日々雑感

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今回の金融について思う。

2009年06月22日 | Weblog
今回の金融について思う。

今回の金融危機の震源地はアメリカである。いわゆる金融バブルが崩壊することになって、世界全体の経済が、後退あるいは停滞した。
不況の波は実態経済に、即座に響き、市場は急速に縮んだ。

それまで自由放任的な資本主義経済のあり方が、ここで改めて問われることになった。たとえば、ファンドの投機的な動き。100円そこそこのガソリンが半年もたたないうちに200円近くに値上がりする。それは、実需に結びついた経済よりは投機的な要素でもって引き起こされた経済現象である。市場中心主義が生んだ投機の弊害である。

アメリカの場合、そこの部分が規制あるいは監督されるよりも放任された。そして、暴れ回ったのは、投機資金や金融資本である。そのために結果的には、世界中の経済が不況の波に襲われた。

考えるに、資本主義経済というものは、個人や社会を豊かにするという原則の上に成り立っている。

実体経済からかけ離れた投機経済によって経済秩序がかきまわされたわけである。そこには企業の社会的責任とか社会的公器としての自覚とかという観点よりは、利益優先の経営主体が幅を利かせていたことである。基本的に企業は社会の安定と存続に貢献しなければならない。不況だからと言ってリストラばかりを行うことは、企業の社会的責任の放棄につながる。それは現実的には多くの失業者を生み、多くの人々を困らせる。不況の波を受けて、人々は生活防衛に走り、ものを買わなくなる。おかげで
生産活動に縮小現象が起こり、デフレスパイラルに陥る可能性が大きい。

そうなると、経済回復は多くの財政支出を伴ったとしても、かなりの時間がかかるのではないだろうか。それまで人々は苦しみ、消費縮小によって生産に縮小になり、企業はその活動のあり方を根本的に見直さなければならないような苦境に陥る。

100年に一度の不景気だと言われるが、経済、歴史を振り返る時に、やはり前回の失敗から学んで、長期的展望に立って、経済活動をするよりは、目先の一時的な利益追求が何にも増して優先しているところから発生する愚かしさが経営哲学の上で訂正されていない。

アメリカにはノーベル賞をもらった経済学者が沢山いる。どうして彼らが学問的な先見性を発揮して警告を発することができなかったのであろうか。