歌は世につれ 09/06/26
演歌作曲の大御所 、古賀政男先生は生前、次のように語っていたのを私は聞いたことがある。
「私は自分が作った歌が売れなくなるような時代が来ることを強く希望する。私自身も、この日本社会の苦しく悲しい思い、の時代はもうたくさんだ。」
古賀先生が、心の底からそう願っていたかどうかは分からないが、現代の世相を見る限り、古賀演歌は懐かしい過去になりつつある。
人間が生きて行く上で、悲しみが消え去ることは絶対にありえないだろうから、古賀メロディーは、先細りになりつつも生き残るであろう。
あんなに心にしみるメロディーが、と思うが、確かに悲しい歌からは遠ざかる心が自分の内にある。それが分かるから、古賀先生の主張は納得できる。
時代が移るに連れて、世相もその心も移り変わって行く。
高度経済成長を遂げた現代では、個人の懐具合もよくなり、豊かさは、人々が実感できるまでになっている。
貧乏なるがゆえの悲しみは、豊かさと反比例するがごとく、少なくなったが、人々の持つ意のままにならぬ悲しみの大部分が消えたわけではない。
物質的な面に起因する悲しみが少なくなったとしても、精神的な面に起因する悲しみが、減ったということではない。
形を変えて、悲しみは人の心に忍び寄る。これはいつの時代でも同じこと。
されば、悲しみを歌い上げる演歌は内容が変わることがあっても、この日本から消え去ることはない。これから先もあの哀愁に満ちた演歌は日本人の心の歌として、いつまでも歌い継がれて行くことだろう。
演歌作曲の大御所 、古賀政男先生は生前、次のように語っていたのを私は聞いたことがある。
「私は自分が作った歌が売れなくなるような時代が来ることを強く希望する。私自身も、この日本社会の苦しく悲しい思い、の時代はもうたくさんだ。」
古賀先生が、心の底からそう願っていたかどうかは分からないが、現代の世相を見る限り、古賀演歌は懐かしい過去になりつつある。
人間が生きて行く上で、悲しみが消え去ることは絶対にありえないだろうから、古賀メロディーは、先細りになりつつも生き残るであろう。
あんなに心にしみるメロディーが、と思うが、確かに悲しい歌からは遠ざかる心が自分の内にある。それが分かるから、古賀先生の主張は納得できる。
時代が移るに連れて、世相もその心も移り変わって行く。
高度経済成長を遂げた現代では、個人の懐具合もよくなり、豊かさは、人々が実感できるまでになっている。
貧乏なるがゆえの悲しみは、豊かさと反比例するがごとく、少なくなったが、人々の持つ意のままにならぬ悲しみの大部分が消えたわけではない。
物質的な面に起因する悲しみが少なくなったとしても、精神的な面に起因する悲しみが、減ったということではない。
形を変えて、悲しみは人の心に忍び寄る。これはいつの時代でも同じこと。
されば、悲しみを歌い上げる演歌は内容が変わることがあっても、この日本から消え去ることはない。これから先もあの哀愁に満ちた演歌は日本人の心の歌として、いつまでも歌い継がれて行くことだろう。