金粉現象
彼とはバンコクのゲストハウスで出会った。目指すはカンボジア・シエムリアプ、アンコールワット 。陸路でいくか、空路でいくか迷ったが、やはり空路を選んだ。
代理店の話では、陸路ではカンボジアのビザこみで1650から1750バーツだという。飛行機だと、カンボジアエアーが往復で5500バーツ。約1時間の飛行である。
ぎりぎりまで迷ったが空路にした。理由は体が楽だということだ。
陸路だったら、アランヤプラテートまでは列車で行き、国境を超えポイペトに入ってからは、トラックの、荷台に乗ることになる。おまけに、道路状況はいつも変わる。橋が壊れて通れなくなっていたり、道路が冠水して通じなかったり所定時間はあくまで未定で、ベストコンディションのときのことで6時間、運が悪いと10時間以上かかって真夜中になることもあるらしい。
そんな話を耳にしていたので、ワイルドで面白いじゃないかと胸が騒がないでもないが、今回はこれを見送って、彼=陸路、僕は、空路ということに決めた。空路でプノンペン、に入り、そこからボートでシエムリアプに行き、アンコール・ワットで落ち合うことにした。どうせ狭い町のこと、1週間も滞在すれば、どこかで会うだろう、と言って別れた。
滞在中、彼を見かけなかった。ひょっとしたら、予定変更でシエムリアプに来ていないかもしれないし、遺跡の大回りコースを楽しんでいるのかもしれないと思い
僕は僕なりの計画に従って行動した。来る日も来る日も今あせまい町でありながら彼には会わなかった。
バンコクで出会った青年とはシエムリアプで再会しようと約束した。シエムリアプ
滞在中に、彼は現れなかった。ところがプノンペンに行くボートの中で彼と僕とは、隣同士の席になった。 不思議なことでお互いにびっくりした。彼は体調を崩し目が真っ赤になっている。熱があるかみてくれませんか、というので額を触るとかなりの高熱である。
けれども船の中ではどうしようもないから彼に、大した熱ではないよ と言って勇
気づけた。多分疲労だろうとは思ったがマラリアが怖かった。さらに肝炎の恐れだったある。僕は彼に安静にするようにいった。プノンペンに着くとフランス大使館の横にある大きな病院に行くように勧めた。一刻も早く診断を受けた方が良いと思ったからである。
僕たちはキャピトル泊まることにした。翌朝彼の部屋を訪ねて病院の結果を聞いたがなんのことはない、彼は大使館に相談には行ったが病院にはいかなかった。それでも、15時間寝たおかげで体調は基へ戻ったと彼は言った。確かに元気がみなぎっている。そこで彼の部屋で旅の話をすることにした。僕は清水寺とバイヨンの観音様を関連付けて、その不思議を語った。
その話は彼にも不思議だったらしい。ところが、彼にとって1番不思議なことは
ボートでの出会いである。確かにこれも不思議な出来事ではあった。それから僕たちは神とか仏などの神秘な体験を話し出した。こういうことは信じる人には通じるがそうでない人には丸で馬鹿げた話なのである。二人はかなりつっこんだ話をした。勿論個人的な体験談である。その内に彼の肩に金粉が現れた。それは僕が見つけた。彼は自分で見ることが出来なかったので鏡で確認した。彼は金粉現象ははじめてだといったが僕にはよく起きる事だ。こういう話しは僕にはごまんとある。聞きたいというならいくらでも信じられないようなことを教えてあげるよ。僕はこういうことに興味があり40年間のキャリアがある。でも普通誰にも言わないことにしている。誤解を受けるだけだからだ。もしあなたが興味があるのならいくらでも教えてあげる。遠慮なく聞いてくださいと付け加えた。
彼は、出会いの不思議に驚き続いて出会った人からまで経験したことのないような話を聞き、自分の体験したに驚きながらも世界が広がったとを喜んでいた。
僕は、これから彼の、旅の道中でわが身に起こることを、詳細に記録して当然のことと当然ていないことを、区分けするようにアドバイスした。常識で考えられないようなことを、体験した場合にはその場で、自分なりの解決を試みる必要がある。 もし、その、答えが出なかったんならばいつまでも、ペンディングにしておくのがよい。。日突然、思いもよらあることから回答が生まれる場合だってあるから。
それから、僕はバイヨンの話をした。
バイヨンで背中に異様なパワーを感じたこと、金粉現象現象こそ起こらなかった が、バイヨンの、第二回廊の上では体をさすような 強烈なエネルギーを感じたこと、またそのせいで、胸騒ぎがしたことなどを話した。なぜそのような、現象か起こるのか。ぼくにはまったく分からない。だが、結果として、僕がそう感じるのも事実である。このことも正直に、付け加えた。
ひとり旅をして考えたり感じたり、経験したりすることを文章という形で、記録にとどめそれをもとに、エッセイを書くのも、非常に楽しいことであるが 、旅の道連れで出会った人たちとそういう体験を語り合うことも、旅の楽しみの中では大きな喜びとなる。
彼とはバンコクのゲストハウスで出会った。目指すはカンボジア・シエムリアプ、アンコールワット 。陸路でいくか、空路でいくか迷ったが、やはり空路を選んだ。
代理店の話では、陸路ではカンボジアのビザこみで1650から1750バーツだという。飛行機だと、カンボジアエアーが往復で5500バーツ。約1時間の飛行である。
ぎりぎりまで迷ったが空路にした。理由は体が楽だということだ。
陸路だったら、アランヤプラテートまでは列車で行き、国境を超えポイペトに入ってからは、トラックの、荷台に乗ることになる。おまけに、道路状況はいつも変わる。橋が壊れて通れなくなっていたり、道路が冠水して通じなかったり所定時間はあくまで未定で、ベストコンディションのときのことで6時間、運が悪いと10時間以上かかって真夜中になることもあるらしい。
そんな話を耳にしていたので、ワイルドで面白いじゃないかと胸が騒がないでもないが、今回はこれを見送って、彼=陸路、僕は、空路ということに決めた。空路でプノンペン、に入り、そこからボートでシエムリアプに行き、アンコール・ワットで落ち合うことにした。どうせ狭い町のこと、1週間も滞在すれば、どこかで会うだろう、と言って別れた。
滞在中、彼を見かけなかった。ひょっとしたら、予定変更でシエムリアプに来ていないかもしれないし、遺跡の大回りコースを楽しんでいるのかもしれないと思い
僕は僕なりの計画に従って行動した。来る日も来る日も今あせまい町でありながら彼には会わなかった。
バンコクで出会った青年とはシエムリアプで再会しようと約束した。シエムリアプ
滞在中に、彼は現れなかった。ところがプノンペンに行くボートの中で彼と僕とは、隣同士の席になった。 不思議なことでお互いにびっくりした。彼は体調を崩し目が真っ赤になっている。熱があるかみてくれませんか、というので額を触るとかなりの高熱である。
けれども船の中ではどうしようもないから彼に、大した熱ではないよ と言って勇
気づけた。多分疲労だろうとは思ったがマラリアが怖かった。さらに肝炎の恐れだったある。僕は彼に安静にするようにいった。プノンペンに着くとフランス大使館の横にある大きな病院に行くように勧めた。一刻も早く診断を受けた方が良いと思ったからである。
僕たちはキャピトル泊まることにした。翌朝彼の部屋を訪ねて病院の結果を聞いたがなんのことはない、彼は大使館に相談には行ったが病院にはいかなかった。それでも、15時間寝たおかげで体調は基へ戻ったと彼は言った。確かに元気がみなぎっている。そこで彼の部屋で旅の話をすることにした。僕は清水寺とバイヨンの観音様を関連付けて、その不思議を語った。
その話は彼にも不思議だったらしい。ところが、彼にとって1番不思議なことは
ボートでの出会いである。確かにこれも不思議な出来事ではあった。それから僕たちは神とか仏などの神秘な体験を話し出した。こういうことは信じる人には通じるがそうでない人には丸で馬鹿げた話なのである。二人はかなりつっこんだ話をした。勿論個人的な体験談である。その内に彼の肩に金粉が現れた。それは僕が見つけた。彼は自分で見ることが出来なかったので鏡で確認した。彼は金粉現象ははじめてだといったが僕にはよく起きる事だ。こういう話しは僕にはごまんとある。聞きたいというならいくらでも信じられないようなことを教えてあげるよ。僕はこういうことに興味があり40年間のキャリアがある。でも普通誰にも言わないことにしている。誤解を受けるだけだからだ。もしあなたが興味があるのならいくらでも教えてあげる。遠慮なく聞いてくださいと付け加えた。
彼は、出会いの不思議に驚き続いて出会った人からまで経験したことのないような話を聞き、自分の体験したに驚きながらも世界が広がったとを喜んでいた。
僕は、これから彼の、旅の道中でわが身に起こることを、詳細に記録して当然のことと当然ていないことを、区分けするようにアドバイスした。常識で考えられないようなことを、体験した場合にはその場で、自分なりの解決を試みる必要がある。 もし、その、答えが出なかったんならばいつまでも、ペンディングにしておくのがよい。。日突然、思いもよらあることから回答が生まれる場合だってあるから。
それから、僕はバイヨンの話をした。
バイヨンで背中に異様なパワーを感じたこと、金粉現象現象こそ起こらなかった が、バイヨンの、第二回廊の上では体をさすような 強烈なエネルギーを感じたこと、またそのせいで、胸騒ぎがしたことなどを話した。なぜそのような、現象か起こるのか。ぼくにはまったく分からない。だが、結果として、僕がそう感じるのも事実である。このことも正直に、付け加えた。
ひとり旅をして考えたり感じたり、経験したりすることを文章という形で、記録にとどめそれをもとに、エッセイを書くのも、非常に楽しいことであるが 、旅の道連れで出会った人たちとそういう体験を語り合うことも、旅の楽しみの中では大きな喜びとなる。