日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

傾向と対策

2009年06月17日 | Weblog

傾向と対策

 昔から、地獄・極楽の話をするのは、老人か、坊さんと相場は決まっている。地獄へ行きたいか。それとも、極楽へ行きたいかと、問われると、答えは言うまでもないことだ。

 ところが地獄の方がなんとなく関心があるのは、恐いもの見たさの心理に根ざすと同時に、日頃の行いからして、どうも地獄へ行きそうな気配がしているのが、我々の日常の生活実感ではなかろうか。

「良い行いをする人は極楽へ行き、悪い行いをした人は地獄へ行く」
というのは、日常生活の常識がら生まれたもので、われわれが、生まれてこのかた、染みついてしまい、こういうことになるのかもしれない。

 ところが、それでは何が地獄で、何が極楽が、と大上段に構えて、問われると、確信をもって正確に答えられる人々は、少ないに違いない。それでも普通我々が日常生活の中で使っている、地獄極楽の概念で、なんとなくわかるものがある。

しかるに、過去はいざ知らず、現世・この世と、未来・あの世は間違いなく存在する。
しかも、現世における地獄極楽は日常生活の中で、我々は実感できる。何を地獄と呼び、何を極楽と呼ぶかは、人さまざまであるが、苦しみの絶頂を地獄、心地よさの最高の状態を極楽と表現している点では、地獄・極楽の意味は、個人差はあるとはいうものの、おのずから普遍性を思っている。

 テレビでは、送信機から発射される電波は目に見えないだけでなく、五感では感知できないが、受像機に達すると、そのうえでは画像を結び、我々の肉眼で、はっきり見えることができる。
 空中に向って発射された電波は、確実にこの世に存在するが、電波の存在をこの体で実感することはできない。
それゆえに、体で実感できない電波の存在が信じ難いのと同様に、あの世の地獄・極楽は実感できないがゆえに、信じがたいものである。

 しかし、霊魂不滅を信じるならば、この世で肉体が滅んだ後に残る霊魂が、この世に地獄・極楽があったがごとく、やはりあの世(次の世)で、地獄・極楽に巡り会うことはあり得ることだと考えられる。

 そしてあの世で、自分がそのどちらへ行かはエンマ様の側で決めることで、我々は、その指図に従うほかは無い。すなわち、エンマ様がもっておられるものさしでもって、図られて、その結果によって地獄行き、極楽行きが決定するのである。とすれば、この世に存在する間に、極楽行きを目指して、「傾向と対策」を立てることが必要なのかもしれない。

昔の人は極楽行きの「傾向と対策」について、現世での生き方を説いた。善因善果、悪因悪果だと言うのである。
これに従うと、現世の生き方が、そのまま来世にも通用しそうなことになる。つまり現世は、現世における地獄・極楽と、来世における地獄・極楽の双方を決める場になっているのである。こんなことを考えると空恐ろしくなってきた。

 地獄へ行こうが、極楽へ行こうが、自分の好きなように生きるほかは無い。開き直ると同時に,たとえその結果がどうなろうとも、、今日巷に出回っているハウツーものでも読んで,極楽行きに向けて、「傾向と対策」を立てておかなきゃとも思う。


両手なくした尼僧の話 大石順教尼

2009年06月16日 | Weblog
両手なくした尼僧の話 大石順教尼


高野山にはよく行くが、奥の院には、めったに行かない私が、今日は久しぶりに奥の院を訪ねた。
バスの終点を降りて、お大師さんの御廟の方へ行く参道の両側に並ぶ墓を見ながら、ぶらぶら歩いていくと、三叉路になった角の北側にある大石順教尼の墓が目に留まった。
ああ、彼女もまたお大師さんの懐に抱かれて、ここに眠っているのか、と感慨もひとしおだった。

私がまだ小学生のころ、というと今から50年も昔になるが、酒が入って赤ら顔で父はよくこの両手首を失った尼さんの話を子供達にしてくれた。
その時父はこの話はおじいさんから聞いたとも言った。
祖父は大阪府警の検事補を努めたこともあるので、あるいは誰からか聞いたのを、自分にすり替えて子供、即ち私の父に話していたのかもしれないし、本当にご用提灯を手に持って現場の探索をしていたのかも知れない。父は子供の頃に聞いた話をオウム返しに私達子供に話してくれたのだろう。

大阪堀江の6人斬りと言う話である。
ストーリーよりもむしろ単語の方が強烈な印象として、記憶に残っている。例えば切り落とされた生首、畳いっぱいの血の海、切り落とされた両腕、恐怖でぶるぶる震えている下女?など。

父が語った講談話はこうである。
ご用だと踏み込んでみると、年若い女が血まみれになってぶるぶるふるえていた。両手がばっさり切り落とされているのである。犯人は罪もないひとを6人も殺傷したわけだから勿論死刑である。
いよいよその時がきて、何か言い残すことはないのかと尋ねられた時、その下手人は最後の一言を残したのであるが、こういうことである。
「丹波栗今実がなって、今落ちると言ったらスパットやっておくんなせい 」
執行人は約束通りにヤッテーという声を合図に刀で首を切り落とした。
その後の結果については何も言わなかったし僕らも何も聞かなかった。子供心には物語はそれで完結していた。明治時代にまだお仕置きとして首を切る斬殺刑があったのかなかったのか、子供心にはそんなことはどうでも良かったのである。

そのたった一人の生き残りの女性・大石よねの墓が今私の目の前にあった。墓前にたたずみながら私は遠いむかしの怖い話をしきりに思いだしていた。


図書館でかりた本は、順教尼・即ち堀江の6人殺傷事件の生き残り、両腕をなくした大石よね自身が書いたものだから、これが当時の様子や彼女が体や心に受けた傷とその癒しについて記述したものとしてはこれが一番正確なものであろう。

大阪の堀江新地でおきた6人斬り事件の概要はこうである
海梅楼で養女になっていた大石よねは、17才の時養父である中川万次郎の狂気の為に両腕を切り落とされた。他の家人5人は凶刃に倒れ皆命を失うという事件が堀江で起きた。犯人万次郎は自首して死刑になったが、原因は万次郎の妻が男を作って出奔して、それに逆上した狂気のあげくの殺傷事件だった。

此の実話はそのストーリーだけでも十分興味をそそるが、それよりもすごいのは、順教尼の生き方が並はずれて立派で、真面目に生きる者に勇気と示唆に富んだ人生の教えを与えていることである。


不条理だとは思うが、神は時として人を選んでハンデキャップを与え、それを乗り越える智慧や力と勇気、聡明さなどを与えて、人間の可能性を目の前に示されることがある
人は此の逆境の見本の様な大石順教尼にどのような思いを抱くだろうか。

現代ではこのような話も風化してしまって、人の口にのぼることはない。
だけれども、彼女はなにがあろうと、まったく意に介さないで、生前のあの、レベルの高い崇高な精神状態を保ちながら この高野山の奥の院墓地で静かに眠っている。

ものが豊かになり、心がやせ細った現代の人々は大石順教尼から何か生き方を学んだら良いと思う

丸山ワクチン

2009年06月15日 | Weblog
丸山ワクチン

1960年代から、80年代にかけて、科学技術は進歩の度合いは、まったく驚嘆に値する。科学技術は人類史上初めて人跡未到の月に、人類の足跡を残すことまで進歩した。ところがこんなに
急速かつ広範囲に進歩した科学技術の力をもってして、なおどうにもならないものの一つに癌がある。

栄養状態や住環境・医療技術をもってしても癌の撲滅は、今なお、人類共通の目標で、世界の大勢の学者や研究者がいろいろ努力しているにもかかわらず、現実には死の病であり、また癌による死亡者の数も多く、死因の中では高い率を示している。

癌は、患者にとっては死に直結する病であるだけに、癌の宣告を受けた患者やその家族は、それこそもしそれが効くといううわさがたてば、ネズミの尿でも飲むように、絶対絶命の状況に追いつめられている訳である。

現在の日本では、医学界ではすんなり認められてはいないが、丸山ワクチンが癌に対して、有効であるということが理論は別として、実証的には認められている。
最近の薬事審議会では、従来通り、癌の治療薬として認めることはできないという結論が出たが、薬学的にどうあろうと、わずかではあるが、丸山ワクチンの効能が、その使用者によって確認されているので、なぜこんな結論が出るのか、と私は、いぶかった。

審議会のこの決定については早速、患者側からクレームがついた。そして、このクレームは当然だと思う。なぜならば、私はなによりも事実を重視したいからである。副作用もなく、生活を破壊することほど高価な薬でもなく、しかも人によっては癌が完治したというケースもあり、少なくともこのワクチンを使用しないより、使用した方が、数は少ないかもしれないが、現実に患者の命を助け、患者の容体を快方に向かわせるケースがあるのだから、現代の医学や薬学では解明できない効用があることを誰も否定はできない。

それを現代の学問体系には合わないから、ボツにする、と言うのは、非科学的態度以外の何物でもないように私には思える。
現代の科学技術をもってしても、解決しない現象へのアプローチの仕方が、現代の学理にかなってないから、といって没にしてしまうのは、あまりにも危険が大きすぎる。なぜならば、現代のレベルによって、当否を判断する際に学理そのものの限界性をはっきり認識されなければならない。現代の医学や薬学のセオリーでは効き目がない、とされている丸山ワクチンは、%は低いが、その有効性が患者によって証明されているからである。たとえ1%の有効性でも良い。99人が死んで、一人だけが残った場合でも、放置しておくと、100人が100人とも死亡することが確実ならば、丸山ワクチンは大いに使用すべきである。

丸山ワクチンを葬り去ろうとした連中よ。君たちはすぐさま、広辞苑を開き、謙虚という言葉の意味を調べなおせ。君たちの確信に満ちた、偏見と独断を自らの体内から追放するために。速やかに、科学者だと胸をはってほこれるように、自己革命をおやりなさい。

あらゆる自然現象に対して、謙虚な態度で研究を続ける人のみが学者の名にふさわしい人なのだ。なぜ君たちの物差しに合わないものを排斥し、受け入れようとしないのか。今の君たちのレベルで、測定できないものは、真実、君たちの結論通りである場合もあるが、将来に、またなければ、解明できないものもある筈だ。そして、君たちは後者を、独断と偏見で否定するという間違いを犯していることに早く気がつきたまえ。









                        


ソマリア沖の海賊対策に関して

2009年06月14日 | Weblog
ソマリア沖の海賊対策に関して

海上自衛隊が派遣された。その際に派遣に反対した連中が、海賊集団の攻撃から身を守るために自衛隊の護衛を頼んだという報道があった。
この報道を聞いたとき、彼らはどういうところから自衛隊派遣反対を主張したのであろうか、首をひねった。
海賊出没については世界各国が海軍を派遣して対策を講じようとするときに、我が国の貨物船が多く通るソマリア海域に船団自衛のために海上自衛隊を派遣するのは当然である。それ以外にどんな方法があるのだろうか。

自衛隊派遣反対というならば、自分たちの船は自分の手で守ればいい。それが出来なくて、いざというときには派遣に反対した自衛隊に警護を依頼するとはどういう理屈からか。幼稚にもほどがある。

自分の国の利害は自分で守らずして一体誰が守ってくれると言うのか。とにかく反対派の考えは現実を無視した非現実無責任そのもので、大人の論理とはなってこない。こんなばかげた反対論にどうして組みできようか。

現実の世の中は勿論世界情勢も含まれるが、現実の原理で動いているのであって、夢や希望で動くわけではない。

ダークサイト

2009年06月13日 | Weblog

ダークサイト

ダークサイトには人間の俗悪な欲望が渦巻いている.人間の俗悪な欲望といえば金と快楽である.それは男側から言えば金と女と言える。

貧困ー人身売買ー強制売春という図式は日本の売春事情の核心をついていた。女性解放運動の原動力ともなってきた。

売春に罪悪の烙印を押すことからは何の解答も導き出せない。 売春はこれからも決してなくなりはしないし、また社会から撲滅すべき罪悪でもない 。私たちは今までも売春が存在する社会に生きてきた。私達はこれからもそこに生きなければならない。
売春とは女を家庭用とエッチ用に分断する制度。
売春反対論者と許容論者 との論争はいつでもここで空回りする。
現実に性を持っている女についての現状認識が真っ向から対立するのだ。代理戦争にも似た堂々をめぐりの応酬が飽きもせずに繰り返されてきた。

シャバの暮らしに疲れた男が、ふとであった一人の娼婦のもとに通って命の選択をして元気になってまたしゃばに戻る


目的は最低限の生活保障ではなく、より豊かな消費生活である。中高生には若くてきれいな肉体という賞味期限つき期間限定の絶対的な価値があり、主婦には人妻=他人の持ち物という永遠不滅の記号的な価値がある


夜明け前に起きてかまどで煮炊きして、たらいで洗濯して、広い家を箒で掃除して、子供を半ダース生んで育てていた時代のことを考えてみれば、現代の妻と娘など王侯貴族の妃と姫みたいなものだ


金を出して買っていたのは女の子の肉体ではなく、家庭という現実とは別世界の恋人というあまりにもまぶしい幻想だった。彼が幻想を買うのはやはり家族など社会的立場の退屈な役割から抜け出すためである。

妻も夫もセックスレスで悩んでいるのに妻はその不満を主婦売春の店て稼ぐことによって解消し、夫はその店の客になる。
家庭の中にあったそれぞれの鬱屈した思いを外に持ち出せば立派な商品となる。

筆者は誰だか忘れたが、言い得て妙の指摘だ。こういう事をうだうだ言いながら、人は枯葉の如く独り、また独りと散っていく。

暗闇で

2009年06月12日 | Weblog
暗闇で


うっとうしい梅雨空のような、倦怠感が吹き飛ばすされた感じだ。
今日私の心は生気がみなぎっている。元気が出ている。気がたかぶっているのだろうか。
もあーっとしたあのけだるさが全くない。心はさわやか一色。
倦怠感がなくなれば、気分がこうまでちゃんとするものか、と感心したのは日中の話。

めったに飲まないコーヒーを飲んだ。濃い緑茶も飲んだ。そのせいか、それとも昼間の元気のせいか、床について4時間にもなるのに、なかなか寝つけない。
いつもは気にならない、腕時計のチッチッチが今日はやけによく聞こえる。よく聞こえるというよりは、いつもより大きな音を立てながら時を刻むようだ。
もう4時。あと30分もたてば夜が白む。床について寝いるまで4時間もかかるとはいったいどういうことだ。電灯を消して真っ暗闇の室内で、目だけきょろきょろさせて漏れてくる街灯の明かりをぼんやり眺めて時をやり過ごす。幾度となく寝返りを打ちながら悶々とする。
だが、頭の中は猛烈なスピードで回転している。3人乗りのボートを買って、それで海に出たらと、先ほどからしきりに考えている。
原則は、てこぎ、だが、ひょっとして船外機をつけたら、かなり沖まで出られるのではなかろうか。まずは防波堤でカサゴを釣るのに使うとしても、穏やかな日を選んで少し沖に出れば、鯛もアジもキスもつることができるだろう。テトラを牛若丸のように飛びわたる危険も無くなってよい。それに手漕ぎのために腕を使い、力を入れてこぐことによってストレスを発散できるように思う。よし、夜が明けたら、釣り道具屋を回っで値段と性能と危険性などを調べてこよう。

さて、ゴムボートをかって、それを使いきるまで、利用できるだろうか。釣りに行かなければ全く無駄になる。それどころか、かさばって保管に困る。きっと女房はぐずぐず言うだろう。そうなったらどうするか、いずれにしても説得力ある理屈を考えなきゃならん。女房っていうものは口うるさいもんだから、まともに相手にしていたら、こちらが疲れる。俺だって自分のしたいことぐらいさせてもらわなきゃ。
えーい。いつもはかわいいいびきなのに、今夜はどうしてこんなに大きいいびきをかくんだ。
女も男からこう思われるようになったらおしまいだ。女の色気のかけらもないよ。本当にうるさいなあ。起こそうか。いやいや昼間の立働きで疲れているのだろう。そのままでいいや。

ところでボートを買ったら、付属品が必要になってくる。いかりがあればある程度重くないと係留の用をなさないが、そうかといって重いいかりを付けると自宅からおりたたんで持っていくボートの重さが倍増して大変だ。海で適当な石を見つけて、それを使い、帰りにはすてればいじゃないか。それ、そうだ。けどもし錘である石が綱から外れたどうしよう。それは考えておく必要がある。もしそうなったときのために、トランシーバーを持っていったらどうだろう。トランシーバーで救助を求めたとき、受信してくれる人が陸上にいなければ役に立たないが、…
トランシーバーより携帯電話を持っていったらよいだろう。先日NTTに聞いたら関西全域はほぼカバーするというから、これなら大丈夫。ところで110番できるのだろうか。海上のことは海上保安庁かも。いや、漁協にコネをつけておけば大丈夫だろう。それにしても大袈裟な。事故を起こしたら、みんなの笑いものになるだろう。
そしたら女房は「だから言わないことじゃないでしょう。魚釣りに使うぐらいのお金を出せばもっと活きのよい高級魚はたくさん買えますよ。それに嫁入り前の娘を抱えて恥ずかしくて。隣の奥さんにも会わす顔がないでしょう。自分のことばかりせずに、もう少しみんなの手前というもの考えたら。一通りのことを言うだけ言うたら口をへの字に結んで、ふてくれることになるだろう。それも困ったことだ。ああ、何をするにも面倒なことが多い、人の世だ。

ところでいったいどうすりゃ眠れるというのだ、我がことが、こんなにままならぬとは。さあ今度こそ何も考えないで目をつぶってみる。いつの間にか寝入ったのだろう。
目が覚めたら子供達は学校へ行ってしまっていた。

金粉現象

2009年06月11日 | Weblog
金粉現象


彼とはバンコクのゲストハウスで出会った。目指すはカンボジア・シエムリアプ、アンコールワット 。陸路でいくか、空路でいくか迷ったが、やはり空路を選んだ。
代理店の話では、陸路ではカンボジアのビザこみで1650から1750バーツだという。飛行機だと、カンボジアエアーが往復で5500バーツ。約1時間の飛行である。
ぎりぎりまで迷ったが空路にした。理由は体が楽だということだ。
陸路だったら、アランヤプラテートまでは列車で行き、国境を超えポイペトに入ってからは、トラックの、荷台に乗ることになる。おまけに、道路状況はいつも変わる。橋が壊れて通れなくなっていたり、道路が冠水して通じなかったり所定時間はあくまで未定で、ベストコンディションのときのことで6時間、運が悪いと10時間以上かかって真夜中になることもあるらしい。
そんな話を耳にしていたので、ワイルドで面白いじゃないかと胸が騒がないでもないが、今回はこれを見送って、彼=陸路、僕は、空路ということに決めた。空路でプノンペン、に入り、そこからボートでシエムリアプに行き、アンコール・ワットで落ち合うことにした。どうせ狭い町のこと、1週間も滞在すれば、どこかで会うだろう、と言って別れた。
滞在中、彼を見かけなかった。ひょっとしたら、予定変更でシエムリアプに来ていないかもしれないし、遺跡の大回りコースを楽しんでいるのかもしれないと思い
僕は僕なりの計画に従って行動した。来る日も来る日も今あせまい町でありながら彼には会わなかった。


バンコクで出会った青年とはシエムリアプで再会しようと約束した。シエムリアプ

滞在中に、彼は現れなかった。ところがプノンペンに行くボートの中で彼と僕とは、隣同士の席になった。 不思議なことでお互いにびっくりした。彼は体調を崩し目が真っ赤になっている。熱があるかみてくれませんか、というので額を触るとかなりの高熱である。
けれども船の中ではどうしようもないから彼に、大した熱ではないよ と言って勇
気づけた。多分疲労だろうとは思ったがマラリアが怖かった。さらに肝炎の恐れだったある。僕は彼に安静にするようにいった。プノンペンに着くとフランス大使館の横にある大きな病院に行くように勧めた。一刻も早く診断を受けた方が良いと思ったからである。
僕たちはキャピトル泊まることにした。翌朝彼の部屋を訪ねて病院の結果を聞いたがなんのことはない、彼は大使館に相談には行ったが病院にはいかなかった。それでも、15時間寝たおかげで体調は基へ戻ったと彼は言った。確かに元気がみなぎっている。そこで彼の部屋で旅の話をすることにした。僕は清水寺とバイヨンの観音様を関連付けて、その不思議を語った。
その話は彼にも不思議だったらしい。ところが、彼にとって1番不思議なことは
ボートでの出会いである。確かにこれも不思議な出来事ではあった。それから僕たちは神とか仏などの神秘な体験を話し出した。こういうことは信じる人には通じるがそうでない人には丸で馬鹿げた話なのである。二人はかなりつっこんだ話をした。勿論個人的な体験談である。その内に彼の肩に金粉が現れた。それは僕が見つけた。彼は自分で見ることが出来なかったので鏡で確認した。彼は金粉現象ははじめてだといったが僕にはよく起きる事だ。こういう話しは僕にはごまんとある。聞きたいというならいくらでも信じられないようなことを教えてあげるよ。僕はこういうことに興味があり40年間のキャリアがある。でも普通誰にも言わないことにしている。誤解を受けるだけだからだ。もしあなたが興味があるのならいくらでも教えてあげる。遠慮なく聞いてくださいと付け加えた。
彼は、出会いの不思議に驚き続いて出会った人からまで経験したことのないような話を聞き、自分の体験したに驚きながらも世界が広がったとを喜んでいた。
僕は、これから彼の、旅の道中でわが身に起こることを、詳細に記録して当然のことと当然ていないことを、区分けするようにアドバイスした。常識で考えられないようなことを、体験した場合にはその場で、自分なりの解決を試みる必要がある。 もし、その、答えが出なかったんならばいつまでも、ペンディングにしておくのがよい。。日突然、思いもよらあることから回答が生まれる場合だってあるから。

それから、僕はバイヨンの話をした。
バイヨンで背中に異様なパワーを感じたこと、金粉現象現象こそ起こらなかった が、バイヨンの、第二回廊の上では体をさすような 強烈なエネルギーを感じたこと、またそのせいで、胸騒ぎがしたことなどを話した。なぜそのような、現象か起こるのか。ぼくにはまったく分からない。だが、結果として、僕がそう感じるのも事実である。このことも正直に、付け加えた。

ひとり旅をして考えたり感じたり、経験したりすることを文章という形で、記録にとどめそれをもとに、エッセイを書くのも、非常に楽しいことであるが 、旅の道連れで出会った人たちとそういう体験を語り合うことも、旅の楽しみの中では大きな喜びとなる。

雑念

2009年06月10日 | Weblog
雑念

歳のせいか、何時に寝ても五時頃には目が覚める。睡眠不足は体に良くない。.睡眠不足になると一日中体がだるい。

変な言いかただが、早朝はすることもないので、般若心経の写経を始めた。

今は便利なもので、二百六十余文字には、下敷きがある。達筆の跡をなぞれば,
[仏説まかはんにゃはらみた心経」から、「ぼうじそわか般若心経]までが約二十分ほどで写せる。
これだったら、お経を空んじていなくても、だれでも写経ができると思い筆をとった。

一巻お写経をするわずか20分ほどの間に、筆は進めながらでも、頭の中はまるで雑念の巣である。

五文字も書かないうちに(なぞらないうちに)とっぴもない思いが急浮上して、次の瞬間に消えていく。
あれーと思う間もない出来事で、また次の五文字を追ってなぞっていると、先ほどとは別の、全く無関係な思いが、入道雲のようにもくもくと浮き上がってくる。
しばらく筆を休めて、その思いにふけろうとすると、急に消え、なくなる事もある。

こんな調子で一体写経をしているといえるのか。
心はどこかへ行ってしまって、ただ指先の運動のみである。これはイカンと反省して、心を写経の文字に固定して、やり直そうと思った。そしてまた筆をとる。写経始めると先程と同じ状態だ。心はどこかへ飛んで行っている。これはいかんと思い直して小休止を入れる。僕の頭の中には日ごろこんなに雑念が渦巻いていたのかと、半ば驚きながら、雑念退治法を考えてみる。
雑念を追い出せば、もっと集中して写経ができるのにと、己の頭をたたきながら筆をとる。ところが先ほどと同じように、また、もろもろの思いが頭の中で乱舞する。

もうだめだ。写経をやめるか、それとも指先の運動だけと割り切って、我慢しようと決めた。しばらく間をおいて、雑念はだれでも生じるものだから、指先運動だけでもいいわと考えて、再び写経を始めよう思った。
雑念よ。どんどんわいてこい。気にしないからと心の中で言ってみる。何回やってもやはり同じことだ。

 僕は写経を一巻完成させるまでに、雑念がいくつ生じるか、数えてメモすることにした。
僕の統計によると、同じ日に写経すると、10-20ぐらい雑念が浮かんでくる。
それをメモすることによって捕まえた。雑念をキーワードにしてエッセーを書いてみる。
そうすれば写経は雑念のゆりかごで、ころあいのテーマがどんどん生まれてきた。思わぬところからエッセーのテーマが得られることになった。これは面白い。

ひょっとしたら写経の功徳かもしれない。いままでのイライラが取れた。雑念を取り去ろうとすると、至難の業である。だとすれば、これを前向きに活用する以外に手はない。僕はいいことに気がついた。雑念を追い出すのではなくて、これを捕まえる事にした。
雑念よ。どんどん湧いてこい。必ず捕まえてやるから。
僕は筆を走らせながら、雑念の沸きあがってくるのを待った。所が先ほどまであんなに去来したものがピタリと止まった。なんだ。コリャ。
いらないときには湧いてきて、要ると思った途端に消えてしまう。
雑念とはなんと不思議な生き物であることよ。ずいぶんと根性悪で、素直でない。皮肉れている。
自分の体内にあって意のままにならない雑念に腹が立った。しかし考えてみるとその根元は、自分の中にある。自分が自分に腹をたてている構図である。これは漫画だ。僕は苦笑した。

般若心経の写経が完成すれば、88の寺に一枚ずつ納めることにした。
本堂のご本尊と大師堂に1枚、合計176枚。精ぜい頑張ろう。

























バーニング・ボデイ

2009年06月09日 | Weblog

バーニング・ボデイ

インド 、バラナシのガンジス川の河岸はヒンズー教の聖地で、全国から大勢の信者が沐浴にやってくる。
そしてまたヒンズー教徒は、この河岸で火葬にされ、骨灰はガンジスの流れに流されて、輪廻転生の輪から離脱できると信じているとのことである。

それはいったいどういうことか。
インドへ行きたいと思った根底には、こんな疑問が横たわっていた。
取材というよりは自分の記録として取っておきたかったのである。

この河岸で行われている火葬については、恐いモノ見たさという好奇心もあって、ガイドブックをしっかり読んだ。
火葬の様子を写真に撮ったり、ビデオに収めたりすることは、厳禁と書いてある。
当然だ。

今生の別れで嘆き悲しむ遺族の心情を思いやることもなく、興味や好奇心の目で、見ることは残酷でさえある。僕はガイドブックの記事に賛成した。

 バラナシで偶然知り合ったインド人は小学校の校長先生で、ガンジス川の火葬や沐浴風景を見て、インド人の宗教観を理解してほしいと言いながら、そこを案内してくれるという。
 日本を出る時には、遺族の心情思いやることが大切だとの思いはあったが、インドのインテリが案内するという言葉に、僕は簡単に便乗した。浅ましいや奴だ。この俺は。後ろめたさを心に残して、ガイド氏の後を、追うようにして、くっついて行った。

ごちゃごちゃしたところを通り抜けて、川下を指して進むと、観覧席のようになっているところへ出た。
 今から始まろうとしている火葬を、腰をおろして見物しようとしていると、ガイド氏は写真やビデオをとってもいいよという。僕はビデオのスイッチを入れて撮り始めた。そうしたら、間髪を入れず、両サイドから上半身裸の、背のたかい男が二人駈け上ってきた。

それ見たことか。やっぱり駄目だろう。次の瞬間、何が起こるのか、胸がどきどきした。ガイド氏は両側の男に10ルピーずつ渡せといった。
僕はポケットから10ルピー紙幣を2枚取り出して、彼らに渡した。
男たちはおしだまったまま、パンツのポケットにねじこんで、下へ降りていった。

 今、僕の前に横たわっているこの老人は人間としての体をなしてはいるが、魂の抜け殻で、単なる物体としか思われない。
しかも、物理的距離はほんの3mも離れてはいないのに、彼と僕のそれぞれの世界は月と地球以上の別々の世界であるという思いがした。

黄色の布で体は覆われているが、頭の部分だけが覆いが取れ、見えていた。彼はおじいさんだった。
ヒンズー教では、どんなお経を唱えるのかは知らないが、僕は思わず、南無阿弥陀仏と口走った。

今、僕の目の前で火葬され、あと2時間もすれば、骨灰となる。この人の一生を僕なりにたどってみた。
彼が生まれた時、両親をはじめ、近親者は男子出生の喜びにわき、彼は周りの誰からも祝福されたことだろう。やがて彼は成長し、結婚し、一家を構え、夫となり、父となって家族の面倒を見て、老いを迎え、死に至ったのだろう。

火葬するには、それなりのお金がかかり、その財力がないと、ここでこうして骨灰にしてガンジスに流してもらえないとのことだから、ひょっとすると、彼は金もうけに一生を費やしたのかもしれない。
インドでは、人の生き方の理想とされる林住期を持たず、おそらく家族と共に、生涯を暮らしてきたはず。
そうして彼は今、近親者によってガンジスの水に流され、清められ、いわゆる解脱しようとしているのである。
今、妻や子供たちが彼を取り囲み、最後の別れに悲しみの涙を流しているのだ。
 
 お釈迦様の言うように、この世は四苦八苦の世界だから、死ぬことによって本当に輪廻転生の輪から抜け出して、常住極楽ならば、それもいいなと思った。

いよいよ作業は始まった。竹で作った担架に乗せられた死体を井桁に組んだ薪の上に移し、ガンジス川の聖水(このきたない濁り水と、僕は思うのだが)を布の上からかけた後で、枯れた井草のような植物を薪の間に差し込み火をつけた。
ほどなく白い煙がもうもうと立ち上がり、ちょろちょろっと炎が紅色の舌をだすが、まだ火は薪に付いてはいない。

 火夫が棒をマキの間に突っ込み、がさがさ掻き回してから、粉のようなものをふりかけると、炎は勢いよく燃えあがった。こんなことを3、4回繰り返しているうちに、火はマキに移り、本格的に燃えだした。
彼を包んでいた黄と朱と金色の布も燃え失せて、黒々と焼けた体が目についた。
そして2時間後、彼は骨灰になって、ガンジス川に流された。
ああ。これで1巻の終りか。これで全てが終わったのか。
僕は目を閉じて、ため息をついた。

薪を井桁にくんで、その上に死体を乗せて、着火して完全に骨灰となったら、すべてガンジス川へ戻すのを、僕は緊張して、体をこわばらせながら、一部始終を見た。
全てが流されたとき、僕はなぜか、ほっとした。
 
 家族は三々五々引きあげたが、僕はそこに座ったまま、いま目の前で繰り広げられた光景をもう一度頭の中で反芻した。

 釈迦はこの世における人間の姿を見て、生きるということは、苦であるというところから出発して、それゆえに生きることを、実のあるものにしようと教えた。
すなわち、この世における人間の現実を支配している原理を発見して、人々がその原理原則を認識することを出発点として、充実した命のあり方や、生き方を説いたのである。釈迦の教えについて勉強したわけでもないので、つまびらかでないにせよ、価値のある生き方やヒントを人類に与えてくれたということは分かる。

 人は果たして輪廻転生するのか。解脱するというが、その世界があるのか。僕にとっては永遠の謎みたいである。だがいずれにせよ、僕も確実にこの道を通る事になる。
そうか。僕の一生もこの通りなんだ。いずれあちら岸に渡らなくてはならない日が来る。そして神のみぞ知る、その日まで、僕はこちら岸にいる。
好むと好まざるにかかわらず、人間として生まれたからには、すべからく、こうなるんだ。そこには例外がない。いったん人として、この世に生まれ落ちると、みな平等にこうなるのだ。

男女間の性交渉に始まって、受胎、出産、成長、成熟、老衰という生命曲線を眺めるとき、いま僕が目の前にしている火葬は、着地したその姿である。
この姿を起点にすると、今からでも遅くはない。赤々と燃えている自分の命をさらに輝かせるために、真剣に生きよう。自分の意に添うようにして、命をもやそう。
いや、もやさなければならないという気になって、僕は自分の命に対する責任感みたいなものを感じた。

生きよう精一杯。羽目を外してでも生きよう。とにかく生きなければ。
僕は心の中に引っかかっていたもやもやを、このわき上がってきた不思議な力によって吹き飛ばした。
そして自分の心が、新鮮な意欲に満ちていることに気がついた。

3方良し

2009年06月08日 | Weblog


三方よしとは

近江商人の商い哲学である。誰が言い出したのか知らないが、おそらくビジネスをする上で、それがビジネスをおこなううえの最上の商売道徳だと悟っていつの間にか、近江商人の間に広まって守られてきたのだろう。

マックス・ウエーバーの「プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の精神」を持ち出すまでもなく、ドラッガーも資本主義の発展には宗教倫理が欠かせないとその必要性を説いた。

資本主義とは金もうけをヨーイドンで始め、人々が自由競争をして、金もうけに狂奔し、死闘を繰り返す経済システムである。その世界では完全に、強者弱者が、生まれ出てしまう。

勝者は金に飽かせてこの世の贅沢を味わい、極楽を味わうのに比べて、敗者は明日の食べ物にも事欠くようになる。100人が競争すれば1番から、100番まで生まれるのは当たり前の話である。
そして100番は生存も許されない状況に追い込まれる。資本主義がいかによい経済システムとだとしても、競争に負けた人は生存も許されないような状況があると言うのは、資本主義に内蔵される矛盾である。この矛盾を回避するために、経済化のリーダーは、人間としての大いなる智慧を使う必要がある。

このような資本主義の矛盾を解決する一助になるのが
近江商人の「三方よし」の哲学である。三方よしの精神こそが
資本主義の基本的な哲学でなければならない。
すなわち、どのようなビジネスであっても、売り手と買い手それに加えて社会の3者の満足が得られなければ、それは永続性のあるビジネスではありえないということを肝に銘じて経済活動をすることであり、その暴走をチエックするのが宗教倫理であり、政治なのである。。

こういう考え方に照らし合わせて考えてみると、今回のアメリカの金融界を震源とする金融危機は詰まるところ三方良しの精神から大きくかけ離れたビジネスの営みが原因であった。そして、この影響は全世界に広がって悪影響を及ぼした。つまり人々の安定した幸せを奪ったのだ。

我々は資本主義が発生してから、幾度となく資本主義の矛盾の露呈に遭遇し、修正資本主義の考え方を取り入れた。しかし悲しいかな

金銭に固執するという人間の本能にまで染み込んだ感覚は、
経営者はもちろんのこと、労働者も、株主も社会も、満足させるものでなければ、成り立たないという鉄則を忘れさせる。

特に、経営者は、労働者はもちろんであるが、社会に対しても、社会的責任というものを果たさなければならない。ということを肝に銘じて、経営に当たってほしい。

今回のアメリカ政府のやり方は、まさに弱肉強食の経済政策をとって、三方良しの精神を忘れていた。いや欠落させていた。その結果不平等の拡大という社会現象を生み出した。
こういう矛盾を修正しつつ、経済活動を進めるとすれば、そこには、倫理観と、政治の二つが重要な役割を果たす。これをなおざりにしては、まともな経済発展は望めないだろう。この危機を反面教師にして全世界的規模で今回の愚かさを再度くり返さない事を確認して、三方良しの精神に立ち返ってほしいものだ。





















ある顕彰碑

2009年06月07日 | Weblog
    ある顕彰碑


久しぶりに新幹線に乗った。車内の静かさ、室内の快適な温度調節、さらに250kmから300kmのスピードの快適さ。

このシステムを作り上げた人たちや、蓄積された日本の鉄道技術のノウハウや、システムの素晴らしさを、思わずにはいられない。

,無事故 安全 快適 正確 がセールスポイントになるのは当然だろうが、驚くことに、新幹線は1964年、開業以来、40年余りにわたり、無事故である。
日本の鉄道技術の素晴らしさは世界に誇るべきものだとつくづく思う。

話は変わるが、思い出すことがある。

大阪の再開発で、大規模おそらく、最後になるだろうと思われるのが、大阪駅北側にある貨物列車操作場だ。再開発の波は避けようもないが、この顕彰碑の存在と、そこに記された話は、これからも多くの人の心に、刻まれることになってほしい。

もう20年以上も前の話だが、私はこのあたりをぶらぶら歩いていて偶然に、この顕彰碑と碑文を発見した。たまたま通り掛かりに、僕が偶然発見したもので、ここに顕彰碑があると知って訪ねたものではなかった。
ここにこのような顕彰碑があるということは、大きく報じられた記憶もないから、偶然見つけたとしか言いようがない。しかし、僕はその碑文を読んで、感動しないわけにはいかなかった。

俗に、北ヤードと言われるところに、再開発のスケールから考えて見ると、小さな顕彰碑は、邪魔になって、どこかの隅っこに追いやられていることだろう。、しかし、時代がどのように変わっても、この話は伝えておきたいという思いから、僕はこの文章を書く気になった。
大阪駅と、ヨドバシカメラの間の道を西へ行くと、貨物線が、道路を横切る所があり、その手前に、日本通運の社屋がある。
このあたりも、大きく変貌して高速道路などが出来ているので、どの辺にあったか。
目当ての石造の顕彰の碑はいくら捜しても、どこにあるのか、わからなくなってしまった。


おぼろげながらの記憶をたどって、顕彰碑の内容を思い出してみると、それは次のような話である。

大阪駅ができて、どのくらいの時が経った時に発生した事故の話なのか忘れたが、ある日、子供が列車に轢かれそうになった。その時、子供を助けようとした踏切番が、身代わりになって殉職したという話である。

この殉職の話がどこからどう伝わったのかは知らないが、結果的には顕彰碑と、由来を記した碑文となって残った。

この碑を建てたのは、当時の国鉄総裁 十河信二さんと、大阪商工会議所会頭の杉道助さんだったと記憶している。インターネットで調べてみると十河さんと杉さんについては次のように書かれている。
十河さんについて調べると、
十河信二は第4代国鉄総裁として新幹線計画にGoを出した人物である。新幹線計画は国鉄内部にも反対論が根強かったが、当時の十河総裁の決断により進められることとなった。この人物がいなければ今日の新幹線の姿はなかったことになる。ただし、1964年10月の新幹線開業時、既に国鉄総裁の職を解かれていた十河信二は記念式典には呼ばれなかった。 そして開業の年の暮れに亡くなっている。

杉さんについての記述は
関経連の『外史』は、杉の会頭就任を満場一致で決め、本人の承諾を求めにお歴々が杉を訪ねたが、杉は散歩に出てどこにもいなかったと、飄々たる杉の態度を示す逸話を紹介している。維新の元勲、西郷隆盛の大きさを連想させる話である。

彼は昭和21年に大阪商工会議所の第16代会頭に就任、以後35年までの5期14年、戦後の関西経済復興をリード、「五代友厚の再来」(『大阪商工会議所百年史』)と称される偉大なリーダーだった。吉田松陰の甥であることを誇りにしていたというが、財界リーダーとしての足跡は、今も関西の至る所に見聞することが出来る。

 安岡正篤著『東洋人物学』に、幕末の志士、真木和泉の一文が引用されている。
「此にいふ才は斡旋の才といふて人事をなす才なり。いかばかり善き人にても、いか程の徳ありても、人として此斡旋の才なきものは世の用にたつことなく無用物なり。たとひ無学にても此斡旋の才あるものは何事にあたりても功をなし用立つなり」
これを引用し、安岡氏は次のような解説を加える。
 「斡旋とはどこからくるかというと、これはやはり情からくる、仁からくる、慈悲、愛情からくるのです。人を愛するがゆえに、その人のためによかれしと、いろいろ世話をする、面倒をみる。事を愛するからして、その事のために何くれと取り計らう、それを斡旋という。人間が利己的であると、この斡旋ができない。少々頭が悪くても、少々不細工でも、知だの才だのがなくても、その志、誠、愛情、あるいは徳というものがあれば、斡旋はできる。これはなかなかの才能人、知恵、才覚の人よりずっと世の役に立つ。人の用をなす」
 もちろん杉翁に知も才もなかったわけではない。だだ杉翁ご自身の自己分析の言葉と、安岡氏のこの一文が余りにも近くにあり驚かされる。かたや吉田松陰の甥、そして安岡氏は松陰を最も尊敬する日本人の1人として研究された方。2人の間に赤き糸が結ばれていたのかも知れない。
 関西・大阪のリーダー達が学ぶべき歴史は、古き時代ではなくとも、つい目の前にあったのだ。
第二十九回 「人物論-2」より引用

話を元に戻すと、
こういうことは、末端の小さな殉職事故として、見逃されがちである。僕は、この話を知ったとき、二人のリーダーは、この事故を重く受け止めて、殉職者のプロ意識と責任感をほめたたえ、同時に、敬意を表して顕彰し、後世のために、顕彰碑を建てたものだと思った。

子供の命を救うために、我が命を捧げる。これこそ、プロ魂ではないか。しかるにこの
犠牲的行為は、単なる不幸な事故として葬りさらわれても、何ら不思議ではない時代の出来事だ。

そして僕が思うに、これは踏切番氏の人間的な職業的な行為の中で、彼は何の計算もなく、犠牲になったはずだ。いや犠牲などという意識は毛頭無かったはずである。
危ない。救わなければ。ただ、その一念しかなかったことだろう。

今でも、JR関係者以外でこの顕彰碑のことを知る人は少ないのではないか。

鉄道には事故は付き物だ。いくら安全を旨としても、すべては人間のすること。最小限に、事故を抑えるようにしても、絶無ということは言えない。いや、ありえない。

とはいえ、冒頭で書いたように、新幹線の安全性快適性は昭和39年、開業以来、今日まで列車事故は、ただの1回もなく、これは驚異的なことだという思いが強くなる。

そしてそれを支えているのが、鉄道事業者のプロ意識、社会的使命感と責任感である。

新幹線を代表にして、日本の鉄道事業に、携わる、人々の思いを含めて、日本の鉄道の安全性と時刻の正確さや快適さはおそらく世界一だろう。これは日本人の技術力とその国民性を示すものとして誇りに思う。

殉職者の悲しくも、責任感あふれる崇高な行い。それを見逃さないで顕彰する二人のリーダーの目配りと思いやりの素晴らしさ。
今は薄れたけど、日本のリーダーの中には、日本人としてのプライドや心根の中にはかくも、暖かい血が流れている事を教えてくれるのだ。

どのように、時代の波が押し寄せるようとも、顕彰碑とともに、日本人魂として、忘れてほしくない出来事である。

北ヤードの開発についても、開発の波の大きさに比べるとごく小さな顕彰碑ではあるが、ここに盛られた、精神だけは、決して忘れないでほしい。 僕は今そう願う。


















   

人は孤独である

2009年06月06日 | Weblog

人は孤独である。

一人で生まれてきて、一人で死んで行く。どこからやってきて、どこへ行くやらわからない。

家族や友人は、孤独を忘れさせてくれたり、紛らせたりするが、それはあくまでまやかしでで、孤独をごまかすする1手段したにすぎない。

人は、ただ一人で自分の人生や命を味わって生きて行くほかはない。

こういう理屈を知った賢者の中には、山に隠棲し、読書三昧。趣味三昧に生きた人も多い。

大師信仰には、ありがたいことに、弘法大師と一緒という信仰がある。同行二人がそれである。あの大天才の大師と同行二人で人生を渡って行くという、力強い信仰である。

遍路はその最たるもので、杖が、大師だともいわれているくらいだ。

現実には生身の姿の大師は無いが、各人は心の中に、大師を抱いて、いつも同行二人を確かめながら四国88カ所を渡って、行くわけである。

これが易しいようで難しい。全国民が賛同するというわけにはいかないのだ。ご縁のある人だけが、言い換えれば、自分が発心して大師を求めたのか。それとも大師に導かれたのか、招かれたのか、知らないが、遍路するということになっている。

その数、1年間に30万人とも聞く。老若男女を問わず、己の命や人生を、眺めたとき、人生の無常や孤独に突き当たり、そこで人は考えるのだろう。

遍路でもしてみようか。何か得られるかもしれない。でもそう考えるのは少数であり、その極く少数の中の少数が遍路に出ることになる。

淫行も均等で

2009年06月05日 | Weblog

 

淫行も均等で

 二五歳の女性が一八歳の少年に、性的交渉を迫り、その少年を追いかけ回して、警察に捕まり送検されたと言う世間の常識とはまるで反対の事件が起こった。蛙が蛇を飲み込んだ類いで面白い。
時として人間社会では面白い事が起こる。
 私は何故こんなことが起こるのか、神様にお願いかたがた、聞いてみることにした。
「神様。女が男を追いかけ回して、性交渉を強要するという、面白い事件が起こりました。神様が人間に授けなさった性エネルギーの発現形態は、男は能動的で、女は受け身だとばかり思って参りました。
が、今回の事件をみる限り、男女平等です。
神様。よくぞ、このことを今度の事件でお示しくださいました。何でも平等平等と言う御時世、それも結構でございます。
 そして願わくは、たとえ十年間だけでも、結構でございます。性エネルギーの発現形態を逆にひっくりかえして、つまり、女が能動、男が受動と言う形にはしてもらえますまいか。
そうすると世の中の有り様が、様変わりするのではないかと思います。
我々男には手出しができると言う特権がありますが、時としてそれは手負い傷となって、心はうずきます。
 能動的に、積極的にモーションをかけると言うのも、気分の良いことばかりではありません。特に小生の様な、この面にかけてはドジな男は、自分で手だしするよりも、むしろ先方から、モーションを掛けられる方が気が楽です。
気にいればうけりゃいいし、気に入らなきゃ
ノーサインをだせば良いと言うのは気楽なもんですぜ。 それに自分のモテ具合が分かるのも、自分自身を客観的に眺め、評価する上で、必要な事だと思います。
それよりも神さん。なんでっせ。
現代の社会は男と女の現状に合わせて、何事もフィックスされているから、逆の行動パターンになると、いろんなところで、チグハグがでて来て面白いじゃないですか。
 ええ?何ですか?。お前は暇人じゃと。
仰せの通りです。
齢も五十を越えると、普通ならば第一線を退かなきゃならん年代。
どちらを向いても、楽しい事などありゃしませんよ。金をかけた子供は巣立つわ、住宅ローンの支払いはまだ残っているわ、それにくわえて、自分たちの老後の生活に向けて、なにがしかの準備をせにゃならんわ、それはそれは、ほとほと疲れます。
 その上、心ときめく様な事が、日常生活の上に起こってくるかと言えばそんな事一つもおこりっこない。
 せめて世の中をひっくりかえしてみて、何か面白いものはないかと探すぐらいがオチです。
立場が逆になると言うのは、逆転の発想にもなり、新鮮な気分にもなること必定。中々面白いとはおもいませんか。
 神様は私と違って、この位のことをするのは、朝飯前の筈。
一度いたずらにやってみられたら如何です。














クリシュナ神

2009年06月04日 | Weblog
               クリシュナ神

 日本では、仏像は見えても、神像はめったにお目にかかることはない。というより神像は仏像のように数多くは存在しない。
 僕がお目に掛かったのは、神仏習合時代の東大寺の僧形八幡神像くらいのもので、普通ご神体は鏡であったり、剣であったり、山や、岩であったり、自然の大木であったりして、像にお目にかかるチャンスはほとんどない。

ところがである。クリシュナという神様に、これからご対面できるというのである。僕は期待した。
 一般にアジアにおける神像は僕が見た限り、日本のそれに比べて作りが軽い。つまりおっちょこちょいなのである。少なくとも手を合わせて拝む対象であるならば、もう少し荘重で、威厳があり、荘厳な趣が必要ではないか。
 
 ボダガヤのマハーボーテイ寺院で見たお釈迦さんだって、軽い作りだった。
あんな偉大なお釈迦さんを軽く作ってどうする。見たり、飾ったりしておくならば別、少なくとも拝む対象であるからにはそれにふさわしい格調や貫禄が必要であると僕は思う。
 これは文化の違いだと割り切って納得した。こう解釈することによって、自分が拝む対象にしたかったのだ。
 
 いよいよご開帳がはじまった。ざわついていた場内は、水を打ったように静まり返った。 神殿即ち、舞台の袖にいた人が綱をひっぱると、カーテンがあいて神様が姿を現した。見たとたん、僕は空いた口が塞がらないだけでなく、キョトンとした。「なーんだ。これ。へえ、これが、、」
一瞬僕は我が目を疑った。「これが神様か。へえ、。」
 
 身の丈、70から80センチくらいの大きさの、人形がたっているのである。全身はまっくろで、漆塗りか、黒光りしている。ちょっと目には、大きめの黒猫そっくりで、おまけに真っ赤な舌をベローと出している。

 そのうえ、首にはよだれ掛けをしている。 これじゃ猫のお化けじゃないか。僕は失望した。いや呆れた。僕はこの猫のお化けの神像に見とれてはいたが、静まり帰った場内には突然地上から吹き上げるような、大きな歓声が沸き起こった。いっせいに祝詞を唱えるのか、むにゃむにゃいう人、手をあわす人、歓声を出す人。それが歓声の源だった。
 
 そして次には大きな拍手が起こった。なにごとかと思ったらツアーのメンバーの一人が
かなり多額の寄付をしたようだ。拍手は寄付した本人に向けられていた。
 
次いで、紐が引っ張られて黒猫のお化けが、そろりそろりと前へ出て来た。じっと見つめている人。合掌して祈る人、真剣な眼差しからは、光のようなエネルギーの放射さえ感じられる。
へえ、これがインドの神様か。僕は改めて神様をまじまじと見つめた。

 ものの10分も経たないうちに、クリシュナ神は紐に引かれて後ずさりを始めて、カーテンの位置から、中に入ると、カーテンも引かれて舞台は閉じてすべては終わった。
クリシュナ神は元の座に鎮座したのである。
日本流の仏像を見慣れてる僕はインドのみならず、東南アジアの荘重さを欠く釈迦像には、なにか物足りなさと違和感を感じて来た。ところが、このクリシュナ神には徹底的に驚いた。いやもう違い過ぎて嫌気が差し、更にこんな姿の神を拝み、うつつを抜かすインド人の信仰に腹が立・ 驚てきた。

 本家本元よりも、それを伝えられて自分なりのものにしている日本の方が余程宗教的雰囲気を持つ像を造り、もっと静かにおがんでいるじゃないか。陽気なのは良い、賑やかなのもいよい。が、像はあくまで礼拝の対象物である。黒猫のお化けみたいなふざけた神様など拝む気がしない。

 僕は今行動を共にしているインド人とクリシュナ神を共有しているのだが、心の中は全く空々しい。完全に一人だけ浮き上がっている。ついていけないのだ。
 メッカの方を向いて1日に何回も頭を地面にすり付けて拝むイスラム教にも違和感を感じるが、このインドの宗教も到底受け入れることは出来ない。
 
 先ほどからインド人の神に対する想いが色々な形を取って表現されているのをこの目で見てはいるが、我々日本人のそれとは大凡かけ離れたものである。
ただ、人々の神への想いは日本人のそれと比べて、大仰に表現されるので篤い想いだけは伝わってくる。

 一体礼拝などというものは、心を静めて、出来る限り落ち着いた状態の心をもって、神様を静かに拝んでこそ、礼拝したことになる。心を騒がせて、興奮状態の心で、果たして心のこもるお祈りが出来るのか。僕は率直にそう思った。

 バスに戻ってからも、人々の興奮はさめやらないのだろう、席をたって大勢の人が興奮気味に話している。
違うな、確かに違うな。深いところまでは分からないが、日本とインドは神様1つをとってみても大きな違いがあることを僕はしっかり心に刻み込みながらつぶやいた。 

 勿論インドにはカーリー神やクリシュナ神しかいないわけではない。インドにおわす八百万の神々総てがこうだとは思わないが、今でも鮮明な記憶として残っているのを見るとやはり余程大きな違和感だったんだろう。

 インドは貧しい国だ。だが民衆の神に対する想いは熱狂的なものがある。現世が貧しく苦しいから人々は熱狂的に神を求めるのか、それとも来世の幸福を求めて熱狂的になるのか、その辺の所は分からないが、いずれにせよ、日本とは大分違うなという感じが残った。


インドは確かヒンドゥー教が多いところですよね。ヒンドゥーにはありとあらゆる多くの神がいると聞きましたが、猫のお化けのような神さまもいるなんていうのには驚きです。


インドって不可思議なところです。マハーバーラタ=インドは神秘の国と言うらしいが、理解を超えたところだと実感しました

インドといえばガンジス川。ガンジス川には入浴している人、洗濯している人、排泄している人が同時にいるようですが、あの人たちの健康に害はないのでしょうか?少々疑問です。ガンジス川を生活に利用している人々には、私たち日本人にはない抗体が存在するのでしょうか?

写真にはよくでてますね。僕はガンジス川に入ってきました。とにかく汚いです。さすがの僕もあの群れの中にははいれないでもっと上流で人の少ないところでした。夏のせいで水温は生暖かいが流れは底のほうはかなり急です。それと火葬を見たが、だから生きている今を大切にということを強く感じました。輪廻転生について真剣に考えました


やっぱりガンジス川は汚いのですね^^;それと、葬儀について、確か灰を流すそうですが、そういうのを見ると生に対して考えざるを得ないでしょうね。ところで、mp3ってなんですか???現代文明に疎くてすみませんーー;

川岸で死者の火葬をするのです。バーニングボデイです。2時間かかりますね。それでも足首などは焼け残る時があるがそれも直ぐ横の川に流します。死体も流れてきますよ。ガンジンスは解脱すると考えられているからここで骨灰を流せば最高なんです。mp3今はやりの音楽フアイルの形式です。アイポットなどのハードデイスクに入れて聞きます。曲フアイルだが あなたのパソコンに送りあなたはそれを聞くことができるのです


ガンジスは汚くて沐浴するには勇気がいります。汚物を流し排泄をする、死体も流れてくる。不潔と言えばこれ以上はない。肥壺に飛び込むような気がしますよ


うう・・。やっぱり汚いのですね。インドにはたくさん有能な方がいらっしゃる一方でこうして発展途上のような部分が残っていること、ちょっとズレを感じます。やはり宗教の影響が大きいからでしょうか。


インドにはクリシュナと名がつく瞑想指導者、真理探求者とか多いんですよね。クリシュナ神になぞって名前をつけていたんですね。知らなかったなあ、勉強になりました。あまり多いと誰がだれだかわからなくなるよね


インドの神は化身するのでまたわからなくなる。クリシュナの生誕地マツーラへいったが夜だったので、よくわからなかった。だいたい化身という言葉の中身がわかっていないから言葉だけの理解になり、応用が利きません


色眼鏡

2009年06月03日 | Weblog
色眼鏡

眼鏡を外してから本物が見えた。空は青い。空は灰色とばかり思っていたのに、やはり自然は本物なのだ。

人工的なものは模倣作品を作りえても、自然の調和そのものまでには到達しえないのに、私は自分自身の中にある一つの大きな色眼鏡で、それを通してしか、ものが見えない。

突然といっても、仲間うちでは話があったのだろうが、総裁選挙で、次期総理大臣になると思われた現職の総理大臣が、今回限りで止めると言いだした。

そしたら、ある人は、「引き際がよく、立派だ」と称賛した。

ある人は、「問題を先送りして、にっちもさっちも行かなくなってきたから、今のうちにやめた方が得と踏んだのさ」といささか冷淡に言った。

またある人は、「よしんば次期総理になっても、とても自分の力ではいかんとも仕方がない派閥力学に動かされるだけで、顕著な業績を上げることは期待できないから辞めるんだ。」と分かったようなことを言った。
そのうちどれが真実なのか。おそらく、どれも1部分は、真実で、また1部分は外れているのだろう。

一つの現象について、人々は各各の立場からものを見て、それがあたかも正解であるかのごとく、信じて結論を出す。

真実は何か。それを見抜くことは容易なことではない。なぜなら、人々は主観という色眼鏡をいつもかけているから、