三方よしとは
近江商人の商い哲学である。誰が言い出したのか知らないが、おそらくビジネスをする上で、それがビジネスをおこなううえの最上の商売道徳だと悟っていつの間にか、近江商人の間に広まって守られてきたのだろう。
マックス・ウエーバーの「プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の精神」を持ち出すまでもなく、ドラッガーも資本主義の発展には宗教倫理が欠かせないとその必要性を説いた。
資本主義とは金もうけをヨーイドンで始め、人々が自由競争をして、金もうけに狂奔し、死闘を繰り返す経済システムである。その世界では完全に、強者弱者が、生まれ出てしまう。
勝者は金に飽かせてこの世の贅沢を味わい、極楽を味わうのに比べて、敗者は明日の食べ物にも事欠くようになる。100人が競争すれば1番から、100番まで生まれるのは当たり前の話である。
そして100番は生存も許されない状況に追い込まれる。資本主義がいかによい経済システムとだとしても、競争に負けた人は生存も許されないような状況があると言うのは、資本主義に内蔵される矛盾である。この矛盾を回避するために、経済化のリーダーは、人間としての大いなる智慧を使う必要がある。
このような資本主義の矛盾を解決する一助になるのが
近江商人の「三方よし」の哲学である。三方よしの精神こそが
資本主義の基本的な哲学でなければならない。
すなわち、どのようなビジネスであっても、売り手と買い手それに加えて社会の3者の満足が得られなければ、それは永続性のあるビジネスではありえないということを肝に銘じて経済活動をすることであり、その暴走をチエックするのが宗教倫理であり、政治なのである。。
こういう考え方に照らし合わせて考えてみると、今回のアメリカの金融界を震源とする金融危機は詰まるところ三方良しの精神から大きくかけ離れたビジネスの営みが原因であった。そして、この影響は全世界に広がって悪影響を及ぼした。つまり人々の安定した幸せを奪ったのだ。
我々は資本主義が発生してから、幾度となく資本主義の矛盾の露呈に遭遇し、修正資本主義の考え方を取り入れた。しかし悲しいかな
金銭に固執するという人間の本能にまで染み込んだ感覚は、
経営者はもちろんのこと、労働者も、株主も社会も、満足させるものでなければ、成り立たないという鉄則を忘れさせる。
特に、経営者は、労働者はもちろんであるが、社会に対しても、社会的責任というものを果たさなければならない。ということを肝に銘じて、経営に当たってほしい。
今回のアメリカ政府のやり方は、まさに弱肉強食の経済政策をとって、三方良しの精神を忘れていた。いや欠落させていた。その結果不平等の拡大という社会現象を生み出した。
こういう矛盾を修正しつつ、経済活動を進めるとすれば、そこには、倫理観と、政治の二つが重要な役割を果たす。これをなおざりにしては、まともな経済発展は望めないだろう。この危機を反面教師にして全世界的規模で今回の愚かさを再度くり返さない事を確認して、三方良しの精神に立ち返ってほしいものだ。