渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

雨あがる

2024年10月05日 | open



雨あがる。
外に出るとするか。
馬曳け!で。


というか、武士は右手では傘
は持ちません。
盃も右手では持たない。
この映画、良作なのだが時代
考証が甘すぎる。
現代居合の人から指導を受け
たから刀の下げ緒の端を結束
して
いるし、ひどいのは襲っ
て来
た連中が全員現代昭和新
流の
夢想神伝流方式に下げ緒
を前
垂らしの右結束にしてい
る。

武士がいた時代にはあり得な
い。
そういうのは徳川家康がスマ
ホを使っているような事なの
で、時代劇映像作品ではやっ
てはいけ
ない絶対禁忌だ。
鞍馬天狗が1950年代のコルト
を使っていたりとかね。
幕末に坂本龍馬が1973年採用
1975年から市販のコルトSAA
を使っている出鱈目映画も
多かったりする。
西部開拓時代の西部劇で電気
自動車に乗って移動していた
らおかしいように、そうした
時代を錯誤させた安直な造り
の邦画時代劇は撮ってはなら
ない。
うっかり八兵衛が「ご隠居
あいつらグルですぜ」と言っ
たりとかの類。
既婚女性役女性全員お歯黒に
せよとまでは言いたくはない
が、登場するアイテムについ
ては絶対事項がある。
それは「その時代には地球上
に存在しなかった物、仕様」
を絶対に時代劇には登場させ
ない事だ。
源平合戦の頃に槍が武士の武
器として出て来たりとかもそ
うだ。
歴史事実を変更するアイテム
は時代物には登場させては
ならない。
時代劇はSFではないからだ。

そのあたりにシビアさを欠く
作品は、どんなに出来が良い
作であろうとも、駄作となる。
だが、手法により、時代性を
鑑賞者において錯乱させる
技法もある。思い込ませるよ
うな演出手腕がそれを成す。
そのあたりはクロサワは巧か
った。

あとさぁ。

時代劇の映画やドラマで、よ
く神社の鳥居をど真ん中から
通る人たちが多いけど、あれ
あかんやつ。
日本の伝統文化を蔑ろにして
いる。
こんな事、着帽したまま店の
店内で食事していい気になっ
てる現代日本人に言っても詮
無き
事だけどさ。
だが、映像発信者がそれやっ

たらあかんやろ、て奴。
映画やドラマやYouTubeで。
着帽食事などは、土足をテー
ブルの上に投げ出して食事し
ているようなものだ。
まあ、躾を一切親からも教師
からも受けていない人間たち
がやっているのだろうけど。
ただ、「お前本当に日本人?」
てなのはある。


 

 
 
 

 
 
 

 


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