マスコミやプロレスファンたちは常に妥協なきファイトをする彼女を《関節のヴィーナス》《クールビューティー》等と呼び賞賛する。
その南 利美が、都心部から少し離れた場所にある、買い物客でごった返している大型ショッピングモールにいた。
別に買い物客として来店しているわけでなく、れっきとした《仕事》でだ。
近く、この街にあるアリーナで新日本女子プロレスがビックマッチ興行を打つというので、少しで当日に会場へ足を運んでもらおうと、街往く人にアピールするために人通りの多いこの場所でサイン会&トークショーのイベントを開催したのだった。
南は立場上、ヒールということもあり、イメージを守る為にこういった催しには滅多には参加しないのだが、当日参加予定選手が負傷の為出演不可能となってしまった事や、何の気まぐれか南本人が
「今日、ヒマだから出てあげてもいいわ」
と言った事で、急遽出演が決定したのだった。
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「…というわけで本日は南 利美さんをお迎えしています!」
―――― おぉぉぉぉぉ!!
女性司会者にアナウンスされ登場した《関節のビーナス》の姿に、コアなプロレスファンたちは一斉に驚きと喜びの声を上げ、そして大きな拍手で迎えた。普段はテレビや試合会場でベビーフェイス(正統派)相手に冷血無比なファイトをする姿しか見せないので、パブリックな場所で普段着姿の素顔(に近い)の南はかなり貴重なのである。
イベントは女性司会者との対談形式によるトークショーから始まった。
最初は緊張して口数もすくなかったが、司会者が上手く南の話を膨らませその場を盛り上げてくれたおかげで途中からリラックスする事ができ、時折笑みを浮かべながら司会者との対談を進める事が出来た。ギャラリーは普段目にしている《ヒール・南 利美》とのギャップに驚きながらも楽しんでいる様子だ。
「…一番痛かった技って何でしたか?」
「あの…ダークスター・カオスって外国人選手がいるんですけど、彼女のダークスターハンマーって技はキツかったですね。いつも次の日軽いムチウチ状態ですもん」
こうして試合の裏話やバックステージでの出来事をネタに話は弾み、プロレスファンや一般の買い物客で埋められたギャラリーも時には話の面白さに爆笑し、時にはプロレスラーの凄さに驚きの声を上げたりした。
南の貴重なトークショーは予定時間通り終了し、次のプログラムであるファンによる質問コーナーへと進行した。
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ここで誰もが予期せぬハプニングが起こった。
「プロレスってさぁ、ショーなんでしょ?」
朝晩は少し冷え込みもするが、日中は汗ばむ陽気が続く今の季節、少々暑苦しそうに見えるウインドーブレーカーを着込んだ、一見細身ではあるが筋肉質の肉体を持つ女性が、半分馬鹿にしたような口調で南に向かって発言した。
「何だてめぇは?」
「引っ込め!」
ギャラリー内のプロレスファンたちは一斉にブーイングを彼女にぶつける。騒ぎを聞きつけ、イベント運営の雑用で駆り出された若手選手たちがその女性の元へ向かう。
「…えぇ、そうね。確かにプロレスはそういう側面もあるでしょうね」
南はいきり立つ若手をステージ上から睨み付け無言で制止すると、ただ者でない雰囲気を醸し出している女性の質問にそう答えた。
「じゃあさ、プロレスって弱いんじゃん?」
続く失礼な発言にギャラリーはますますヒートアップしていく。が、当の南は涼しい顔をしている。
「一杯選手がいますから、弱いのもいれば強いのもいるでしょうね、当然」
「じゃあ、アンタは強いんだ?」
「さぁ、どうかしらね?ご想像にお任せするわ」
南の怒りを買うために投げかけた質問が、いとも簡単に事ごとく軽くあしらわれてしまうので、逆に女性の怒りに火を付けてしまった。
彼女はそれまで深々と被っていたフードを乱暴に取るとよく目立つショートカットの金髪頭が現れた。
それを見たプロレスファンはまたもや驚きの声を上げた。
「…柿本だよ!」
「総合格闘技の柿本裕子だ!!」
柿本裕子、キックボクシング出身の総合格闘技。
彼女は、月一度開催される大規模な格闘技イベント《VICTIM》において実力・人気共にナンバー1で、国内では敵なしとまで云われている、地上波放送などでも彼女の試合が放送されている為、一般的な知名度はそこそこある有名選手であった。
「それなら試してみようじゃない、どっちが強いかを!!」
「……」
全く自分に無関心の南の態度に、ついにキレた。臨戦態勢の柿本は彼女のいるステージに歩を進めていくが、直前で新日本女子の若手選手に阻まれてしまう。
「クソッ、離せよ!おい、コラ南!聞いてんのかよ?!」
自分の倍以上あるまだあどけなさが残る若手選手の一人に羽交い締めにされながらも柿本は続ける。
「別に…、ただお金にならないケンカはしたくないだけよ」
「クッ!」
数人の若手選手に、連れ添われ退場させられる柿本の姿を見て、今度は南が言う。
「…あなた、ウチのリングでやるっていうんなら相手してもいいわよ」
「?!」
「実はね、来月この街でやるビッグマッチなんだけど、私のカードだけ偶然空いてるのよね。今日のイベントでかなり注目が集まっちゃったから、あなたにとってもおいしい話だと思うんだけど…?」
南による、あまりにも“プロレス的な展開”に柿本は一瞬苦虫を潰したような顔になった。
「どうなの、やるの?やらないの?」
「やるよ!やるに決まってんだろうが!!」
過去の、総合ルールでの輝かしい戦績、そして自分の実力には絶対的な自信を持っている柿本は即座にOKした。
「決まりね。後の交渉事はウチの会社に任せて頂戴。詳細は追って伝えるわ」
その時ギャラリーからは本日何度目かの歓声が上がった。あまりにもサプライズ的な場面が続いたせいかプロレスファンたちの顔は、興奮のあまり皆一様に高揚していた。
いとも簡単に挑戦を受理されてしまったので、柿本は嬉しいような、それでいて何か腑に落ちないような顔をしていたが、そんな阿呆な顔を見られるのが恥ずかしくなりフードで再び顔を隠し、足早に会場を後にした。
「…そんなわけで皆さん、是非来月の新女の興行を見に来て下さい」
柿本の背中からは、自分たちの試合が行われるであろう、来月開催のビッグマッチのPRをする南の声が聞こえていた……