「…堀さん、ちょっと酔っぱらっちゃってるみたいだからさ、タクシーに乗せて帰らせるよ。それじゃぁ皆さんは引き続き楽しんでいて下さい」
そういうと彼はワタシの鞄やガウンなどを手に持ち、もう一方の手でワタシの腕を掴み、友人に別れの挨拶をする間もなく店の外へと連れ出されてしまった。
……怒ってるのかな?
彼は帰りのエレベーターを待っているときも、降下中でも一言も発しなかった。ただワタシの腕を力なく掴み、笑いを浮かべて見ているだけだった。そう、イタズラっ子を優しく諭す母親のように。
下に着き、エレベーターのドアが開くと外の空気が全身を被った。今まで空調の利いた場所にいたので、まるで熱風のように感じる。外に出て一気に気が抜けたのか、ワタシはビルの非常階段の所に力なく座りこんだ。
今までワタシの隣にいた木下さんは、少し離れた場所で、携帯でワタシの帰りのタクシーを呼び出してくれると、近くにあった自販機に走り出し、清涼飲料水を購入した。
「はい、今日はお疲れさま」
彼は言うと、二本あるうちの一本をワタシに投げてよこし、隣に座ると一気にプルトップを開けて飲みだした。
「タクシーがくるまで暫くあるから、もうちょっと一緒にいていいですか?それとも迷惑でしたか?」
「いえ、そんな!ちっとも…そんな事は」
ワタシは思いっきり頭を振り、《否定》のボディランゲージをする。それを見て木下さんは安堵の表情を浮かべると、また清涼飲料水を飲みだした。
「……き、木下さんはどう思っていますか?」
「何をです?」
「今回の…合コンです。こんな暴力女と一緒で楽しかったんでしょうか?」
暫しの沈黙の後、ワタシのくだらない質問を笑ってごまかす事も出来たはずなのに、木下さんはキチンと答えてくれた。
「楽しかったです。だって、堀さんという素敵な女性に出会うことが出来たんですから」
普段であれば嘘にしか聞こえない、歯の浮くような台詞だが、今宵のワタシの精神状態ではそんな言葉でもうれしく感じた。そしてワタシという存在が肯定されたような気持ちになった。
「木下さん…あの、ワタシ…」
何か言わなきゃ。そう思った矢先、車のクラクションの音が聞こえた。先ほど木下さんが手配してくれたタクシーがビルの前までやってきたのだ。
「…あっ、着ましたね。それでは失礼します」
「あっ、待って!」
ワタシをタクシーまで案内して、帰ろうとする木下さんを呼び止める。上手くは言えないけど…理性じゃなく本能が…自分の女の部分が、まだ彼を望んでいる。
ワタシの呼びかけに、何かを感じたのか駅の方へ歩きだしていた木下さんはダッシュでタクシーまで戻ってきてくれた。
「……また会えますよね?ううん、会いたいです!」
ワタシの心からの言葉に、木下さんは一瞬「えっ?」と驚いた様子だったが、すぐにいつもの温和な笑顔に戻り、財布から自分の名刺を取り出すとワタシに差し出した。
「じゃぁ、何かあったら…下に書いてあるのが僕の携帯番号ですので、こちらにお願いします」
「……ありがとうございます!今度、ぜひワタシの試合、観に来て下さい。チケット送りますので」
「わかりました。同僚連れて応援に行きますよ」
ワタシはお礼を何度もすると、木下さんは手を振って再び駅の方へ歩を進めた。それと同時にワタシの乗っているタクシーが発信を始める。そして彼の姿が見えなくなるまで、ワタシはずっと目で追っていた。
△△商事株式会社 営業 木下直樹
帰りの車中、ワタシは先ほど木下さんから戴いた名刺を薄暗い光の中で見ていた。そしてその象牙色の小さなカードに記された彼の名前を小さく口に出すと、顔がニコニコしちゃって何故か満ち足りた気分になる。
……ワタシはあの人に恋をしてしまった。
会社、同僚、後輩…ワタシの周りの存在が頭の中をよぎるが、どーにでもなれ!という気持ちの方がマイナス要素を上回った。そうだ、事態は成るようにしか成らないのだ。アクシデントが起きたらその時対処しよう。今はとにかく次に逢う事だけを考えていた…
追伸:その後、この合コンをセッティングしてくれた友人には無礼を恥じ、平に謝っておいた。そしてあの可哀想なボンボンの、その後の様子を聞いてみたが、失神状態から覚めるとしばらくの間、「怖い、女の人怖い…」とうなっていたそうな。…いい営業活動ができたってもんだ。(違うか?)