【北海道旅#04】
Motorcycle Tour in Hokkaido
40年以上会っていなかった
親戚に会いに行く。
「レーサーだから。レーサー
の雰囲気を壊さないキャリア」
最高のセンスだ。すばらしい。
ベスパのサイドバッグを本革
製の黒色バッグに交換した。
カウルばらして時計用電池も
新品交換済みでバッチリ。
ボロボロのPUバッグさん、
7年間おつかれさまでした。
でも、折り畳んでシート下に
入れておく。外出時に荷物が
発生したりした時はバッグを
両吊りにして使用する。
いい感じ。
来年からはおニューだよ。
あしたもう来年だけど(笑
キーには「原チャんねる」の
ちょこみさんキーホルダー(笑
このバイクは原付だから。
先月、市内の友人たちと
原付でしまなみ原付コース
を通って広島県から愛媛県
まで走った。
橋を渡るには島々の一般道
を通る。
帰りに、古い友人の2スト
80と私のベスパを交換して
乗った。島々の海岸線は程
良いワインディングが続く。
その時、ビタリと後ろにつ
いて行ったが「え?そんな
速度で曲がるの?」と思う
程に友人は私のベスパで爆
速旋回していた。私も人の
事は言えないが。
それの何時間か前、私はベ
スパで高速度旋回で寝かし
過ぎて2度車体を路面にこす
ってケツがポンと外に跳ん
だりしていたが、奴は上手
い事こすらずに寝かし込ん
で高速度旋回をしている。
普段「俺、バイクは遅いす」
とか言ってた奴だ。
だが、元ホンダVFR乗り。
自転車に至ってはアマで中
国地区大会ロードレースで
優勝しているし(彼の上のク
ラスはプロクラスのみ)、小
学生の時もチャリ大会で日
本一になっている男。
体幹が抜群に良い。
なにが「遅いす」だよ(笑
これだから、三味線弾きの
撞球師は嫌だよ(笑
ハスラー(ひっかけ師)だから。
自動車整備の腕はピカイチ
で、某巨大メーカー勤務の
頃、横浜で開催された全国
大会で準優勝して豪華スナ
ップオン工具セット(箪笥み
たいなケースに入ってる物)
と海外旅行を獲得している。
撞球の腕は、最初は初心者
ぽかったが、日々の訓練で
一番伸び代があった男で、
撞球会の中で一番伸びた。
「あ、こいつ強くなるな」
と思ったのは大会等でも一
切ビビらない事だ。
これ、勝負師としては必須
の資質。
私も人生の中で「アガった」
事は一度も無く、1万数千人
の前でもアジを18才の時か
らぶちかましていたが、人
前でも暗闇でも、死が訪れる
かもしれない夜間戦闘でも、
弛緩してはいけないが、平静
を失わない土性骨は勝敗を決
する戦いには絶対に必要だ。
そして、死ぬことよりも、生
き残って生き続ける事のほう
が難しい。
life は生命であり生活であり、
それは live であり lifetime
であるのだ。
このマシンは原付ながら速い。
だが、走らせるのは人である。
つまり速く走らせるのは、こ
れを操縦する「人」が速いの
だ。特に差異は旋回において
出る。
乗り方次第ではワインディン
グ区間で中型-大型バイクを
ぶっちぎる事も可能だ。下り
限定で(笑
しかも直線では簡単に負ける
けど(笑
二輪の「速さ」とは旋回速度
の速さの事だ。
タイムスリップ先で仕方なく
暮らすMBS前田アナ
極めてクオリティの高いパロ。
ナレーターの喋り方も映像も
極めて時代考証がしっかりと
していて、バブル時代そのも
のを再現している。
これは、すごかばい。
コルトSAA。
ピースメーカー。
いいね~。
私がアメリカ在住だったら絶
対に持つ実銃。
日本国内で実銃拳銃の民間人
所持は戦後しばらくして禁止
になったので、拳銃所持は法
的に今は無理。
敗戦前までは、日本でも民間
人も町の銃砲店で拳銃が誰で
も購入できた。
敗戦後は刀狩りと同じく、拳
銃所持は禁止となった。
拳銃を合法的に保有携帯して
いるのは法執行機関のみ。
.22口径競技用拳銃は、選手
のみ所有が認められるが、保
管場所は警察となる。
一般人の拳銃所持は一切今は
日本では禁じられている。
アメリカの場合、様々な規制
はあるが、私有地野外での簡
易射的=プリンキングなども
比較的簡易に行えるのがかな
り良い。
人のいない野山(私有地)で空き
缶や鉄板の的を狙ってリボル
バーやピストルで実弾射撃を
楽しむ。
日本ではできない遊びだ。
岡山県の中山サーキットのそば
に面白そうなワインディングロ
ードがある。
走った事はない。
暖かい季節が来たら、ここを
走ってみようと思う。
路面良し。新しい道だろうか。
ミノルタX7 BLACK&GRIP CM
1980年 30秒 宮崎美子
今では漢字をよく知っている
おばさんみたいになってるが、
デビュー時の大学生の頃は衝
撃的に可愛かったのである。
ほんと、ぶったまげるほどに。
宮崎美子 - Wikipedia
RZ350のセカンドバイクとして
通学用に購入したカワサキの
AR50、最高の原付二輪だった
よ。
買ったその日に神奈川県川崎
の木月のカワサキのバイク屋
から広島県三原市まで下道で
走った。
広島まで行って横浜まで帰っ
てくればナラシが終わるだろ
う、てなもんで。
何度も高速道で横浜から広島
までの往復はRZで走っていた
が、下道の原付50でのハマ⇔
広島県の800km超は初めてだ
った。
身体は何ともなかったし、ど
こも痛くはならなかったが、
とにかく眠かった。RZでの高
速ドカンとは違ってなかなか
到着しないし。
静岡を過ぎてからは、もうい
い頃合いだろと、ずっと全速
全開だった。
休憩時間を除いて実走行時間
20時間ちょいで到着した。全
過程下道。当然全信号では停
止する。そして、国道1号と
国道2号をひたすら西へ。
広島県内で暫く滞在してから
再び神奈川に戻った。
下道の実走行は、片道約850
km程だった。
よくできたマシンだったが、
上は9000rpm上で頭打ちだっ
た。ノーマルであと1200rpm
程回ってほしかった。
ホンダのMBX50が当時の50
スポーツでは一番速かった。
エンジンはいくらでも回った。
加速もトルクも鋭かった。
あれ、今考えると絶対に7.2PS
じゃないよ(笑
そういうの1988年のMC18で
もホンダはやってたし。
ただ、ARは足回りが頗る良
く、峠の下りでは、曲がらな
い走らない車の代表のホンダ
VT250などはカモ中のカモだ
ったのは確か。
あ~いた、いた。いらっしゃ
~い、みたいに。
広島県内でも何台もVT250は
AR50でぶち抜いた。6速吹け
切り下りペタ寝かしコーナリ
ングで。登りは駄目よ。49cc
だから登らないから。
下りはメーター読みでダブル
ニッケル以上は軽く行ってた。
MBXは100位出る車だったが、
ARはそこまでは出なかった。
ただし、そういう事いつもや
ってっと、50だろうが250だ
ろうが免許はそのうちいつか
無くなる。いくない。
行きと違い、帰りはアッセン
ブリ純正セパレートハンドル
を裏返しに装着してかなり低
くセットして横浜に帰還した。
一般国道だろうと、直線はタ
ンクにベタ伏せで吹け切りの
走り。
浜っ子の長距離走り、80年代
は当たり前。
峠でのペタ寝かしも当たり前。
理由?
ハマナン着けてるから。
ボトムセンサーとしてフォー
クに巻いているタイラップは、
フルボトムまで前が沈む走り
である事を示している。
タイヤもノーマルだが、横ま
でズルズルだ。
空冷だったが良いバイク。
これはグンヘルに見えるが違う。
バリ伝連載以前だからだ。押江
さんヘルと水谷勝さんヘルをモ
デファイした私のオリジナル。
DIYペイント。
父のバイクで出かけたら動か
なくなっちまったよ..
「なっちまったよ」となぜか
江戸弁のアッキー。
「~やん」と言って、おとん
から「いつから関西人になっ
たんだ」と突っ込まれてもい
るが、埼玉に転住してからま
すます言葉がチャンポン子に
なっている(笑
さすが埼玉県北部弁の「はぁ
けぇるんべ」とかは使ってい
ないようだが(笑
また、東京神奈川三多摩言葉
もアッキーにはみられない。
岡山弁の特徴もたまにしか出
ない。
岡山弁にもいろいろあるが、
なーなー言う事が多い。
広島でいうところのジャロみ
たいな感じで。
あと「~ねぇ」と。やりなさ
いが「やりねー」みたいに。
「えー」の文末使用法。
看護師が車椅子押していて
その高齢患者に「はよしねー」
と言ってて、それを聞いた別
地方の人が「患者に早く死ね
とはどういう事か」と病院に
抗議したのは実話。
「はよしねー」は岡山弁で
「早くしなさい」の意味だ(笑
このアッキー動画をかみさん
と観ていたら、かみさんはア
ッキーの事を「かわいいね」
と言ってた。
良いとこだね~。
き~めた。
ここ、近々に行くべ。
新しくできた店で、グーグル
ストリートビューではまだ建
設中の画像だった(笑
でも、よさげな店だ。
私が四半世紀以上前に東京本社
から岡山に赴任した時の最初の
勤務地が岡山市の大元駅のそば
だった。
だが、西脇の海岸は通った事
が無い。
こりゃ行くしかねえべ~。
赤い線は走った事ある道路。
児島と玉野あたりは地形が
やたら面白いのよ。
岡山県の海の近くは走行し
ていてかなり面白い。
ロードそのものを走るのが
変化に富んでいて飽きさせ
ないのが岡山県南部の特徴。
下の地図の白とクリーム色
の部分は全部埋め立て地だ
けどね。多くの島がその干
拓で陸続きになった。
岡山や倉敷に「島」がつく
地名の場所は、元は全部島
だったのよ。
岡山県、走ると面白いよ。
現居住地からは片道約120km。
上使ってドカンなら、ちょい
乗りに丁度いい距離だ。
Silverstone 1979 500cc Race
ケニー・ロバーツが破竹の
3年連続世界チャンピオンを
取った真っ最中の1979年英
国シルバーストーンでの世
界グランプリ最大排気量500
のレース。
ケニーは完璧なライディング
をしているが、スズキの76-
77世界チャンピオンの英国
バリー・シーンのコーナリン
グ速度が異様に高い。
オランダスズキのウィル・
ハートッグも突っ込みと立
ち上がりに妙手としての腕
を見せている。
1979年に既にまるでグラン
プリ250のようなトップクラ
スでのバトルレースをこのシ
ルバーストーンでのレース
は見せている。
これが怒涛の1980年代の幕
開け前夜のレースシーンだ。
1980年代初期にスズキとカ
ワサキは一時グランプリか
ら撤退するが、スズキは80
年代後半に復帰、エースの
新人ケビン・シュワンツを
擁して、2ストでGP復活した
ホンダ、王者ヤマハと大バ
トルを世界選手権で展開す
る。
ただし、ホンダが500はもと
より、1980年代後半にWGP
で圧倒的だったのは、1台開
発費用が2億~5億円するワー
クスマシン(車両本体価格2千
万円程)を250クラスなどは
30台も提供、という物量作戦
でホンダ天下時代を築いた。
厚い選手層に支えられたホン
ダは、とりわけ250クラスで
は圧倒的なメーカー戦績を収
めた。WW2での米軍の物量
作戦のような事をしてホンダ
は実績を残したのだった。
まるでこの1979年前後の世界
戦での屈辱を一気に爆発リベ
ンジするような作戦展開で。
この1979年世界グランプリ
はホンダがWGPに復活した
が、4スト新型奇抜構造のマ
シンでの参戦という無謀な事
をして、ヤマハからホンダに
引き抜いた350世界チャンピ
オン片山敬済選手の3年間を
棒に振らせた年の初年度でも
あった。
ホンダが2ストマシンをいや
がおうにも開発投入したのは
3年後の1982年で、戦闘力が
低くトラブル続きの4ストNR
で世界一の巧者だった片山選
手は苦戦した。
ホンダは125クラスではMT
125-RS125というヤマハを凌
ぐ名車を持ってはいたが、
250と350と500では戦闘力の
高い2ストレーサーを一切持
っていなかった。
一方、1976年1977年スズキ
の500で世界チャンピオンに
なったバリーシーンは、この
1979年地元イギリスGPでも
抜群のスタートを見せる。
バリー独特のワンホイール
スタートだ。「お前らがやら
かすとただのミスウイリーだ」
と、1976年当時私と同級生は
レーシングチームのオーナー
に言われていたバリーのスタ
ートダッシュ。
スタートでバリーをかわして
トップに出たオランダ・スズ
キの巧者ウィル・ハートッグ
がまるで10年後のケビン・シ
ュワンツみたいに寝かしてい
る。
このレースでは旋回速度はス
ズキのバリー・シーンが一番
高い。
スズキはヤマハ・ケニーを倒
すべくマシン開発を旋回性能
重視に振った事がこの1979年
グランプリシーンではよく分
かる。非常によく曲がる車に
作り込んでいる。シャケさん
が作った車か。240km/h超の
ベタ寝かしコーナリングでも
ビタリとした安定感を見せて
いる。
だが、減速から加速までの時
間がケニーが一番短く、ケニ
ーが総体では速い。
レースの基本セオリーは旋回
速度が速い車が総合的にも相
対的には速いという法則はあ
るが、直線の速さは1979年の
ヤマハはまるで後年のホンダ
2ストのように速い。
同じレベルの高速度旋回なら
ば、直線が速い車が結果的に
は速くなる。
このレース、3位や2位の位置
でレースを伺っていたケニー
が勝つな、というのがレース
序盤から見える。実際に最終
ラップで猛烈にくいさがるバ
リーの超速旋回を3/100秒差で
ケニーが抑えたという激烈な
レースだった。真のバトルレ
ース。
だが、旋回速度はバリーの
スズキのマシンが一番速かっ
た。
それでも総合力ではケニー・
ロバーツは安定的な王者の風
格を見せ、結果、ケニーは78
年から80年まで3年連続世界
チャンピオンに輝いた。
英国の英雄バリー・シーンは
のちにヤマハに移籍するが、
ケニーと同じマシンは与えら
れず、プライベーターとして
型落ちマシン貸与というケニ
ーとは雲泥の差の環境に甘ん
じた。
パーツもマシンも最良品が手
に入らない。スズキのワークス
のままだったら、マルコ・ルッ
キネリやフランコ・ウンチーニ
のように世界チャンピオンにま
たなれていたかもしれない。
その後ヤマハを離れてスズキ車
に再び乗るが、往年の走りは
見せられなかった。
不運の英騎士、バリー・シーン。
世界中のレースファンから愛
されたバリーは、引退後にイギ
リスからオーストラリアに移住
し、笑顔を見せる悠々自適の暮
らしをしていたが、50代で肺が
んで他界した。
1988年。ケビン・シュワンツ
のスズキ・ワークスマシンを
「おい、ちょっと乗せろよ」と
普段着で乗ってコースを走る
1976年77年世界チャンピオン
のバリー・シーン。
世界チャンピオンがまるで日
本の峠小僧みたいな感じでグ
ランプリワークスマシンを走
らせる珍しい場面だ。
レースは競争であるので、メ
ーカーと選手が「一強」であ
ると全く面白くない。読売
川上ジャイアンツの9連覇の
時みたいに。
競り合って、バトルバチバチ
の勝負こそ観ていても面白い。
世界グランプリで史上最高の
シーズンは1983年だが、その
後のホンダ・フレディ一強時
代から80年代後半の大激戦時
代がかなりレース観戦として
は面白い時代だった。
競争なのだから走り競ってナ
ンボ、というのははっきし言
ってそれはある。
観る方もやるほうもガチバト
ルで勝利するのが面白い。
超人的技術者たちが世界最高
峰で「一番神に近い領域」の
超高度なレベルで競い合うか
らだ。
人類の究極のエリアで。
ところで、動画のナレーショ
ン聴いていて思ったが、英国
人ナレーターの人も米国人の
ように championship をチャン
ピオンチップと訛るのね(笑
アメリカ人などは全部それで、
昔アメリカの友人と新橋で酒
飲んで話してる時、「なんで
チップなの?」と訊くと「そ
んな事言ってない」と言って
た事があった。
「ならもう一度言ってみて」
と言わせると「チャンピオン
チップ・・・あ・・・」とな
ってた(笑
江戸っ子の日比谷公園が渋谷
公園になるようなもんだろな。
試斬 〜1970s TAD CUE〜
プール(ポケットビリヤード
の事)キューにおける名品と
は、「狙い通りに手玉を動
かせるキュー」の事をいう。
それには、キューだけの性
能が突出していても駄目で、
それを十二分に使いこなせ
る技術を保有している事は
撞球者としては大前提だ。
的玉のポケットインも当た
り前の事で、シュートイン
できたか否かなどという低
レベルの次元の話ではない。
的玉を入れるのは当たり前。
それをポケットビリヤード
ならば手玉を入れながら、
あるいはキャロムならば手
玉を的玉にヒットさせなが
ら「きちんと手玉を動かし
て次の狙い通りの場所に出
す」というのがプールであ
ろうとキャロムであろうと
ビリヤードという種目の主
軸だ。
玉が入ったかどうかなどは
大前提なのでシュートイン
させるのは当たり前。
これはバスケットボールや
真剣日本刀試斬と同じだ。
バスケでもシュートしたら
入れるのは当たり前。たま
たま外れる事があっても、
シュートインは大前提とし
て競技が成立している。
日本刀での斬撃でも切れて
当たり前。切れない刀術
などは存在しないし、たか
だが据え物の静止物体を切
断できた位で喜んでいる低
レベルでは武芸としてはお
話にならない。
「どうやったか」「内実の
如何はどうか」「どう確実
にそれを実現させるか」と
いうのが大切であり、当た
り前の事をできて喜ぶのは
どうかしている。
パパTADは実用性において
歴史的名品の多くを製作し
たプールキュー職人だと断
定できる。
「TADでないと出せない玉
筋」というのがかつてはあ
った。野球でいうなら変化
球の魔球のような手玉の軌
跡を描く玉筋。
例えば、上掲試斬動画では
イエローの1番からブルー
の2番、レッドの3番までを
手玉と一直線に並べてキュー
の撞球能力のテストをして
いる。
その際にイエローの1番では
的玉を穴幅の横に入れて手
玉を横に出して止める技法
を実行している。
ブルーの2番では一直線なが
ら的玉をポケットの右端に
入れて、狙ったクッション
に返らせて、そして逆ひね
り作用でクッションからの
反射後に手玉にブレーキを
かけるショットをしている。
玉並べの時に手玉を返らせ
て入射させるクッションの
位置も確認している。
レッド3番では手玉と的玉の
分離角度を狭くする「割れな
い押し玉」を実行させる試験。
これはそれぞれ高度な技法
だが、特に2番のショット
は難易度が高い。手玉の狙
い通りの正確な制御を実現
させるので。
それを行使した際にTADは
その撞球技法をそのまま如
何なく実現させてくれる。
本当に良いキューだ。
そうした、潜在性能の次元
の高さと、それを十分に引
き出せる技術レベルの撞き
手の技法にビタリと寄り添
うキューが最高に良いキュー
なのだと断言できる。
ロードレースのレーシング
マシンとレーシングライダ
ーの関係に似ている。
TADコハラのキューは良い
キューだ。
だが、現代ではプロやアマ
の選手たちのプレーキュー
としてではなく、極めて高
額なコレクターアイテムと
して扱われるようになって
しまった。
果たして故コハラタダチさ
んは、そんな事を望んでい
ただろうか。
Tadachi Kohara(1929-2013)
「撞球」をやる。
玉は転がすのではなく「撞く」
のである。
玉転がしをやって得点しても
勝利しても、何の意味も深み
もない。
地味であっても派手であって
も、内実としてはスーパーシ
ョットを連発させて勝利する
事に意味がある。
ファースト・エディのように。
本勝負の時にはエディのよう
には酒は飲まない(笑
ロードモデルタイプのモー
ターサイクルに乗る時のブ
ーツは直立ヒールを持つ物
に限る。
理由はいろいろあるが、答
えは単純明快。
物理的な事だ。