日々雑感

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丸山ワクチン

2009年06月15日 | Weblog
丸山ワクチン

1960年代から、80年代にかけて、科学技術は進歩の度合いは、まったく驚嘆に値する。科学技術は人類史上初めて人跡未到の月に、人類の足跡を残すことまで進歩した。ところがこんなに
急速かつ広範囲に進歩した科学技術の力をもってして、なおどうにもならないものの一つに癌がある。

栄養状態や住環境・医療技術をもってしても癌の撲滅は、今なお、人類共通の目標で、世界の大勢の学者や研究者がいろいろ努力しているにもかかわらず、現実には死の病であり、また癌による死亡者の数も多く、死因の中では高い率を示している。

癌は、患者にとっては死に直結する病であるだけに、癌の宣告を受けた患者やその家族は、それこそもしそれが効くといううわさがたてば、ネズミの尿でも飲むように、絶対絶命の状況に追いつめられている訳である。

現在の日本では、医学界ではすんなり認められてはいないが、丸山ワクチンが癌に対して、有効であるということが理論は別として、実証的には認められている。
最近の薬事審議会では、従来通り、癌の治療薬として認めることはできないという結論が出たが、薬学的にどうあろうと、わずかではあるが、丸山ワクチンの効能が、その使用者によって確認されているので、なぜこんな結論が出るのか、と私は、いぶかった。

審議会のこの決定については早速、患者側からクレームがついた。そして、このクレームは当然だと思う。なぜならば、私はなによりも事実を重視したいからである。副作用もなく、生活を破壊することほど高価な薬でもなく、しかも人によっては癌が完治したというケースもあり、少なくともこのワクチンを使用しないより、使用した方が、数は少ないかもしれないが、現実に患者の命を助け、患者の容体を快方に向かわせるケースがあるのだから、現代の医学や薬学では解明できない効用があることを誰も否定はできない。

それを現代の学問体系には合わないから、ボツにする、と言うのは、非科学的態度以外の何物でもないように私には思える。
現代の科学技術をもってしても、解決しない現象へのアプローチの仕方が、現代の学理にかなってないから、といって没にしてしまうのは、あまりにも危険が大きすぎる。なぜならば、現代のレベルによって、当否を判断する際に学理そのものの限界性をはっきり認識されなければならない。現代の医学や薬学のセオリーでは効き目がない、とされている丸山ワクチンは、%は低いが、その有効性が患者によって証明されているからである。たとえ1%の有効性でも良い。99人が死んで、一人だけが残った場合でも、放置しておくと、100人が100人とも死亡することが確実ならば、丸山ワクチンは大いに使用すべきである。

丸山ワクチンを葬り去ろうとした連中よ。君たちはすぐさま、広辞苑を開き、謙虚という言葉の意味を調べなおせ。君たちの確信に満ちた、偏見と独断を自らの体内から追放するために。速やかに、科学者だと胸をはってほこれるように、自己革命をおやりなさい。

あらゆる自然現象に対して、謙虚な態度で研究を続ける人のみが学者の名にふさわしい人なのだ。なぜ君たちの物差しに合わないものを排斥し、受け入れようとしないのか。今の君たちのレベルで、測定できないものは、真実、君たちの結論通りである場合もあるが、将来に、またなければ、解明できないものもある筈だ。そして、君たちは後者を、独断と偏見で否定するという間違いを犯していることに早く気がつきたまえ。