「勝者、柿本裕子っ!!」
レフェリーに高々と腕を上げられると、会場には割れんばかりの歓声がこだました。
しかし、勝った柿本の顔には喜びの表情はなかった。いつ負けてもおかしくない場面が何度もあり、それに最後は相手にフィニッシュの場面まで作ってもらい、堂々と「私が勝者だ」と名乗れる気分ではなかったのだ。
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「……勝者でしょ?もっと胸を張りなさい」
曇りがちな柿本の表情を見て、南利美が声を掛けた。
見ると南はセカンドロープに腰を掛け、若手に膝にコールドスプレーをかけてもらい、自分で氷を首筋に当て患部を冷やしていた。
柿本は喜んでいるセコンド陣を置いて、南の方へ駆け寄った。
「南さん…」
「…さん付けに格上げか、嬉しいわね」
「……」
柿本は、南に対し言いたい事が山ほどあったが、気恥ずかしさのあまりなかなか喉から言葉が吐き出せなかった。そんな彼女をよそに南は言葉を続けた。
「勝者がそんな顔しないの。もっと堂々としてないとせっかくの死闘がぶち壊しになっちゃうじゃない」
「…はい」
勝者・柿本の眼からは、ほろりと涙が一滴流れ落ちた。
「まぁ、また何処かで巡り会う事もあるでしょう。だけど自分で言うのも変だけど、今日みたいな試合はもう懲り懲りだわ」
ずっと《総合格闘技の敵》を演じてきた南から、初めて柿本に対し笑顔を見せた。ヒールとして常に見せていた冷笑ではなく、女性らしい、自然な笑顔を。
「じゃあ、次はプロレスの試合でお願いします」
この言葉は、先の一戦でプロレスの、いや、プロレスラーの凄さや心意気を十二分に感じ取った柿本の、嘘偽りのない気持ちだった。
「ええ、機会があれば是非…ね」
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柿本、南、どちらからともなく歩み寄ると、死力を尽くして闘った者同士、熱いハグを交わした。南は柿本の腕を上げ勝者を讃え、柿本も南を指差して長く辛かった死闘を共に演じてきた《仲間》を会場にいる観客たちに紹介した。観客たちはスタンディングオベーションで応え、割れんばかりの拍手を二人に送った。
そして互いに礼をするとそれぞれの控室に去ろうとした時、南が柿本に声を掛けた。
「…あの時の会話は私たちだけの秘密よ。それと…試合後のインタビューである事ない事喋っちやうけど気を悪くしないでね」
「ははッ…やっぱり敵わないな、アンタには」
柿本は南の発言を聞き苦笑すると、花道を歩きセコンド陣と共に、ファンたちの声援に応えながら控室へと消えていった。
しばらくリング内で、消えていく柿本の背中を眺めていた南だが、リング下の本部席を見ると「早くリングから降りるように」と催促されたので、何万といる観客たちに一礼すると、首にタオルを掛け、痛む膝を引きずりながら花道を進み、入場ゲートのカーテン越しへとその姿を消した。
会場内では両者を賞賛する拍手がいつまでも、いつまでも鳴り止まなかった…