【木村さ〜〜ん!】木村拓哉
「剣道」企画始動!
自分だけの竹刀作り
いいね~。
オリジナル竹刀作り。
キムタク企画シリーズには
ビリヤードやサバゲもある。
ジレットストリームは人に
キレイな心の世界を運ぶ。
チルドレンでなく大人にホ
ントに心地よさをもたらし
て、静かな旅へと誘うサウ
ンドの世界。
ちょっとした搭乗の窓からサ
ンセットを眺めながら聴く。
うっとりとするようなそれは
ぜいたくこの上ない時間だ。
エモーショナルとはこの事。
広く果てしない世界の一部。
島も海も空も一望に見渡す
のは機上からが格別だ。
だれもが味わえるが、だれ
にでも味わえるのではない。
もっと、遥か向こうはどん
な世界なのか。それは未知。
美しく悲しい物語。
最高視聴率が47.1%だった
2000年放送のドラマだ。
北川悦吏子、よい本を書く。
このドラマによって「バリ
アフリー」という言葉が一
般に広まったという事実が
ある。
また、バイクについて、そ
れまで主流だったロードモ
デルではないトラッカーの
シティ仕様がクローズアッ
プされた。
ただ、ネット評などでは、
このドラマによりバイクが
初めてアウトドアではなく
市街地で乗るカッコ良さを
アピールして、街中をバイ
クで走る事が新しいスタイ
ルとして広まった、という
旨の記載がかなり多い。
これは明かに間違いである。
それは1980年代の劇画『あ
いつとララバイ』が現実的
に実在した社会世相を背景
にしていたという日本の歴
史に無知すぎる事に起因す
る誤謬だろう。バイクの街
乗りは当たり前だった。
「ほんの今の世代」、換言
すれば現代若者に多い「歴
史を見ず、目の前しか見ら
れない」という知見の低さ
に規定された認識で文章を
書いているのが見えすぎる。
誰が言おうと、世の中間違
いは間違い。
シティトラッカーというコ
ンセプトバイク登場以前に、
日本国内では市街地をバイ
クで走行するのはごくごく
あたり前にあった。
とりわけ東京や大阪などの
都会では街中をバイクで走
るのなどは「日常」だ。
つまり、バイクライフ=ア
ーバンライフであるから、
市街地は移動手段としてバ
イクで行くならば、当然全
員が市外地を走るのである。
もしかすると、バイクで走
るのは山野や海沿いなどの
郊外外出のみ、ツーリング
のみというような、ネット
で間違ったバイク史観を語
る人たちは、目の前しか見
えない若年層であるだけで
なく、「都心部」とは縁が
薄い「街」ではない「町」
が馴染みの世界観の広さの
人たちなのかも知れない。
歴史性だけでなく、実態と
して市街地でのオートバイ
使用という事に現実味が湧
かない層の人々で間違いな
いだろう。
妙な事に気づいた。
キムタク本人が乗っている
としたら、後年のハーレー
乗りの役の時とはまるで違
って、とても「乗れている」
人なのだ。
走行シーンがスタントマン
の吹き替えではないとした
ら。
マシンは196ccとはいえ、
手玉のように扱っている。
コーナリングでもきちんと
トラクションを得るとても
良い走りを見せる。しかも
かなりバンクさせて、かつ
上半身はぶれず軸線を保っ
て。
走行シーン吹き替えでない
ならばキムタクは実は相当
な乗り手。
なぜ19年後のハーレーの時
にあんなド素人のようなド
下手乗りになったのか不思
議だ。
いや、顔似せメイクのスタ
ントマン吹き替えでしょ~?
ウマすぎるから(笑
本作品は、あくまで作り物
のドラマとは分かってはい
ても、ラストに近づく程に
胸を打つ。
それは、第3話あたりから
主人公のふたりのナレーシ
ョンが回想形式によって交
互に語られるあたりから、
すでに結末の悲劇を予感さ
せる。
多くの人が泣いた。
イエローナンバーの原付ス
クーターの色を塗るにあた
り、ふと思いついた。
全くの別色配色にするので
はなく、ヤマハオリジナル
の雰囲気を残しつつ別カラ
ーにするというのもありか
なと思った。
赤色部分のみをマツダのレ
ッドにする。
別にマツダが好きでもマツ
ダカラーを採用した広島カ
ープが好きな訳でもないの
だが。
マツダのレッドは実際に見
てみると極めて美しい。
ソウルレッドクリスタルメ
タリック(色番46V)。
46Vを赤部分に塗装する。
いけるかもしれない。
クランク側のベアリングと
シールは交換しているが、
リア側のベアリングを全て
交換する予定。
同時にフロントホイールの
ベアリングとエンジンマウ
ントスペーサ本体も交換す
る。予定。
段階的にやるかビッグボア
化の時に同時にやるかは未
定。
俺も普段「捏造」を「ねつぞ
う」とか読んでるけど、本当
は「でつぞう」が正しい日本
語なんだよね(笑
その手は世の中沢山ある。
「情緒」もその一つだ。
これは「じょうしょ」が正し
い日本語だ。
ニセモノが本物のように広ま
って定着してしまう。
こわいですね~。
ただ、麻生元総理が「未曾有」
を「みぞうゆう」と言ったの
は間違いだし、安倍元総理が
野党への返しとしてヒステリ
ックに「云々」を「でんでん」
と何度も言ったのは完全に間
違いであると思う。
何か意味を含めてあえてわざ
と言ったのでないならば。
1968年の東京での一日
ドキュメンタリー
このNHKのスタジオクレーン
は、私の父が開発した製品だ。
この製品が使い易いとの事で、
1990年代末期においてもまだ
使われていた。
ご近所さんが持ってきたレッツ2
の修理(リメイク)
このクランク洗浄法、昔、
一般公道車でやってたわ~。
チームのちょい乗り移動用
のパッソルとかで。
うちの場合はガソリンでは
なく灯油を使っていたけど。
気の利いたケミカルなども
1970年代には無かったので、
キャブ洗浄も灯油を使って
いた。
レースの世界では、メーカ
ー系以外は別段整備士免許
などはマシンをいじる人は
持っていない。ジャンルの
目的が異なるからだ。免許
などは必要ない。バイク屋
じゃないのだから。
そして、きちんとやる事を
やれる人は当然ながらきち
んとマシンを整備する。
この動画のレースをやって
いる人のように。
特殊作戦用「カワサキ」ミニ
バイク:極限の環境での展開
米軍は全幅の信頼を置いて
カワサキの原付モトクロッ
サーKLX110を特殊作戦に使
用している。
こうした運用自体は第二次
大戦中の英軍の空挺投下の
ウエルバイクにもみられた。
コンパクトでタフネス。
カワサキは求められる要求
に応えている。
大阪マラソン2025
30km折り返し地点
折り返し間違い
大阪マラソン2025の30km
地点の折り返し間違いの原
因について、主催者が公式
説明をし、謝罪した。
ただ一人、先導をしていた
白バイ隊員のうちの一名の
みが正規ルートで折り返し
先導をしたが、他は白バイ
の別の者含めて全員折返点
の表示を見落として奥まで
進んで折り返し、30メート
ル程長い距離を走行してし
まった。
トップ集団の選手の全員が
折返点を誤ったルートで走
ってしまったのだ。
白バイ隊員は2024年白バイ
全国大会団体入賞チームの
選手のコンビだった。
正しい判断をして先導誘導
した白バイ隊員はきちんと
正規ルートで折り返してい
る。
誤先導した一名は今後厳し
い警察内部の査察がある事
だろう。
決められた進路を間違えて
白線越えなどした場合、運
転免許証試験では即不合格
だ。
また、今回の行為は再試験
などは無い。選手たちにと
っては一発一発が極めて大
切なレースだ。免許のよう
にやり直しなどはできない。
白バイ隊員の先導ミスによ
って選手が間違ったコース
を走ってしまうなどという
事態は絶対にあってはなら
ない。
あの場面で、報道車が先に
行こうとも、白バイ2台両
方がきちんと折返点を守っ
て転回していれば、トップ
集団の選手たちはついてき
た筈だ。
また、誤先導の白バイ隊員
は、大きな公式マラソン大
会の先導という極めて重大
な任務において致命的な過
ちを犯した。
これは事実だ。重大な過誤。
だが、警察の事なので、身
内かばいでまたなんのお咎
めも無し、になるかもしれ
ない。そういう体質が強い
組織だし。
ただ、あたりまえに正しい
先導をした白バイ隊員に先
頭集団の選手が全員従わな
かったのは、これは大会運
営者のコーン置き忘れがあ
ったとはいえ、ちゃんと折
返点と大きく明記したポイ
ント標識があるので、それ
に従わなかった選手たちの
責任だ。
単にコーンの置き忘れと原
因を早計に断定せず、真因
を徹底的に明らかにして、
二度と間違わない措置と取
り組みと関係者の人選と徹
底した事前確認が望まれる。
とんでもない加速をするアプリオ
納車しました【モトブログ】
何度観ても楽しい。
こういう2ストスクーターが
ほしい。
というか、こういう風味に
仕上げたい。

歌った。
菊池桃子の人気は異様な盛り
上がりだった。まさに別格。
ただの元アイドルではなく、
福祉教育や環境の重要性を説
き、マイノリティ排除をしな
い社会作りのポリシーを持つ
社会意識も高い大学の先生。

たぁ~いへん!
先頭集団が選手自身が進路
を見誤って全員折り返し地
点を間違えて20数メートル
奥まで行って折り返してし
まった。
気づいて指さしていた選手
もいたが、やむなく従った。
これにより区間タイムが10
秒程遅くなった。
先導者、あとで大目玉、だ
けでは済まないだろうなぁ・・・。
レース後、なぜ選手がルート
を見誤ったかが解明されるだ
ろうが、歴史的な大問題にな
るだろう。
「あってはならない」事件。
ショートカットは失格だが、
コース間違いの長距離足し
は0.1%までの距離は選手の
違反ではない。
個人でコースを間違える事は
時々あるが、先頭集団全員が
間違うという事態は尋常では
ない。
先導がきちんと先導していな
かったという事だろう。
もし、先導白バイ警察官のコ
ースミスならば、二名とも降
格もしくは昇進停止、配置換
え、白バイ隊からの除隊等が
待っている事だろう。
小雪舞う中、選手たちもたぁ
~いへん。
記録はもう期待できないし、
ガチの「競争」としてだけの
順位争いのみのレースになっ
てしまった。
と思っていたら、大会記録的
なラスト800メートルでのタ
イムになった。
総合2位の日本選手トップは
初マラソン日本記録で2時間
5分39秒。歴代記録でも5位。
その後の選手も大会記録続
出。
なんだこりゃー!
陸上選手、すごい。
これがコース間違いしていな
ければ、とんでもない記録が
出ていた。
間違えて先導した白バイは
正面から見て左側の隊員だ
ったようだ。進行方向で左
側、正面から見て右側の隊
員は正しく先導していた。
だが、もう一人の白バイも
選手も従わなかった。
1928年(昭和3年)の銀座を歩く
モガ=モダンガール。
この年、日本に初めて地下鉄
が開通した。今の銀座線だ。
当時、まだ殆どの女性が和服
だった時代に最先端の洋装モ
ダンファッションで身を包み
銀座を歩く若い女性をモガと
呼んだ。
一方、おしゃれな洋装で銀座
を歩く男性をモボと呼んだ。
東京銀座。明治以降、日本の
最先端文化発信の中心街だっ
た。尤も江戸時代から日本の
ファッションの発信地は江戸
だったのだが。
外国映画のような装いの若者
たちが溢れたのが大正デモク
ラシーで民主主義を求めた後
の東京銀座だった。
女性も男性も華やいだ時代。
それは国内に戦争が無い時
代だったからだ。
モボ・モガはまるでフラン
ス映画に出てきそうな装い
と笑顔で街を歩いている。
一つ気づいた事がある。
ハイヒールを履く女性の歩
き方が和服の時の内股では
なく、まるで宝塚の女優の
ような歩き方になっている
のだ。いわゆる爪先を外に
向けるモデル歩き。
これは日本人では革命的な
事だった。
爪先を外に向けたままドタ
ドタとカカトから着地して
歩くのではなく、ヒールス
トライク歩行法ではないミ
ッドフットもしくはフォア
フット歩行法で交差するよ
うに一直線に美しく歩いて
いる。上掲トップの昭和初
期と昭和10年前後では、そ
の進化の差異が如実に見ら
れる。
数年乃至10年程でほぼ全員
が「歩き方」さえも服装に
合わせるように変えている。
ここにこそ、当時のモガの
オシャレさ、華麗さ、美し
さが凝縮されている。
そのアプローチの姿勢こそ
に。
たぶん、当時これを観たら、
服装だけでなく歩き方も颯
爽としていて、モガたちは
銀座の街の中で光り輝いて
いる女性に見えたのではな
かろうか。
美しいものは時代を超える。
美しさとは何であるのか。
それは単に化粧や服装を変
えただけでは得られない。
人がどこに向かおうかとい
う意識と思想性が無いと、
ただ被服を変えただけでは
「美しさ」などは到底得ら
れない。
100年前の東京の女性たち
はそれを知っていた。
ただ、忘れてはならない。
こうした女性たちもほぼ
全員がモンペを履かされ、
防空頭巾を被って避難さ
せられる世の中にやがて
なった。
そして、東京市民は1945
年3月10日の大空襲で10万
人が焼け死んだ。
これは「米軍」がやった事な
のか。
否、である。
一億玉砕を叫ぶ日本人がこう
した事態を招いた。
天皇および軍部が東京大空襲
後も戦争をやめる気を全く見
せないために、連合軍は広島
と長崎に人類史上初の原子爆
弾を落とした。ドイツの敗戦
の時とは事象が全く異なる。
この史上まれに見る大殺戮は
「戦勝国」がやった事なのか。
物理的にはそうだろう。
だが、なぜそうせざるを得な
いところまで行ったのか。
日本の権力者の戦争責任は深
い。
また、それを止められなかっ
たどころか後押しした日本国
民の責任は重い。
見ざる聞かざる言わざるの日
本国民の権力者への従僕根性
が、日本国民を殺した。