日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

バーニング・ボデイ

2009年06月09日 | Weblog

バーニング・ボデイ

インド 、バラナシのガンジス川の河岸はヒンズー教の聖地で、全国から大勢の信者が沐浴にやってくる。
そしてまたヒンズー教徒は、この河岸で火葬にされ、骨灰はガンジスの流れに流されて、輪廻転生の輪から離脱できると信じているとのことである。

それはいったいどういうことか。
インドへ行きたいと思った根底には、こんな疑問が横たわっていた。
取材というよりは自分の記録として取っておきたかったのである。

この河岸で行われている火葬については、恐いモノ見たさという好奇心もあって、ガイドブックをしっかり読んだ。
火葬の様子を写真に撮ったり、ビデオに収めたりすることは、厳禁と書いてある。
当然だ。

今生の別れで嘆き悲しむ遺族の心情を思いやることもなく、興味や好奇心の目で、見ることは残酷でさえある。僕はガイドブックの記事に賛成した。

 バラナシで偶然知り合ったインド人は小学校の校長先生で、ガンジス川の火葬や沐浴風景を見て、インド人の宗教観を理解してほしいと言いながら、そこを案内してくれるという。
 日本を出る時には、遺族の心情思いやることが大切だとの思いはあったが、インドのインテリが案内するという言葉に、僕は簡単に便乗した。浅ましいや奴だ。この俺は。後ろめたさを心に残して、ガイド氏の後を、追うようにして、くっついて行った。

ごちゃごちゃしたところを通り抜けて、川下を指して進むと、観覧席のようになっているところへ出た。
 今から始まろうとしている火葬を、腰をおろして見物しようとしていると、ガイド氏は写真やビデオをとってもいいよという。僕はビデオのスイッチを入れて撮り始めた。そうしたら、間髪を入れず、両サイドから上半身裸の、背のたかい男が二人駈け上ってきた。

それ見たことか。やっぱり駄目だろう。次の瞬間、何が起こるのか、胸がどきどきした。ガイド氏は両側の男に10ルピーずつ渡せといった。
僕はポケットから10ルピー紙幣を2枚取り出して、彼らに渡した。
男たちはおしだまったまま、パンツのポケットにねじこんで、下へ降りていった。

 今、僕の前に横たわっているこの老人は人間としての体をなしてはいるが、魂の抜け殻で、単なる物体としか思われない。
しかも、物理的距離はほんの3mも離れてはいないのに、彼と僕のそれぞれの世界は月と地球以上の別々の世界であるという思いがした。

黄色の布で体は覆われているが、頭の部分だけが覆いが取れ、見えていた。彼はおじいさんだった。
ヒンズー教では、どんなお経を唱えるのかは知らないが、僕は思わず、南無阿弥陀仏と口走った。

今、僕の目の前で火葬され、あと2時間もすれば、骨灰となる。この人の一生を僕なりにたどってみた。
彼が生まれた時、両親をはじめ、近親者は男子出生の喜びにわき、彼は周りの誰からも祝福されたことだろう。やがて彼は成長し、結婚し、一家を構え、夫となり、父となって家族の面倒を見て、老いを迎え、死に至ったのだろう。

火葬するには、それなりのお金がかかり、その財力がないと、ここでこうして骨灰にしてガンジスに流してもらえないとのことだから、ひょっとすると、彼は金もうけに一生を費やしたのかもしれない。
インドでは、人の生き方の理想とされる林住期を持たず、おそらく家族と共に、生涯を暮らしてきたはず。
そうして彼は今、近親者によってガンジスの水に流され、清められ、いわゆる解脱しようとしているのである。
今、妻や子供たちが彼を取り囲み、最後の別れに悲しみの涙を流しているのだ。
 
 お釈迦様の言うように、この世は四苦八苦の世界だから、死ぬことによって本当に輪廻転生の輪から抜け出して、常住極楽ならば、それもいいなと思った。

いよいよ作業は始まった。竹で作った担架に乗せられた死体を井桁に組んだ薪の上に移し、ガンジス川の聖水(このきたない濁り水と、僕は思うのだが)を布の上からかけた後で、枯れた井草のような植物を薪の間に差し込み火をつけた。
ほどなく白い煙がもうもうと立ち上がり、ちょろちょろっと炎が紅色の舌をだすが、まだ火は薪に付いてはいない。

 火夫が棒をマキの間に突っ込み、がさがさ掻き回してから、粉のようなものをふりかけると、炎は勢いよく燃えあがった。こんなことを3、4回繰り返しているうちに、火はマキに移り、本格的に燃えだした。
彼を包んでいた黄と朱と金色の布も燃え失せて、黒々と焼けた体が目についた。
そして2時間後、彼は骨灰になって、ガンジス川に流された。
ああ。これで1巻の終りか。これで全てが終わったのか。
僕は目を閉じて、ため息をついた。

薪を井桁にくんで、その上に死体を乗せて、着火して完全に骨灰となったら、すべてガンジス川へ戻すのを、僕は緊張して、体をこわばらせながら、一部始終を見た。
全てが流されたとき、僕はなぜか、ほっとした。
 
 家族は三々五々引きあげたが、僕はそこに座ったまま、いま目の前で繰り広げられた光景をもう一度頭の中で反芻した。

 釈迦はこの世における人間の姿を見て、生きるということは、苦であるというところから出発して、それゆえに生きることを、実のあるものにしようと教えた。
すなわち、この世における人間の現実を支配している原理を発見して、人々がその原理原則を認識することを出発点として、充実した命のあり方や、生き方を説いたのである。釈迦の教えについて勉強したわけでもないので、つまびらかでないにせよ、価値のある生き方やヒントを人類に与えてくれたということは分かる。

 人は果たして輪廻転生するのか。解脱するというが、その世界があるのか。僕にとっては永遠の謎みたいである。だがいずれにせよ、僕も確実にこの道を通る事になる。
そうか。僕の一生もこの通りなんだ。いずれあちら岸に渡らなくてはならない日が来る。そして神のみぞ知る、その日まで、僕はこちら岸にいる。
好むと好まざるにかかわらず、人間として生まれたからには、すべからく、こうなるんだ。そこには例外がない。いったん人として、この世に生まれ落ちると、みな平等にこうなるのだ。

男女間の性交渉に始まって、受胎、出産、成長、成熟、老衰という生命曲線を眺めるとき、いま僕が目の前にしている火葬は、着地したその姿である。
この姿を起点にすると、今からでも遅くはない。赤々と燃えている自分の命をさらに輝かせるために、真剣に生きよう。自分の意に添うようにして、命をもやそう。
いや、もやさなければならないという気になって、僕は自分の命に対する責任感みたいなものを感じた。

生きよう精一杯。羽目を外してでも生きよう。とにかく生きなければ。
僕は心の中に引っかかっていたもやもやを、このわき上がってきた不思議な力によって吹き飛ばした。
そして自分の心が、新鮮な意欲に満ちていることに気がついた。